SCENE 61 * MARY * With Gavin With Jade
マリーはギャヴィンと一緒に、グランド・フラックスから南の方向へと歩いていた。ちょうど橋を渡り終えてオフィスタウンに差し掛かったところで、誰かが彼の名前を呼んだ。
「ギャヴィン?」
女性の声に、彼女たちは立ち止まった。ギャヴィンのさらに左方向、フェンスのむこうにあるパーキングへと視線を向ける。柵をはさんでボードウォークからは少し低い位置にあるそこの左側、白い軽自動車の脇に女性がいた。
「あ、姉貴だ」と、ギャヴィン。彼女に訊く。「なにしてんの?」
「ちょっとね。デート?」
「うん。ちょっと待って」彼がマリーに訊ねる。「会える? 挨拶程度に」
「いいの?」
彼は微笑んだ。「もちろん。大丈夫、姉貴は俺が嫌がることわかってるから、あれこれ詮索もしたりしない。そんなに堅くならなくていいよ」
親でないのなら、それほど緊張せずに済むかもしれない。「うん」
ギャヴィンが姉に声をかけ、マリーたちも少し歩いてパーキングの出入り口のひとつへと向かった。彼はずっと、彼女の手を離さなかった。普通、家族の前では、手を離したがるものだと彼女は思っていた。
「はじめまして、私はジェイド。この子の姉で、二十一歳の大学生」
微笑んでそう挨拶した彼女に右手を差し出され、マリーは握手に応えた。
「はじめまして、マリーです」
やはりだめだ、とマリーは思った。緊張してしまう。ドキドキする。大人。大人だ。少しウェーブのかかった、胸のあたりまであるライトゴールド混じりのハニーブロンドヘア。綺麗なブラウンの瞳、小さな鼻。とてもやさしそうだ。
ジェイドがギャヴィンに訊く。「どうしよう。見栄張ろうか」
マリーはぽかんとしたが、ギャヴィンは笑った。
「そうだな。四分の一くらい?」
「よし、ちょっと待って」
そう言うとジェイドはくるりと向きを変え、なにかをしはじめた。
彼はずっと口元をゆるめているものの、マリーにはよくわからない。
「オーケー」再び彼女たちのほうに向きなおると、ジェイドはギャヴィンの黒いショートダッフルコートのポケットになにかを入れた。苦笑うようにマリーに言う。「この子、ちょっとひねくれてて口悪いとこあるけど、大目に見てやって。人をからかうのが好きなの。あと、私と一緒でネコかぶるのが得意」
「はい」とは答えたものの、“ネコをかぶる”というのはどういう意味だろう。
「こら。言いすぎ」と、ギャヴィン。
彼女は笑った。「ごめん。もう行かなきゃ。この子のこと、よろしくね。楽しんで」
マリーにそうつけたすと、手を振り、ジェイドはオフィス・タウンへと歩いて行った。
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ジェイドが去っても、マリーはまだ理解できずにいた。ネコ。かぶる。ネコ?
「変な姉貴だろ」ギャヴィンが言った。
「ねえ、ネコ? ネコってなに?」
彼は笑った。「さあ。とりあえず行く」
道を戻ろうとふたりで歩き出す。
ネコをかぶるというのは、本性を隠しておとなしそうに振る舞う、といったことのはずだ。「あなた、ネコかぶってるの?」彼女は彼に訊いた。
「うん。わりと。実は性格悪い。いや、嘘は言わないよ。けど、ネコかぶってる部分はある」
「男の人でも、ネコかぶるの?」
「かぶるよ、当然。──たとえば」
立ち止まってマリーのほうを向き、左手で彼女の頬に触れると、ギャヴィンは突然キスをした。深くて、少し長めのキスだ。彼女の全身に、なにかが走った。
唇を離し、彼が苦笑う。
「こうやって歩いてる時でも、学校でも、突然キスしたくなるのを隠してる時がある」
「それはネコかぶってるっていうの? それじゃ、私もネコかぶってることになるんだけど」
「うーん、どうだろ。あとは──」彼女の頬に触れたまま、彼は額を合わせて目を閉じた。「──君が昨日、言ったみたいに。俺、すごいイヤな思いしたんだ。自分のことまでキライになるくらい。姉貴とか、周りのおかげでどうにか立ち直ったけど──それでもやっぱり、そういうことするっていうのは、ちょっと怖い。したくないわけじゃないよ。ただ、二度とすることはないと思ってた。できないと思ってた。こんなふうに誰かを──君を好きになることも、ないと思ってた。でも、好きになった。ものすごく好き。このあいだも言ったけど、君といると癒される。君とは、そうなれたらって思う。けど──」
苦しそうな彼の言葉は、そこで途切れた。
──“けど”。
「もういい」ギャヴィンの首に両腕をまわして抱きしめ、マリーは右手で彼の髪を撫でた。「わかったから」
“けど”、の、続きが、彼女にはわかった。
“したくても、できないかもしれない”。
きっと、ものすごく、ものすごく、自分が思っていた以上に、彼は傷ついたのだろう。
「言ったじゃない。私は、浮気以外なら、なにがあっても傷ついたりしない。どれだけネコかぶっててもかまわない。私はあなたが好き。意地悪でも口が悪くても、ひねくれてても性格が悪くても、あなたのことなら、どんな部分でも、好きになれそうな気がする」
苦笑いながらも、ギャヴィンもマリーを抱きしめた。
「うん。ありがと」




