SCENE 55 * RIAN * With Jennie
二度寝していたライアンは、うるさすぎる携帯電話の音で起きた。当然不機嫌だ。なぜいつも邪魔されてばかりなのだろう。
ベッドヘッドにある携帯電話の画面を確認した。電話の主はなぜかジェニーだ。時刻は十時二十分。彼はきょとんとした。今日はジャックとデートのはずだ。ひとまず電話に応じる。
「ジェニー?」
「ああ、ライアン? ごめんね、寝てた?」
「うん。いや、いいけど。どした?」
「ジャック、一緒じゃないわよね?」
「ジャック? まさか。今日会うんじゃなかったっけ」というか泊まりで。
「そうなんだけど、九時に図書館で待ち合わせてたのに、まだこないの」
ライアンはまたもぽかんとする。九時に待ち合わせ? 今は十時半になろうとしているのに。
「なにかあったんじゃないかと思って、心配で──」と、ジェニー。
彼はベッドの上で身体を起こした。
「ちょっと待て。電話は?」
「何度かしたわ。最初はつながってたんだけど、四度目くらいで電源が落ちちゃったみたいで──」
ジャックはときどき、マナーモードを解除するのを忘れる。充電も忘れる。おそらく充電が切れて電源が落ちた。シーツをよけ、ライアンはベッドから降りた。朝は本当に寒い。「んで、今どこ?」
「今? 図書館だけど──」
この寒さの中──外はもっと寒いだろうに、一時間半も待っていたのか。「そこにいて。十五分くらいで行くから」
「でも、レナが──」
足の踏み場もない状態の部屋の中、彼は財布と鍵をスウェットのポケットに突っ込んだ。どうにかクローゼットへ向かう。
「レナは具体的な時間決めてない。とりあえずジャックの親に電話してみて、ジャックが家にいたかどうか聞いてみるから。とりあえずそこにいろ。わかった?」
「──わかった」
クローゼットから引っ張り出したジャケットを羽織ると、彼はすぐにタクシーを呼んだ。一階におり、ハリーたちの部屋にあるデスクの引き出しからジャックの家の合鍵を取り出す。急に家を開けることがあるクリスたちが緊急用にと、いつからか預けているものだ。玄関へと向かいながら、ライアンはエレンに電話した。
「おはよう、ライアン。どうしたの?」
「おはよ。もう家出た?」
「ええ。三十分くらいまえに」
「ジャックは?」
「ジャック? 家を出る前に部屋をのぞいたら、すやすやと寝てたけど。なにかあったの?」
そこまで心配していたわけではないが、やはりただの寝坊だ。「いや、なんでもない。っていうか旅行ってどこ?」
「ジャックから聞いてない? ストーン・ストリームよ。レイシー一家に会いに行くの。本当はリトル・バレルに行きたかったんだけど、雪がすごいからって止められちゃってね。彼らもきてくれるっていうから、なんとなくの中間地点でそこにしたの」
地理に詳しくないので、ストーン・ストリームがどこにあるか、具体的にはわからない。だがベネフィット・アイランドのあるフォース・カントリー地方ではなく、本州にあるということだけはわかる。まさかここでレイシーの名前が出てくるとは、と、ライアンは思った。
「そっか。楽しんで」
「ええ。おみやげ、期待しててね」
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ジェニーなら大丈夫だろうと、ケイラから預かったチョコレートを持ち、ライアンはタクシーに乗り込んだ。
図書館に着くと、おそらく一泊分の着替えが入っているのだろう小ぶりな黒いボストンバッグを脚に抱えたジェニーが、うつむいたまま、門柱のところで座りこんでいるのを見つけた。近づいて声をかける。
「ジェニー」
彼女ははっとして顔をあげた。
「ああ、ライアン」立ち上がる。「ごめんね」
「気にすんな。悪いのはあいつ。あいつの親に電話した。親は三十分くらい前に家出たらしいんだけど、そんときジャックは寝てたって」
当然、ジェニーはきょとんとした。だが理解したのか、安堵の表情を見せた。「ああ、なんだ。よかった」
彼女は心配性だ。というか、本当に可愛い。この天使はいったいなんなのだろう。
「よし。とりあえず行く」
「え」
「鍵はある。家に行く」
そう言って、ライアンは歩きだした。追うようにジェニーもあとに続く。
「ちょっと待って、寝てるだけならいいの。メール入れて、図書館で待ってれば──」
だが彼はかまわず歩く。「いや、とりあえずあいつに蹴り入れるから」
「ええ?」
「いや、冗談だけど」そのうち入れるかもしれないけど。「来たついでだ。そんで帰りにレナんとこ行く」スウェットで。
「──ん」彼女は彼の右隣に並んだ。「聞いた。パパに。ガレージ建てるって」
「ああ、らしいな」本来の目的は言えない。「ジャックと話した?」
「ええ。レナとも」
「オレも。二人ともすげえ微妙な反応だった」うじうじと。
ジェニーが苦笑う。「でもジャックは納得してくれたわ。レナも、あなたとちゃんと話したから、もう大丈夫だって」
アホ女二号は、いったいなにを言ったのだか。いや、レナは三号か。一号はケイラだ。二号はスーザンになる。
「もし逆だとしても、オレらは嫉妬しないのにな」と、彼は言ってみた。
彼女はバッグをうしろにまわした両手で持ちなおした。
「知ってたの?」
「知ってたっていうか、見てればわかる」自分のとは違うのかもしれないが、ジェニーは強い。芯が強い。「嫉妬、面倒じゃね?」
彼女は笑った。「気持ちの表れだもの。イヤじゃない。むしろ嬉しい」
そんな姿に、ライアンは心の中ですみませんでしたとあやまった。まずい。浄化されそうだ。
「けどさ。ジャックは知らないけど、レナは何回言ってもわかんねえっぽい。ことあるごとになんか難しく考えてる気がする」
誕生日の時にあれだけ言ったのに──いや、たいしたことは言っていないが、父親たちのことで微妙な反応をしたのがなによりの証拠だ。
だがジェニーが微笑む。「それだけ好きってことよ」
本当に浄化されてしまいそうだったので、彼は視線をそらした。角を曲がる。
「けどあいつ、抱えこみすぎなんだよ。オレのことわかってないというか、ぜんぶいちいち言葉で言わなきゃわかんないっていうか」
ライアンは、甘ったるい言葉を口にしないどころか、考えたりもしない。それでも自分なりに、大事にしているつもりではいる。なのに、レナはまったくと言っていいほどそれを理解しない。
「レナは不器用なの」ジェニーが言う。「なんていうか、ときどきマイナス思考になっちゃうのね。見聞きできるものしか信じられないところもあるし、飛びぬけて真面目な部分もある。そのせいか、一度浮かんだマイナスな考えをなかなか振り払えない。自信があるように見えるかもしれないけど、本当は自信がないから、すぐに不安になっちゃうの。実は人付き合いもあまり得意じゃなくて、相手の気持ちを訊くっていうのも苦手。伝えるのも」
よく見てるな、と彼は関心した。当然なのかもしれないが。ようするに、やはりレナは面倒な女ということか。信じず、だからうじうじと悩む。
ジェニーは続けた。「ほら、レオがいるでしょ。ふたつ年下だから、あまり甘える時間がなかったのかもしれない。背伸びしようとするの。だから表面上はそうなる。だけどほんとは、甘えたいんじゃないかな」
そう言われれば納得はできる。「ああ、なるほど」
彼女は苦笑った。「私もよく甘えちゃうもの」
「いや、逆だろ」どう見ても、レナのほうが甘えている。
だが返ってきたのは否定だった。「そんなことないわよ。私はときどき、自分勝手に突っ走っちゃうもの。でもレナはまっすぐで責任感が強い。それにすごくやさしい。ユーモアがあって、楽しいことが大好きで、みんなをわくわくさせるのも、引っ張るのも得意。センスがよくて家事も得意。昔からずっと、私の憧れだった。脆いところも強がりなところも、心配性で泣き虫なところも、ぜんぶ大好き」ジェニーは笑顔で言いきった。
「べた褒めだな」
「なかなか、直接は言えないけどね」
クロスウォークに差し掛かり、二人は赤信号で立ち止まった。
「さっきの続きだけど」ジェニーが言う。「私は兄さんと三歳違い。兄さんも似たような感じだった。小さい頃からいつも私の手を引いてくれてたんだけど。たとえば、手を繋いで一緒に走ってたりするでしょ? で、一緒に転んだり、大型犬に遭遇しちゃったりする。そしたら、年上は泣けないの。強がっちゃうのよ」
とてもわかりやすい。「そんであれだ、自分が痛いの隠して強がって、あとでひとりで泣く、みたいな」その一方で、半泣きのように、半端に微妙な反応を示すときもある。
彼女はうなずいた。「そう。親にも痛いなんて言えないの。“我慢しなくちゃ”っていう気持ちが働くんでしょうね」
それで人の顔色を伺うようになったわけか、と彼は思った。しなくていいところでやたらと遠慮したりもする。考えもしなかった。歳が近いとそうなるのか。信号が変わり、彼らはクロスウォークへと足を踏み出した。
「けどオレ、たまにどうすりゃいいかわかんなくなる」そんなつもりはなかったのに、なぜか相談している感じになっている。「相手に合わせて態度変えるとか無理。妹のことならいくらでも甘やかしてる気がするけど、それは甘えてくるからだし」そんなメグは最近、哀しくも兄離れしつつあるが。「あいつはやっぱり甘えたりしないし、オレは普段どおりにしか無理だし。なのに普段どおりにしてたらしてたで、今度は冷たいとか言われるし」
厳密に言えば、レナが直接、冷たいだのなんだのと言ったわけではない。だが、そう思っているのはライアンにもひしひしと伝わっている。
「そこはもう、できる時に示すしかないと思う」そう言うと、ジェニーはまた微笑んだ。「無理はする必要ないわ。レナだって、そのままのあなたを好きになったわけだから」
うん、なんだろう。レナに直接言われるよりも、ジェニーに言われるほうが重みがある気がする、と彼は思った。なぜだろう。天上からの言葉だからか。アホか。
「けど、それじゃわかってもらえないわけで」と、ライアン。
本当に信じているのか信じていないのか、こちらの気持ちがあるというのはレナの頭の中にもあるのだろうが、普段の言動のせいか、高確率で忘れられている気がする。気持ちそのものを信用されていないというか。
「うーん──」ジェニーは少し悩んだ。「たぶん、だけど──なにかするにしても、少し方法を変えるか、ワンアクション入れるだけで、ぜんぜん違うはず」
彼も悩んだ。方法を変える──変える? ワンアクション? これは訊いていいところか?
だが訊くまえに、彼女はストップをかけた。「だめ。あとは自分で考えて」
「努力する」と、答えるしかない。
ジェニーはまた彼に微笑んだ。「あなたなら大丈夫。あなたとレナなら」
それがライアンには、いろいろな意味で衝撃だった。
ジャックはこれに手を出そうとしているのか。本気なのか。勇者か。
「どんなだよ」




