SCENE 45 * RIAN * With Harry
ライアンは半信半疑のまま一階におり、リビングへと向かった。この家はとてもシンプルだ。ジャックの家のように迷路ではない。階段をおりればすぐ右が、リビングにも繋がるダイニングスペースで、左はキッチンになっている。右の奥は両親が使うマスター・ベッドルームとゲストルームがある。
ハリーはリビングの隅にあるシングルソファに座っていた。通りに面している玄関ポーチとは反対側の窓際で、小さく四角いテーブルと、四角い形のスツールを置いている。そのソファはハリーの指定席で、夜はたいてい、彼はそこで酒を飲む。
酒にはかなり強いらしく、ライアンはハリーが酔っているところを見たことがない。ジャックの父親であるクリスも、普段はワインばかりなものの、ウィスキーにも強いので、二人が一緒に飲みはじめると、なかなか終わりが見えないことになる。呆れか酔いか、さすがのエレンもついていけなくなるほどだ。
ちなみにハリー、役人だの弁護士だのという堅い職業の人間は好きではないのだが、クリスの人柄もあってか、二人は仲がいい。ライアンとジャックもそうだった。どちらかというと正反対のタイプだが、なぜかうまくいっている。おそらくそれも、ジャックがクリスから譲り受けた臨機応変な性格のおかげだろう。
ライアンはハリーの向かいでスツールに腰をおろした。
「おふくろがまたなんかほざいてんだけど」
彼が笑う。「やっぱスーが言っても信じねえか」
「だって普段があれだし。なんなの? ガレージ?」
「ガレージ目的っていうよりはお前の部屋目的だけどな。しかもこっちと繋げはできないから、ホントにただのヤり部屋だ」
驚くほどあからさまだ。しかも本当だったのか。「そんなんしていいわけ?」
「この家を買った時から決めてたことだ。言っとくけど、最初に言いだしたのはスーだぞ。お前がオレそっくりになったらホテル代がバカにならなさそうだからって。散々お前に世話焼かされたから延びただけで、あいつは二人目も欲しがってたし」
笑える。「けど今さらじゃね?」
「あいついわく、今だって思うタイミングを待ってたらしい。まさかコレットの娘とつきあうことになるとは思ってなかったけど、今ならとかなんとか」
よくわからない。「っていうかずっと気になってたんだけど、おふくろたち、まさか子供を同級生にしてどうこうしようとかいうアホみたいな計画立ててないよな?」
ハリーは笑った。「それはさすがにないだろ。コレットのほうは学生時代からのつきあいだ。俺たちとは違う。お前、スーから聞いてねえの? なんで俺があいつと結婚したか」
「ぜんぜん。馴れ初め? バンドやってる時にガキ扱いされてあっけなくフラれたとか、それから三年くらいして親父が店に来てってのは、耳にタコができるほど聞いたけど。結婚に至るまでの話のあたりはいつも曖昧だったし。猛烈アタックして結婚したとかなんとか」
スーザンは、ハリーにフラれてからもずっと、彼のことを忘れられなかったという。そばにいたならともかく、一時期は離れていたということもあり、それはライアンからしてみればありえないほど一途で、その一途さにはライアンにはない。
ハリーはミニテーブルに置いていたグラスを取り、ウィスキーを飲んだ。
「確かにあいつは二十歳になってて、それほどガキって感じはなかった。まあよっつも離れてたらガキだけどな。あいつは昔も今もぜんぜん変わんねえ。あの状態で猛烈アタックだ。成人したんだからもうガキじゃねえとか、手に職もあるし将来は店継ぐから、あんたがリストラされても自分が食わせていけるとか、そんなことばっかり」
スーザンは昔から、美容師一筋だった。小学生の頃から祖母の店を、掃除や片づけという雑用ではあるが手伝っていて、高校時代は本格的に美容師の仕事を覚えていった。その後二年間専門学校に入り、当然のように祖母の店で働きはじめた。将来的に使い勝手が悪いことを承知でスーザンとハリーがこの家を選んだのは、単に祖母の店から近い、という理由からだった。その後祖母は隠居することにし、スーザンは当然のように店を継いだ。その二年後、祖母は亡くなった。
確かにスーザンなら言いそうだと、ライアンは納得した。「ようするに、再会しても興味はなかったわけ?」
「当然だろ。っていうか俺もオンナいたしな。その頃俺は二十四。まだ結婚とか考える歳じゃない。で、そんなのが半年くらい続いて、ある日突然ぴたりと連絡がこなくなった」
ライアンの口元がゆるむ。「まさかの?」
ハリーの口元もゆるんだ。「“押してダメなら引いてみろ”、だ」
ライアンはけらけらと笑った。
「ありえねえ。マジでありえねえ。手が古い。超古い」
「だろ」彼も苦笑い、またウィスキーを飲んだ。「しかもそれが三ヶ月だか四ヶ月だか続いた。俺は当然気にもしない。浮気したり別れたり、まあいつもどおりに遊んでた」
ちなみにライアンが浮気をしないのは、ハリーとスーザンに言われていたからでもある。ハリーは自分のことを棚に上げ、浮気するのはただのアホだと言った。経験談からで、理解もできたので、ライアンは浮気はしないと決めた。スーザンも言っていたことだが、ハリーは彼女と交際をはじめてからは一度も、浮気をしていないらしい。
ライアンが続きを促す。「で?」
「あいつが突然俺の職場の駐車場に現れた。っていうか仕事が終わって駐車場に行ったら、俺の車のボンネットにあぐらかいて座ってた」
やはりライアンは笑う。「怖え! 超怖え!」
「だろ。けどな、怒ってるっていうより泣きそうな状態なんだよ。ものすごい睨みつけてんだけど、今にも泣きそうな状態。わかる?」
「わかる」
「同僚の目もあるし、しょうがないから車に乗せて、とりあえずリバー・アモング・ビーチに行った」
リバー・アモング・ビーチはベネフィット・アイランドに流れる一番大きな川、フィールド川の大きな橋を渡り、ベネフィット・アイランド・シティのはずれにあるリバー・アモングから右、川沿いを走った果てにある。夜はナンパスポットと化すという。車を持った大人たちのナンパスポットだと言うし、車がないのでライアンは行かない。行けない。車があれば行きたいとは思っていたが。
ハリーが続ける。「駐車場に車停めたら、あいつがやっと口開いた。“なんでわかんないの? 私とつきあえば浮気しなくてすむし、毎日笑ってられるのに”」
その自信は意味がわからない。「あのおかしな自信過剰っぷりも昔からなのか」人のことは言えない。
「そうだ。だから言ってやった。“だったら明日婚姻届持ってこい。お前がサインするなら俺もしてやる。その代わり結婚したらすぐに子供産め。俺みたいなタイプは早死にするから、さっさとしないとお前があとで苦労することになるぞ”って」
ライアンは唖然とした。「なに言ってんだ。アホか」
彼は苦笑ってグラスをテーブルに置く。「若かったからな。それで諦めるならそれでいいと思ったんだよ。あいつみたいな純粋? 純情タイプとつきあえるわけねえだろ。っていうか、つきあっても向こうが傷つくだけ」
そう意味なら、納得はできる。「で?」
ハリーは遠い目をした。「持ってきた。マジで」
ライアンもやはりぽかんとする。「は?」
「ありえねえだろ。つきあってもないのにいきなり結婚だぞ。ないない」
「ない。絶対ない。破滅だ。お先真っ暗だ。ボンだ」
「だろ。けどあいつは持ってきた。しかも新しい口説き文句つきで。“結婚式はいらない。あんたにタキシードなんか着せたくないから”。だと」
またもライアンは大笑いした。
「ありえねえ!」二人が結婚式をしていないことは知っている。カジュアルな格好のパーティーだけで済ませたそうだ。「けど超かっこいい。はじめておふくろのこと、かっこいいて思ったかも。ただのアホだと思ってた」
親に向かってなんてことを、というのは、この家には存在しない。
ハリーも苦笑う。「俺も思った。なにこのかっこいい女、みたいな。それであれだ、さすがにすぐってわけにはいかないから、一年くらい? つきあって。で、結婚。それも向こうからだぞ。“いつになったらあなたの苗字もらえるの?”って」
ライアンは笑いが止まらない。「おふくろ強い。意外と強い」なにも従順なだけではないらしい。
「なんだろな、あの変な女。いろんな女見てきたけど、あいつ以上に変な女見たことなかったぞ。まあエレンのことも最初は変だと思ったけど、エレンは仕事とプライベートで顔が変わるだろ。けどスーザンは基本的にいつもあれ。天真爛漫で自由で、自信過剰で前向きだけど、泣き虫で短気で騒がしくて、とりあえずいつまでもガキ」
「だな。考えが変。常にぶっ飛んでる気がする」
「だろ。話戻すけど、ガレージの件、俺になんて言ったと思う? 真剣な表情で、“ハリー、いよいよ窓をぶっ潰すときがきたわ”、だぞ。すっかり忘れてて、突然なに言いだすんだと思ったわ」
ライアンはまた笑った。「マジかよ。ぶっ潰すって──あ、造るとしたらあっちか、オレの部屋のほう?」
「だな。ゲストルームは暗くなるけど、俺の知ったことじゃないし。こっちの寝室にも朝日は入んなくなるかもしれんけど、どうせ窓小さいし。特に影響ないし。まあお前がイヤならいいけど」
「イヤなわけあるか」ライアンは即答した。「で、オレはどうすりゃいいわけ?」
「まだ詳しい話はしてない。すぐに取り掛かったとしても一ヶ月か二ヶ月はかかるだろうし、業者の都合だってある。けどとりあえず、それが出来たら鍵はつけてやる。ただし使うのはメグが確実にいない時と夜、メグが寝てからだけだ。普段はこっちにいろよ。じゃないとメグが変に思うから。女は居させてもいいけど、朝も適当に戻ってこい。とにかくメグに変に思われないこと。あとしばらくはメグが行きたがるかもしれねえから、あと始末はちゃんとすること。それが条件」
「余裕」親に関してはレナの家も自分の家も、どっちもどっちだなと思った。「っていうかおふくろが、レナ以外は認めないとか言ってんだけど」
「気にすんな。別れてほしくないだけだろ。俺はむしろお前が一人の女と続くとは思ってない。コレットの娘がどんなか知らないけどな」
我が親ながら失礼だ。間違ってもいないが。「レナはなんつーか、おふくろとエレンを足して二で割って十マイナスした感じ?」意味がわからない。
「スーとエレン?」考えるような表情で窓の外を見やってから、ハリーはまたライアンへと視線を戻した。「強烈そうだな。とりあえず感情の浮き沈みが激しい? 面倒?」
「まあ間違ってもないけど。女は基本的に面倒だろ?」ジェニーを除いて。
「間違いない」彼はまたグラスを手に取った。一口飲む。「そういや、高校の同級生にモーズリーって苗字、いるか?」
「いる。ジャックが今つきあってる女がそうだけど。ジェニー」
「ジャックが? ああ、なるほど」
「え、なに? 知ってんの?」
ハリーのグラスは空になった。「モーズリーの会社にガレージを頼んだんだ。父親のジョシュアってのが俺の高校の同級生で、大学を卒業するまで俺が使ってたライブハウスでバイトしてた。三歳上の兄貴がいるなら間違いない」
あの完璧王子のことだ。「いる。マジで? ジェニーって実はお嬢様?」
「お嬢基準がわかんねえけど、ジョシュアは社長じゃないぞ。一応の社長は兄貴だからな。まあ副社長だから変わらないか。共同経営だし。それほどデカい会社ってわけでもない。建築会社で、始まりは大工だった曾祖父さんだ。祖父さんが建築会社っていうもんにして、その息子兄弟が会社をちょっとばかしデカくした。ま、将来的にはジョシュアの息子──その、ジェニー? の兄貴が跡を継ぐんじゃないかって話だけど」
ライアンは混乱しそうになっている。「へー」ジャックのお嬢様獲得率はいったい、なんなのだろう。といっても二人だけだが。「まさかヤり部屋作るとか言ったわけ?」
「心配しなくても、その娘にまでそんな話は伝わらねえよ。むこうもお前のことと仕事のことは話すかもしれねえけど、あくまでガレージだからな。物置兼作業部屋って名目になる。防音と寒暖対策はそれなりにするつもりだけど、中をちゃんとするつもりもない。レストルームくらいはつけるつもりだけど、あとはエアコンとベッドひとつで終わりだ」
つまりバスルームはない。シャワーは無理。「防音とエアコンとベッドと布団くれるんならなんでもいい」
「なんならあれだな。メグがデカくなったら、お前の部屋潰してあいつの部屋広げるか」
「は? オレどうすんだよ」
「一階のゲストルーム使えばいいだろ。半分はガレージができるわけだし」
「ふざけんな。メグばっかり甘やかしすぎだ」




