SCENE 40 * RENA * With Rian
ジェニーとマリーとアニタと四人でセンター街で遊んで夕食をとり、レナが帰宅したのは八時半に近い時刻だった。
今現在、ソファの上であぐらをかいているレナは、テーブルの上に置いた携帯電話をじっと、睨むように見つめている。
明日は泊まり予定でライアンと約束をしているわけだが、待ち合わせのメールも電話もない。
いつもそうだ。ライアンは自分からは言わない。学校が終われば、なにもない限りさっさと帰ろうとバスに乗るし、休日はレオに先に連絡を入れて、レオが家にいるとわかったら家に来ることがあるものの、ライアンからレナにというルートでは、メールも電話も特にない。
レナは彼とつきあってやっと、“冷たい”という彼への評価の意味がわかった。確かにこれは、冷たいと思われてもしかたがない。メールも電話もなければ、学校でも、友達と話す時はうるさいと百回くらい言ってしまいそうなほど騒いでいるのに、ふたりでいると、テンションが一気に下がるというか、落ち着いているというか、あまりうるさくない。ある意味二重人格のようだ。
遠慮しなくていいと、ライアンには言われている。けれど、なんと言えばいいのかわからない。なぜなら、返ってくる言葉が予測できてしまうからだ。
たとえば明日どうすんの? とメールを送れば、“お前が決めろ”と返ってくる。
朝か昼かどっち? と訊けば、“朝は寝るもんだろアホ”と返ってくる。
じゃあランチはどうするの? と質問すれば、“起きるまでわかんねえ”と言いはじめる。
キリがない。話が進まない。レナは頭痛に見舞われた。
たとえば電話をしてみれば。第一声は“なに”、ではじまる。もしくは“なんだよ”、だ。これ絶対。鉄板。
明日どうすんの? と訊けば、やはりメールの場合と同じ、以下同文。
笑える。レオがなぜあんな男がいいなどと言いだすのか、最近では、男の心理というものが本当にわからない。なぜレオがあれを目指すのかが、本気でわからない。それでも惚れ込んでいる自分としては、なにも言えない。情けない。
「姉ちゃん、怖い」
その声に、レナははっとして顔を上げた。レオが戸口に立っている。
「なに? なんか言った?」
「いや」と彼が答える。「おふくろがどうしても食べたいとか言いだすから、アイスクリーム買ってきた。シャワーまだなら先に食べなよ。適当に買ってある」
レナはシャワーが大好きだ。「わかった。ありがと」
どうせ待っても連絡はない。
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レナがシャワーを終えたのは、それから三十分ほどが経過したあとだった。テーブルの上で携帯電話の着信ランプが光っている。明かりもつけずにそれを手にとると、ソファに座って画面を確認した。
“着信一件 ライアン”
さすがに驚いた。珍しい光景だ。写真をとりたい。いや、さすがにアホっぽい。だめだ、やめよう。電話をかけなおす。
呼び出し音が一回、二回──さんか──電話が切れた。
え。なんで切るの。意味わかんない。切ったよね、これ。なに? なんの嫌がらせ? 怒ってんの? 電話に出なかったから? え、そんな人だっけ。どうだっけ。まさか。そんなわけ──。
ライアンの自宅からの着信が入った。彼女はまたも驚いた。そういうことかと納得した。ベッドへと向かい、レナは電話に応じた。
「なんかおかしなことになったんだけど」
いつも唐突だ。「なにが?」
「ジャックの母親、エレン。が、今度お前を家に連れてこいとか言ってる」
レナはぽかんとした。「意味わかんない」
そしてベッドに、仰向けに寝転んだ。
「だからさ」とライアン。「エレンはオレのもう一人の母親みたいな感じなんだよ。で、ジャックとオレのおふくろが話しちまってるから、お前の存在はエレンに知れてるわけ。んで、ギャヴィンにもオンナができたっての知ったエレンが、そのうち三人とも連れてこいとか言いだしたの」
レナにはよくわからなかった。高校の入学式の時、ジャックの母親は、仕事らしく来ていなかった。なので会ったことはない。けれど、ジャックを育てた人というのはとても興味がある。ライアン、ジャック、ギャヴィンから、何度か話には聞いている。とても楽しい人だという。
彼女は質問を返した。「つまり、ジェニーとマリーと三人でってこと? あとあんたたち?」
「そう。そんで娘が三人できたみたいに料理するんだとか言ってる」
楽しそうだ。「料理教えてもらえる?」
「そりゃな。エレンはすげえぞ。一時期レストラン手伝ってたこともあるし、オレが知ってる中でいちばん料理がうまい。オレもほとんどはエレンに教えてもらったし」
「行きたい。ぜひ」
レナの母親は、いろいろな職業を転々としてきた。だが、料理はそれほど得意とは言えない。並程度にはできるが、レパートリーはそう多くない。
「は? 本気? アホ?」
ライアンがそんな反応だったので、彼女はまたぽかんとした。
「ダメなの?」
「いや、べつにダメじゃないけど。っていうかオレに拒否権はないらしいから」
「なにそれ。なんで?」
「ようするに命令なんだよ。脅しとも言える」
「脅されたの?」
「脅された。なんならオレの親はもちろん、お前の親もジェニーとギャヴィンとマリーの親も招待して、盛大にパーティーしてもいいんだぞとか言われた。さすがにそれは無理だっつったけど、エレンは一回言いだしたら止まんない。しかもオレは、自分の親父とエレンには逆らえねえ」
彼女はけらけらと笑った。
「そんな弱みがあったんだ」
「いや、笑いごとじゃないし。まあ今すぐじゃないけど。ギャヴィンがマリーを自分の親に紹介するとかいうのが先らしい」
「え、親に紹介するの?」
「さあ。今年中にはがんばるとか言ってたけど。だからだいぶ先の話じゃね?」
「わかった。来週学校に行ったら、ギャヴィンを急かす」
「は? なんでお前が急かすんだよ。なんでお前が行きたがるんだよ。お前はエレンか」
彼女は笑いながら、ベッドの上で寝返りをうち、横を向いた。
「だって、あんたが逆らえない相手でしょ? だったら味方についてもらうほうが得じゃない」ジャックの母親に味方についてもらうというのも、なんだかおかしな話だが。「それに興味あるもの。あのジャックを育てたヒトっていうの」
「まあ間違いなく、お前はいちばん気が合うだろうな。ジャックからは想像できないぞ。あいつはどっちかっていうとクリス──親父のほうだから。基本的には冷静沈着で臨機応変で誰とでも馴染める。オレの親父とでも。けどすっとぼけたところはエレンそっくり。じっくり観察してるとわりとわかる」
とても楽しみだ。「そしたら、あんたの三分の一くらいは理解できるかしら」
「は? ああ、そりゃできるかもしれねえけど──どうだろ。オレは未知数だからな」
確かにそうなのだろうけれど。「自分で言うな」
「うるせえ。んじゃもうひとつ、ついでに言っとくことがある」
「なに?」
「親父は知らないけど、メグがお前に会いたがってる。レオはお前のおふくろと一緒に家にくることあるけど、メグは小さい時しかお前に会ってないから、よく覚えてないらしい。けどおふくろがいろいろと吹き込みくさってるから、ものすごい興味があるらしい」
「小学生に興味持たれるって、どんな?」
「知るか。ものすげえアホな話だけど、オレのメールの相手が男か女かとか、遊びに行くとしたらジャックがいるかどうかとか、そんなことをおふくろとメグは毎回のようにゲーム感覚で当てあってんの」
思わず笑った反動で、彼女はまた仰向けになった。
「なにそれ。十歳の妹に遊ばれてんの?」
「そうだよ。しかも普通に女だとか男だとか答えるわ。最近は、オレの学校からの帰りが遅くなったら、レナと一緒だったかどうか、なんてアホなゲームを普通にやってるわ」
レナはずっと笑っている。右手で髪をかきあげた。
「なんでそんな楽しいの? あんたの周り、楽しいヒトばっかりなんだけど」
「ただのアホの集まりだ。で? 十歳の小学生と遊ぶってのはできるわけ?」
レオとは違うのだろう。「なにして遊べばいいかわかんないけど、会うのはできる。なんならレオと二人で」
「レオがいる時は外かゲームかで遊ぶな。公園でバスケとかバドミントンとか、それかひたすらテレビゲーム」
「私、ゲームはよくわかんないけど──」彼女ははっとした。「──家に、行ってもいいってこと?」
「家じゃなきゃどこだよ? メグ連れてセンター街なんか行ったら、ゲーセンとゲームショップと雑貨屋の往復だぞ。オレが破産する」
家に、行っても、いい。さすがに、そこまで考えてはいなかった。
「なんだ。また感激してんのか。」
ライアンの言葉ではっとした。「や──」感激というのとは、おそらく、少し違う。「なんていうか、そんなこと、言われると思ってなかった」
電話越し、彼が笑う。「今さらじゃん。親父はあんま会ってないかもだけど、お前はおふくろとは会ってるわけだろ? 俺もお前のおふくろには何度か会ってるし、話筒抜けだし、もう今さら」
今さら。今さら。今さら。携帯電話を握る彼女の左手に、力がこもった。
「行く。春休み、レオが受験終わったら。それなりにゲームできるようになっとく」
「いや、レオがいるならお前はゲーム、しなくてもいいけど。で? 明日は? どうすんの?」
今度は心臓が揺れた。いつのまにか長電話になっている。
「そっちが決めて」と、彼女は言われるまえに言ってさしあげた。
「は? オレに決めさせたら夜まで待てとかなるぞ。いいわけ?」
レナはあっけにとられた。なにこいつ。想像の上をいく、みたいな。
「じゃあ二週間に一回のセンター街デートでもする?」
「なにすんの? 金使わない遊びなんてあんの?」
「じゃあジェニーたちを見習って図書館で──」
「却下」即答だった。「っていうかお前だって本とか読まねえだろ」
確かにそれほど読まない。「じゃあ映画でも観に行く? そしたら一定額で済むけど」
「んー。一回入っちまえば映画三本は観れるよな」
笑えるが。「六時間以上もじっとしてるなんてできるの?」
「絶対無理」また即答だった。「んじゃとりあえず、昼から家にくるか? 親父たちは仕事でいないし、メグも昼飯食ったらダチんとこ遊びに行くっつってた。夕方には帰ってくるだろうけど、それまでに家出てれば会わなくてすむ」
──家。ああ、ドキドキしてきた。
ライアンが続ける。「で、どっかで飯食ってお前の希望どおり泊まり。日曜はセンター街。で、どうよ」
なんだかまた猿扱いされているような気がするけれど、まあいい。ちゃんと考えてくれている。「そうする。メグが出かけたらメールか電話して。肉まん買っていくから」
「あとアイスな。適当に」
「わかった」




