SCENE 33 * MARY * With Gavin With Cyrus
マリーはギャヴィンと一緒に、センター街のファイブ・クラウドのはずれにある小さなCDショップ、“ゼスト・エヴァンス”の前に立った。彼女の大嫌いな場所だ。マニアックで素敵なインディーズCDがたくさんあり、小綺麗で、小洒落ていて、けれど浮かんでくるのは、あのアホ男の記憶。
彼女はその店を、睨むように見ていた。ギャヴィンとつきあいはじめ、思い出の上書き作業を繰り返し、彼への気持ちが強くなると同時に、去年つきあっていたあの男のことが、一時期でもあの男のことを本気で好きだった自分のことが、本当に腹立たしく思えてしかたない。
そんな彼女の右隣で、彼女の手をつないでいるギャヴィンも、ゼスト・エヴァンスの看板を見上げている。
「そうか。ここ、キライなのか」
彼女はぽかんとした。「知ってるの?」
「さあ、どうだろう」
笑ってそう言うと、彼は歩きだした。店のガラス戸を開ける。わけがわからないまま、マリーはついていくしかなかった。
店内は白い壁とライトブラウンのフローリング調の床がベースになっている。流行りとは違うマイナーそうでノリのいい音楽が静かに流れていて、壁から壁まで等間隔で並べられた黒いスチール棚には、すべてを聴くにはどれほどの時間が必要なのだろうという数のCDが並べられている。
そこまでは普通といえば普通なのだが、この店の最大の魅力は、CDを男性ボーカル、女性ボーカルと大きく分けてくれていて、その中で音楽のジャンル分けを大まかにしたり、どれだけアルバムの数が少ないマイナーなアーティストでもちゃんとインデックスを作ってくれていたり、グループかソロかで色分けしたり、ボーカルの声の特徴や音楽性を簡単に示したカードをつけてくれていることだ。そのうえ、頼めばほとんどのアルバムを視聴させてもらえる。つまり、ジャケット買いしてもハズレを引く可能性がとても低い。
これほど素敵な店なのに、なぜあのアホ男がきっかけで知ることになってしまったのだろうと、マリーは心底がっかりしていた。と言っても、それほどしょっちゅう訪れていたわけではないけれど。
店の奥へと進むと、カウンター内でチェアに腰をおろしていたなにかをしていた店長が顔を上げた。
「お、ギャヴィンじゃないか。ひさしぶりだな」
マリーは愕然とした。まさか知り合いなのか。
彼はどんどん歩く。「ひさしぶり、サイラス」
そしてふたりはついにカウンター前に立ってしまった。店長が彼女を見やり、また彼へと視線を戻す。
「めずらしいな、彼女連れてくるなんて」
「うん。近くまできたから紹介しとこうと思って。この子マリーっていうの。俺より歌好き」
彼女はパニックに陥っていた。ええと。ええと。ええと。だめだ、思考が働かない。「こんにちは」と、作り笑いで挨拶した。自分の顔を、というかあのアホ男のことを覚えていないといいけれど。
店長は微笑んだ。「やあ。俺はサイラス。この店の店長だ。何度か来てくれたな。友達と」
左手を差し出され、マリーはサイラスと握手をした。なんてやさしいの。だって私の右手は、ギャヴィンの左手の中にある。もう完全におかしくなっている。
「ええ」笑顔が引きつっていると、彼女は自分でもわかった。
「同じ高校か?」サイラスが訊いた。「ジャックやライアンとも友達?」
彼女はきょとんとした。
「そう」と答えてギャヴィンが彼女に言う。「マリー、この人はね、ジャックの叔父さんなんだよ。あいつの親父さんの弟。ありえないくらい正反対の性格した弟」
彼女は石になった。
もしかすると折りたたみ式かもしれない木製のチェアに背をあずけて腕を組み、サイラスは笑った。「失礼だな。まあそうだけど」
あまりの展開に、マリーは眩暈がしそうな状況に陥っている。
サイラスがギャヴィンに言う。「そういえば一ヶ月くらいまえだったか。年明け? ジャックがえらいべっぴんな女連れてきたぞ。二人で来たから彼女かと思ったら、違うとか言われた。さっぱり意味がわからん」
マリーは石になっている。
「ああ、ベビーブロンドのボブカットだよね。レナだよ。友達。今はライアンの彼女」
「マジか!」サイラスはカウンターに身を乗り出した。「あいつ一年近く女いないとか言ってたのに、けっきょく女作りやがったのか。あいつが酒飲めるようになったら、二人で寂しく酒盛りだと思ってたのに」
ギャヴィンが笑う。「だめだめ。あれは別れないよ、たぶん。今日も一緒にいるはずだし。ジャックの彼女は黒髪で、もっとチビなんだ。もっとって、小人じゃないけど。クリスたちにもまだ会わせてないらしいから、ここにくるのはもっと先じゃないかな」
「ほう? 年始に会ったが、あいつ今、かなり幸せそうだな。彼女の話になると、それほど顔には出さないものの、かなりアホっぽい。ノロケ満載」
「そうだよ。見てるこっちも恥ずかしくなるくらいラブラブ。って、死語な気もするけど」
「エレンもかなりボヤいてた。ジャックが彼女に会わせてくれないって。息子の心配もいいが義理の弟の嫁の心配もしてくれってな」
「いや、それはあれだよね。突然店閉めてどっかに消えるっていうクセをどうにかしなきゃだよね」
「なに言ってんだ。音楽はひらめきだぞ。思い立ったら即行動だぞ。なにか物足りないと思ったらすぐに飛び立つもんだ。国内の音楽だけじゃ物足りない。最近の若い奴らはすぐ誰かの真似をしようとするしな。見分けがつかん」
石になったマリーはずっと、サイラスの顔ばかりを見ている。──ジャックの叔父さん。
「まあわからなくもないけど」とギャヴィン。「とりあえず映画館の割引券ちょうだい。あとおすすめのインディーズCDもあったら。安いのなら買う」
センター街、ムーン・コート・ヴィレッジの近くには映画館があり、センター街にある一部の店──映画の宣伝に協力することのできる店では、映画館の割引券を客に渡すことができる。それもやはり少々変わっていて、その割引券さえ手に入れられれば、どの映画にでも使用できるだけでなく、無期限で使える。ただし噂では、子供は手に入れにくいという話だ。
「なに? お前、実はそれが目当てか」と、サイラス。
「そりゃそうだよ」ギャヴィンが顔をそらして少々遠い目をする。「じゃなきゃ自分の親にもまだ会わせてないのに、サイラスに紹介するためだけにくるわけ──」
サイラスはけらけらと笑った。
「言うな。よし、しょうがないから割引券は四枚やる。CDは二枚」
ギャヴィンは笑った。「やっぱサイラスは最高。ありがと」




