SCENE 20 * GAVIN * With Jack
マリーを家まで送ったギャヴィンは、再びバスに乗り、ウェスト・ランドにあるジャックの家へと向かった。
何度か電話したのに、ジャックはちっとも応じない。彼の母親であるエレンがいれば待たせてもらえるだろうし、彼がいないなら勝手にやってやろうと思い、ギャヴィンはジャックの家に来た。彼の部屋の明かりはついていない。いないのかもしれない、と思いながらも玄関ベルを鳴らした。相変わらず大きな家だ。
少し待つと、玄関のドアが開き、エレンが顔を出した。ギャヴィンの顔を見るなり、彼女は笑顔になった。
「あらギャヴィン! ひさしぶりね」
彼女はギャヴィンが知る親たちの中で、最もフレンドリーな性格だ。
「こんばんは。ジャックいる?」
「いると思うわよ。三十分くらい前に帰ってきて、声かけたんだけど無視されて」
ふくれ笑いながらそう言いつつも、ドアを支え、彼女は彼を中に通した。
「俺も電話、無視されてる」
「あら。やっとあの子も、本物の恋の青春が来たみたいなのよね」嬉しそうに言いながら、ドアを閉める。「もう悩みまくりって感じ」
本物の恋の青春というのは、どういうものなのだろう。「彼女のことは知ってんの?」
「よく話してくれるわ。会わせてって言ってるのに会わせてくれないけどね──」遠い目をしたかと思えば、また笑顔になった。「可愛い子なんでしょ?」
この親子は、本当に羨ましい。とギャヴィンは思った。「うん。すごく。俺の彼女には負けるかもしれないけど」と、言ってみた。
「あらあら。あなたにも恋人ができたのね? じゃあライアンと一緒に、今度全員連れてきてよ。あの子たちったら、私たちがいない時に限って家で遊ぶんですもの。ありえない」
「そうしたいところだけど、さすがに変だよ。まだ自分の親にも会わせてないのに」紹介などという大それたことを、できる年ではない。
「ああ、じゃあそっちが先ね。早く会わせなさいよ。そしたらみんなでうちにきて。それで私は、女の子たちと一緒に料理を作るの」両手を前で合わせ、無邪気に笑う。「娘がたくさんできたみたいにね。すごく楽しそう」
この人は、本当に楽しい人だ。「それはジャックと彼女たちしだい。特にライアンは照れると思うよ」どの親も彼女のようだと、もっと楽しいだろうに。
「ライアンは全員で説得しましょ。ダメだって言われても、彼女のほうを説得する。そうすればどうにかなるわ」
ギャヴィンは笑った。「考えとく」
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二階にあがると、ギャヴィンはジャックの部屋のドアを開けた。
暗かった。真っ暗だった。左手で壁を探り、照明のスイッチを入れた。
ぽかんとした。
ジャックが、死んだようにベッドにうつぶせになっている。ゆっくりとギャヴィンのほうを向くと、溜め息をつきたいかのような顔をした。
「もう時間切れか」
ギャヴィンはドアを閉める。
「なに。なんなの」
身体を起こしあぐらをかいたものの、彼は深くうつむいた。
「お前、どういう状況を邪魔したかわかってる? 今日一番の幸せの瞬間だったんだぞ。幸せすぎてどうしていいかわからないくらいの、ありえないくらいの極上の幸せの真っ只中だったんだぞ」
静かに責められている。呆れではない。怒っている。しかも怒りを通り越し、少々ヤケ気味になっている。よくわからないが、怖い。ギャヴィンはとんでもない罪悪感に襲われた。
「悪かったって。でも大事なことだし」変な意地だが。「マジでごめん」
彼はベッドに倒れるようにまた寝転んだ。今度は仰向けに。右手で両目を覆う。
「いいけどね。基本的にいつでも幸せだし。ただ強火でものすごく沸騰してたのが、不意打ちで弱火にされてちょっとおさまったってだけの話だし。まだ全然熱湯だし」
意味がわからない。
彼が続けて言う。「PCの電源は入れてあるから。そういうのにじゃないけど、使ってるサイトは開いてある。あとは勝手にやって。考えたらこっちも、なにがいいかなんてわかんないし。値段は気にしない」
ジャックが変だ。
だが深くつっこまないことにした。コートを脱いでチェアの背にかけ、けれどマリーが買ってくれたマフラーははずさず、PCデスクのチェアに腰かける。だがふとした考えが頭をよぎり、ジャックのほうを向いた。
「もしかして、もう誘ったわけ?」
「──誘った。来週の土曜。しかも、泊まり」
驚いた。「誘ったの、いつ?」
「昨日。」
「早!」ギャヴィンは思わず身を乗り出した。「約束っつったすぐあと? っていうか何時間後か? お前、どんだけ勇者なの?」
腕はおろさないまま、彼が力なく笑う。
「泊まるって言ってくれたのはむこう。親がいないってのは言ったし、泊まれなんて無茶は言わないけどって言ったら、僕がいいなら泊まりたいって。嬉しすぎて、泣きそうだった」
衝撃だ。ギャヴィンはチェアに背をあずけた。
「お前ら、すごいな。考えてることは一緒、みたいな。もちろん、そんな不純な動機じゃなくて」
そう言うと、ジャックは額まで腕を上げ、彼の視線を受け止めた。
「わかってくれるとは思わなかった」
それは、どういう意味だろう。「わかるよ。俺も今日、言った。そういうのはしなくていいけど、なんなら一日中ゲームでもいいけど、家に帰る時間とか考えずに、まる二日間て言えるくらい、ずっと一緒にいたいって。マリーもそう言ってくれた。あからさまなことは言ってないけどな。しかもまあ、抱きしめるってのは、向こうからされたわけだけど」
彼は笑って、曲げた左腕に頭を置いた。
「女の子、想像以上に大胆なんだけど」
ギャヴィンの口元もゆるんだ。「だな。でもその覚悟が、すげえ嬉しい」クソ女のことはともかく。「俺も勢いで注文しにきたけど、絶対ヤってやるって決意があるわけじゃないし。むしろちゃんとできるかが不安だし。一時はホント、そういうのを汚いとまで思ったわけだから。だから気分は、お前と一緒」
恐怖心や不安が大きい。だがそこには、マリーのことがとても好きで、触れたいという気持ちが入り混じっている。変な感じだ。
「うん。わかる」とジャック。「僕も昔、まだそういうのをちゃんと理解してなかった頃、ライアンに色々見せられて、気持ち悪いっていうか、怖いって思った。ジェニーと絶対そうなりたいとか思ってるわけじゃないけど、もしそうなったとして、ちゃんとできなかったらとか、考えたくない」
同感だ。「ふたりして失敗したら、最悪だな」
「その時はもう、ワインセラーからワインかっぱらって呑んでやる。やめろって言われても、呑んでやる」
ギャヴィンはすかさず反応した。「俺もつきあう。たった一晩でアル中になるんじゃないかっていうほど飲んでやる。次の日の学校がどうとか、そんなの考えない。失敗した時の恥に比べたら、学校だの法律だの、そんなもんクソ喰らえだ」
「だな。──でも、やめないか。さすがに、よけいに怖くなってきた」
それもやはり同感だ。「うん、やめよ。前向きに考えよ。とりあえず、注文しよ」




