SCENE 13 * MARY * With Gavin
二月七日、日曜日。
ムーン・コート・ヴィレッジ前でギャヴィンと待ち合わせたマリーは、彼と一緒にランチを食べ、センター街を歩いた。思い出の上書き作業だ。イヤな思い出を、ふたりの思い出で上書きしていく。
センター街はムーン・コート・ヴィレッジ周辺を中心に、いくつかのエリアに分かれている。もちろん普通の会社が多く存在するオフィスタウンもいくつかあるし、そこでなくても、一生訪れることなどないだろうと思うビルはどこにでも建っていて、もちろん年齢を問わないアーケードもあるのだが、雰囲気や対象年齢が少し変わってくるエリアがいくつか存在している。
そんなセンター街での思い出の上書き作業は、毎日できるわけではないということもあり、ギャヴィンとつきあってから一ヶ月、まだまだ終わりには程遠い。単に記憶を塗りつぶすだけでなく、言ってみれば、そこに新しい思い出を描くという作業もつけくわえるからだ。
だが時間が足りないというのは不満ではなく、むしろ彼女にとっては嬉しいことだった。終わらないでと思う。
昨日ギャヴィンと一緒にレナへのプレゼントを買い、前日ジェニーに教わったとおりに配達の手配をしたあと、ギャヴィンに似合いそうなマフラーを見つけ、彼に合わせた。思ったとおり似合っていた。だが値札を見た彼に拒否され、けっきょく三分の一ほどの値段の、白から黒までの数色と赤のストライプ柄フリンジマフラーをプレゼントした。彼はそれを、今日もつけてくれている。
一方マリーには、というかギャヴィンは、ペアのレザーブレスレットを買い、ふたりでつけることにした。ダークブラウンが彼でマリーはオレンジだ。ふたりでそれを左手首につけた。このくらいなら、体育の時でもなにも言われないだろうと。
その後帰宅すると、去年クリスマスのイベントでもらった、ギャヴィンとペアのストラップをつけたマリーの携帯電話に、ジェニーからメールが届いた。
《約束、実行したわ。来週の土曜、彼の家に行きます。っていっても、どう言おうか考えてた時、彼に言われたんだけど。それじゃ“自分から”っていう約束を果たしたことにならない気がしたから、泊まりに行きたいって言っちゃった。でもこれ以上は訊かないで。私もどうなるかわからないの。今もかなりドキドキしてて、どうしようもない。でもがんばる。 J》
それは約束した数時間後のことで、早いと思うよりもとても嬉しく、同時に、マリーはまた彼女を尊敬した。ジェニーはすごい。しかも、同じことをを考えているという部分では、ふたりの絆の深さを実感した。
《ちゃんと気持ちを伝えられるよう、祈ってる。がんばって。 M》
そう返事をした。
だが、マリーは。
──まだ、できてない。
「どうかした?」
少々気取った雰囲気のカフェショップの、真冬なせいか他には誰もいないオープンテラス。白い木製の丸テーブルで頭を抱えてうなだれる彼女にギャヴィンが訊いた。
マリーがはっとして顔を上げる。
「ごめん。なんでもない」
彼はテーブルに左肘をつき、手にあごを乗せて微笑んだ。
「気になるんですけど」
“抱きしめるタイミングが見当たらなくて”、などと、言えるわけがない。
「冬はいろいろとせつないな、と思って」
そう言って、彼女はホットココアの入った白いカップを両手で持ち、飲んだ。嘘ではない。なんだかおかしなことで悩んでいる気がしないこともないので、本当に、いろんな意味でせつなくなる。
彼が笑う。「ああ、わかる。超せつない。寒すぎてせつない。なんでイヤな思い出を消すために、こんなクソ寒い中でココアすすってんだって話」
マリーも苦笑った。「私のイヤな思い出もあなたのイヤな思い出も、なんでいちいちこういうところなのかしらね」
この店にはふたりとも、イヤな思い出があるようだ。それも店内ではなくオープンテラスに。もしかすると、なにかが違えば、ギャヴィンに会っていたかもしれない。そう思うと、とても変な感じがした。
「でもある意味、俺ら行きつけのバーガーショップとかじゃなくてよかったのかな。決まった店に入り浸る感じだと、大好きなバーガーすら食べられなくなる可能性があるわけで」
「一理ある」もし自分たちが別れたら、などということは、考えたくないので考えない。「私、一週間に一度はヴィレのフードコートのどこかでバーガーを食べないと落ち着かないもの」
ギャヴィンはまた笑った。「それは言えてる。俺は週二回は食べたいけど。あとフライドポテト。ナゲットは週一回。チキンは月一で食べたい」
彼女は曲げた両腕をテーブルの上で交差させた。
「あら。実はファーストフードが大好きなのね」
同じように両腕を置き、ギャヴィンは微笑んで身を乗り出す。
「君のほうが好きだけど」
声を潜めて言われたその言葉に、マリーの心臓は揺れた。同時に顔が真っ赤になった。
そして彼はまた笑う。「そういうところ、ほんとに好き」
素直に嬉しい。とても嬉しい。だがまずい。ドキドキが止まらない。これ以上はまずい。降参のしるしに、彼女は両手の平を見せた。
「お願いだから、からかわないで」
「でもホントだし」
もうだめだ。自分の心臓の音で彼の声まで聞こえなくなってしまいそうだ。「お願いだから。心臓が爆発する」今度からこの店を見るたび、そのセリフを、この感覚を、思い出す気がする。
彼はまだ笑っている。「ああ、それは困るな。じゃあ早くココア、飲も。で、とっととこんな店は出る。で、手をつないで、今度はボードウォークに行く。そしたらキスができる」
あああああ。マリーは発狂しそうになった。聞いていられず、再びテーブルに置いた両手に顔を伏せた。
「わかったから、ちょっと待って」
ありえない。ありえない。本当にまずい。この心臓の速さは、音は、尋常ではない。からかわれているだけだとしても、それでも嬉しい。こんな感覚は知らない。こんな感覚は、味わったことがない。
「──そのまま、聞いて」ギャヴィンは腕を伸ばし、指先で彼女の髪に触れた。「確かに、君の反応を見たくて言ってるってのもある。でもぜんぶ、嘘でも冗談でもない。君といると、ほんとに楽しい。癒される。一年前はぐちゃぐちゃだった自分の中身が、ぜんぶ嘘に思えるくらい。知り合えてよかったと思ってる。君がライアンの、ジャックの友達で、よかったと思ってる。正直ライアンに妬いたこともあるけど、それでも君があいつらの友達で、ほんとによかった。あいつらの周りに悪い人間はいないって思ってるから、君を心から信用できる。もちろん君自身を見ててもそう。──君には、感謝してる」
意外な、思わぬ言葉に、マリーの目に涙が浮かんだ。まさか嫉妬していてくれたとは。
いや、それよりも──自分も、同じように思っていた。ギャヴィンがライアンの友達でよかった。だから、悪い人ではないと信じられる。もちろんそれだけではなく、彼自信を見ていてもそう思う。
私は本当に、この人のことが好きだ。
“約束しない?”
彼女は顔を上げ、少々不満そうな表情を彼に向けた。
「このテーブル、邪魔」
再び身を乗り出し、ギャヴィンが微笑む。
「キスしたら消えるかな」
「あなたは魔法使いだから、できるかも」
知り合って二ヶ月も経たないうちに、こんなにあなたのことを、好きにさせた。
お互いにテーブルを身を乗り出した彼女たちは、半端な体勢でキスをした。
唇が離れると、ふたりして頬を赤くし、笑った。
またも小声でギャヴィンが言う。「もう、ココアはいらないか。まずいし」
「そうね。いらない。まずいし。苦いし。冷めたし」
「じゃあもう行こ」
「ええ」