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後編

 陽が落ちてからの村の広場は賑わっていた。狩り番の組衆の殆どがこの広場に居そうだった。ミアイは広場の隅に座っていた。換金所の内外は獲物を持ち帰った狩り人たちで混雑していた。そのまま金を下ろして食堂へ行く者や中に入った仲間を待っている者も居る。出入りする者たちの邪魔にならないよう、少し離れた場所で膝を抱えてじっとしていた。


 刻限ぎりぎりまで獲物を探しているのだろうか。テン組の戻りが遅かった。組頭くみがしらや仲間に楯突いてまで庇ってくれたタカにも礼を言いそびれてしまっていた。食あたりで腹を壊した後も、食事目当てで療養所の雑用をタカがやっていたのは知っていた。狩りは運に左右されるが、最も稼ぎの良い仕事の一つだ。それなのにタカは、食事も出来ないほど何に金を使っているのだろう。


 ふと広場を見ると荒れ放題の金髪頭が目に入った。散り始めた人波の上にタカの頭が見える。只人ただびとと比べ、狩りに携わる者はおよそ体格が良い。男衆としてもヤスとテンは上背のある方だが、その二人よりも肩幅が広く、更に背の高いタカはとても目立つ。それなのに、取り留めの無い事を考えていて気付くのに遅れた自分に腹が立った。立ち上がったミアイは広場を横切り人の間をすり抜けた。


 テンたちは既に広場の中央を過ぎ、換金所に向かっていた。シカの革で包んだ大きな包みの他に、足を括った鳩ほどの大きさの鳥を沢山ぶら下げていた。あの時間から新たな獲物を探すより、確実な収穫を選んだようだ。普段から縄張り内の野鳥の群生地や巣などを確認して残してあるのだろう。狩り組の中で、テンたちの稼ぎが常に上位なのも納得出来た。

 豊かな縄張りだからと、一時的な欲に駆られて根こそぎにすれば翌年以降の収穫が減ってしまう。新芽のうちに草を抜けば後の実りは得られないのだった。手ぶらで戻れば縄張りの使用料一日分が無駄になってしまう。獲物運に恵まれない日には、時期を考慮しながら草や果実などを上手く収穫をするのが理想的なのだ。




 換金所に着いたテンはヤスと二人で、シカの包みと十数羽のオジロヒワと、中くらいの袋を持って入って行った。袋の中身はオジロヒワの卵に違いない。タカはシムともう一人、先ほど居なかった褐色の髪の男衆と外で待っていた。同じ組に兄も居ると言っていたから、その男衆はタカの兄のカクだろう。

 近付いて声を掛けると三人とも振り返った。カクはともかく、シムはあからさまに『興味津々』な視線をぶつけてくる。それを背中で弾き返し、タカと一緒に二人から少し離れた建物の陰に移動する。五感の鋭い狩り人は総じて耳も良い。他人ひとには聞かれたくない内容なので小声で話し始めた。


「あの…………、さっきはありがとう。庇ってくれたしテンに口添えもしてくれて……。おかげで突き出されなくて済んだわ。本当にありがとう」

 本心からの感謝の言葉だった。

「気にしなくて良いさ。なあ、ミアイ、なんであんな事をしたんだ? あ……、いや……、無理に言わなくても良いんだが、でも、やっぱりちょっと気になってなあ……。今回は平気だったが、あんな事を続けてたら、いつか大変な事になるんじゃないのかと思っただけなんだが────」

 言いたい事を上手く整理出来ないまま、それでも自分を精一杯心配してくれるタカには感謝してもしきれない。

「大丈夫、二度としないと母の名に誓うわ。もうあんな風に捕まるなんて嫌だもの」

「そりゃあ、そうだよな」


 肩を竦めるミアイにタカはうんうんと頷いた。それでもやはり気になったらしく、タカは重ねて尋ねた。

「どうして縄張り荒らしなんて────」

「お帰りっ、テン! 稼ぎはどうだった?」

 シムは明らかにミアイたちにも聞こえるように言っていた。ミアイは換金所の出入り口が視界の隅に入るようにしていたのでテンとヤスが見えた。壁を背にしたタカは、見えないまでもそちらへ首を向けた。

「賠償金が分かったわね。テンに話もあるし………」

 そうか、と仲間の所へ行こうとしたタカをミアイが呼び止めた。振り返るとミアイの顔がすぐそばにあった。小柄なミアイはタカの胸に手を置いて背伸びをしていた。タカは頬に柔らかい感触を感じて固まってしまう。数秒後に唇を離したミアイは、小さくありがとうと呟いてテンに近付いて行った。

 頬に手を当て、耳まで赤くなったタカだけが取り残された。




 物陰から現れたミアイをシムが無遠慮にじろじろと眺める。

「タカはどうしたんだよ」

 えっ、と思わず声が出た。振り返るといない。てっきりすぐ後ろに居るものだと思っていたのだ。恩人に何したんだとぶつぶつこぼしつつミアイの出て来たところを覗き、頬を押さえてへたりこんだタカに声を掛ける。

「…………ぶたれたの?」

「ち…………、ちがっ────」

 どもって言葉にならないタカに困惑したシムも一緒にしゃがんで、なに? ナニ? と繰り返している。

「シカの値段を教えてもらえる?」

 そんな二人を気にせず、ミアイはテンを真っ直ぐに見上げた。


 テンが売値を告げるとミアイの目に動揺が走った。予想より一割以上も高かった。きっとイアンたちよりも上手く獲物を捌いたのだろう。やはりテン組は腕の良い狩り人が集まっているのだと思い知った。売値で一割増し、その三倍を払わなければならない。

「その……、払いの事なんだけど……。少し待ってもらいたいの」

「ああん? これ以上甘えるつもりなのかよ」

 不満の声を上げたのはやはりヤスだった。それでも小声だから気を使っているのだと分かる。タカとシムもやっと立ち上がり、今度こそ後ろに来ていた。


「まさか! そこまでわがまま言わないわ。さっき確かめたんだけど、貯えが足りなくて全部まとめては払えないの。貯えは全部渡して残りは稼ぎながらちゃんと払うつもり」

「貯えはどのくらいある?」

「シカの元値より少し多いくらい…………」

「三分の二も残るのか。お前、それ払い切れんのか?」

 テンとのやりとりにヤスが口を挟む。

「狩り運が悪くなければそれほど苦労しないだろう。狩りはこれからが本番だし、夏になればもっと収穫も期待出来るからな」

 テンは澱みなく応じた。まとめて払えないのを予想していたからだ。

「…………狩りにはしばらく出られないと思う。組を抜けたから次に狩りが出来るのはいつだか分からないの」


「ちょ! 何だよそれ!」

「おい、どういう事だ!」

 声を荒げて詰め寄るのも、目を丸くしてこいつは正気かと見返すのも尤もだ。それでもちゃんと説明しようとしたところで、一番会いたくない相手と目が合ってしまった。

 換金所の中から出て来たイアンがこちらに気付いたのだ。入って行くのを見逃した自分を、ミアイは心の中で罵った。イアンはテン組の全員を見渡すとさも嫌そうにミアイに視線を戻した。

「あらぁ、ミアイじゃない。『最後の狩り』はどうだったの?」

「…………失敗しくじったわ」

「まあ残念、それにしても凄いわねぇ。こっちの狩りは五人いっぺんにやってるのね」

 全く残念に聞こえない軽い口調だが目は笑っていない。軽蔑、侮蔑、嫌悪感。そういうものがごちゃ混ぜになった雰囲気だ。自分を見下して嘲笑わらう三人を見た途端、ミアイの我慢が限度を超えた。


「いい加減にして! わたしは誰にも色目なんか使ってないし、やってもいない事で貴女たちに笑いものにされる覚えもないわ。もう何の関係も無いんだから、わたしを突付き回すより、ビデスの気に入るように髪をカールするのに時間を使えば良いじゃない!」

「何だって!」

「彼は自分の妹に頼まれた薬を買うのにわたしに声を掛けて来ただけ。何度もそう言ったのに、貴女は一人で勝手に怒ってただけでしょ! そんなに気になる相手なら、誰かが捕まえないように紐で繋いでおきなさいよ!」


 今まで溜めこんだ毒を一気に吐き出したミアイは爽快な気分だった。イアンは顔色を赤や青やまだらに目まぐるしく変えていたが、タカやシムだけでなくその周囲にまで注目されているのに気付くと、不気味に沈黙した。

 ミアイも睨み返したが、決め手は色目を使われたらしい男五人だった。テンもヤスもミアイに肩入れしたつもりは無い。ただただ呆気にとられていただけなのだが、イアンにはそう見えたようだ。かしらのテンから始めて順番に男衆を睨み付け、ミアイの元・組衆三人は悪意を撒き散らしながら場から退場した。


「感じ悪いね」

 シムが素直な感想を口にする。イアンの後姿に向かってべーっと舌を出すとミアイは肩を竦めた。

「こういう事よ。組を抜けたから狩りには出られないの。でも、シャウナに頼んで治療所付きの狩り人にして貰えるようにしたわ。獲物を追うのに比べれば大分減るけど、わたしなら普通の治療師たちには行けない場所へも薬草を採りに行けるから、そこそこ稼げるはず。治療所の厨房で食事を済ませれば食費も浮くしね。どこかの組に入れるまでは少しずつになっちゃうんだけど……、それじゃだめ?」


 勝ち気なシャウナは大の男も平気で怒鳴りつけるようなところもあるが、仮病でなければ患者には優しく、とても頼れる治療所の責任者だ。褐色の肌と黒い髪の持ち主で、超がつく美人である。密かに彼女に想いを寄せる男も少なくない。ミアイにとってのシャウナは、個人的な悩みも聞いてくれる姉のような存在だった。


「いや……、それで良い」

「良かった。ヤスもそれで良い?」

「なんで俺にまで聞く」

「すごーく偉そうだから」

 笑いながらあっさりと言い切るミアイ。ヤスが何か言い返そうとするが、それもシムにあっさりと阻まれた。

「もう良いじゃん、テンが認めたんだから決まりだろ。腹減ったから早く飯にしようよ」

「迷惑を掛けたお詫びに夕食はご馳走するわ。これからしばらくは節約するのに食堂には行けないから、手持ちの小銭は景気良く使っちゃいたいの」

「ごちそーさん!」


 シムとミアイは気が合ったようだ。狩りは残念だったねなどと親しげに話している。イアンが嫌いだという一点でも同意見であれば意気投合出来るらしい。

 〈最後の狩り〉となれば必死になるのも当然だ。掟破りは許せないが、同情の余地はある。テンは黙したまま歩き出し、それを見たヤスも何事か考えていた。カクとタカは目配せと他人ひとには聞こえない心の会話を無意識に交わしながらついていく。



 ── ◇ ──



 食堂は酷く混雑していた。若者たちの熱気と様々な料理の匂いが混じり合って暑かった。ミアイとテンたち六人が座れる長卓に空きが無かったので、出来たての料理を並べた奥のカウンターで腹塞ぎの巻き肉をつまみながら待つ。手伝い兼給仕は居るが、混雑する時間帯に厨房から出て来る余裕は無い。狩りを終えた組衆たちの食欲は非常に旺盛で、空腹を満たすための料理を作るだけで精一杯だからだ。客自身も頼んだ料理が運ばれて来るのを待つより、給仕も後片付けもと自分たちで済ませてしまう方が早いと分かっているのだった。


 大して待つ事もなく五人組が長卓の一つから立ち上がった。目聡くシムが「手伝うよ」と声を掛けて一緒に皿を片付け始める。他にも待っている者たちは数人居たが、ミアイたちは長卓でないと全員が座れないのだから、もう少し待っていてもらおう。巻き肉の残りを口に放り込んだミアイは、空の盆を幾つか引っ掴んでシムに渡した。素早く取って返すとカウンターの巻き肉を給仕のナナイに頼み、自分でも指くらいの太さの茹でたインゲンを皿に盛った。


 財布の中から適当に掴んだ硬貨を手付けとしてナナイに渡し、皿二つと清潔そうな台布巾を持って卓に戻った。シムに料理の皿を渡すと、食器の積み上がった盆を近くに居たカクとヤスに押し付ける。五人組は手際の良さを褒めると、笑いながら後を任せて出て行った。料理を持たせたまま、卓の上を拭いた布巾を最後の盆に放り出すと、にっこり笑ってタカに渡した。盆を使用済みの食器置き場へ下げに行くタカを尻目に料理を選びに行く。

みんなと座ってて、すぐに料理を持って行くから」

 所在無さげに立っていたテンを卓に追いやる。


 料理を頼みながら雑談する。ナナイも治療師の修練をしているので顔見知りだ。気になるらしく、ちらちらと卓へ目をやる。

「今日はテンたちと一緒なの?」

「わたしの組抜け祝いなの。一人じゃ寂しいから付き合って貰ったのよ」

 さすがに掟破りを目溢めこぼしされた礼だとは言えなかった。豊かな黒髪をお下げにしたナナイが、手慣れた様子で選んだ料理を盛り付けていく。途中で何度か皿を運ぶ。もう良いかな、と思っているところに茹でたてのオジロヒワの卵が出て来た。家禽の卵より小ぶりだが味は濃厚で、ミアイの好物なのである。それも頼むと払いを済ませ、人数分のフォークとスプーンも一緒に持って行く。


 卓には料理が所狭しと並んでいたが、無理に卵も置いてミアイもベンチに座る。目の前のテンがパンを配っていた。隣のタカも自分の皿にたっぷりと肉を取り分けている。ミアイも急いで目の前のインゲンと家畜の肉を炙ったものと、一番の目当ての茹で卵を皿に載せた。ミアイがパンを受け取ると食事が始まった。


「自然の恵みに感謝を。……いただきます!」

 シムが炙り肉の薄切りと根菜をこれでもかと口に詰め込む。男たちは旺盛な食欲を発揮していた。そんな男たちを尻目にミアイは卵の殻を剥いていた。

 先ほど初めてカクを間近で見たが、弟のタカとはあまり似ていなかった。テンやヤスと同じ男衆らしい引き締まった細身の身体つき、褐色の髪と長い睫毛が縁取る青い瞳。とても端正で涼やかな顔立ちだ。甘く整った容貌でにこりと笑えば、若い娘の気を引くのは容易いだろう。ミアイが色目を使ったのだと、イアンたちがいきり立つのも分かるような気がした。シムの向かいに座るカクの姿は、タカの陰になっていてよく見えない。


 しかし、目下のミアイは手元の卵に夢中だった。鼻歌を歌いながら殻を剥き終えると、野菜を彩り良く散らしたパンの中央に薄切り肉を縦長に配置した。その上に卵を置いてナイフで割る。ちょうど良い半熟加減で、中からトロリと黄身が流れ出た。荒く刻んで白身と黄身を混ぜると、ナイフについた黄身も無駄にせずパンになすり付けた。最後に炙り肉から染み出した肉汁をたっぷりと垂らして塩を一つまみ足した。汁気の多い具が垂れないよう摘んで押さえたパンの端にかぶりつく。

「ん~~~! 美味しいっ!」

 幸せそうにまたかぶりつく。自分の世界に浸ってもぐもぐやっていたが、食べ終えて口の端についた黄身を指で拭ったところで、注目されているのに気付いた。


「…………オレもやる。卵とって」

 シムに卵の入ったザルを渡そうとすると一斉に手が伸びた。

「肉は巻き肉でも良いよね」

「野菜も乗せるの」

 肉だけで良いとこぼすシムに、野菜も食べなさいと説教する。

「半熟卵だからちょっと剥き辛いでしょ。割って黄身をこぼすともったいないわ。パンを用意するからゆっくり剥いてて」

 新たに切り分けた五人分のパンに肉や野菜を同じように乗せ、肉汁と塩も先に振り掛けてしまう。殻を剥き終わった順にパンを渡していった。

「刻んで黄身と白身を混ぜれば出来上がり。鶏のでも美味しいけど、やっぱりヒワの卵が一番なのよねぇ」


 ヤスも気に入ったらしく、次のパンと茹で卵を取っていた。薄切り肉に付け合せで乗っている芥子からし菜を指差してこれも合うと教えると、自分の皿に確保してから卵を剥いて行く。最後まで殻剥きに苦労していたのはシムだった。

「俺たちが獲ってきた卵だろ、これ」

「たぶんそうよ。また獲って来てね」

 期待してるからと愛想良く手をひらひらさせた。やっとありついたシムが喜びの声を上げる。


 ミアイは次のパンをとろうとしたが、残りは一枚だったので、お代わりを取ってくるか尋ねる。パンは貴重なので余らせるのは嫌だった。東ガラットは山裾なので広い畑は作れない。麦は街から買い付けるのだ。

 テンはパンを断って、二個目の卵を深皿に入れてスプーンで割っていた。褐色のシチューに黄金色の黄身が筋を引いている。


「それも美味そうだね」

「美味しいわよ」

 深皿に鍋で買っておいたシチューを注ぎ足して渡す。シムは片手に皿、片手に齧りかけのパンを持ち、どうやって卵の殻剥きをするか悩んでいるらしい。殻を剥いてあった自分の卵を渡してやると、礼を言って受け取りシチューにそっと入れる。どうやらまとめて味わう事にしたようだ。

「ヒワの卵はやっぱり美味いなぁ」

「だからいつでも良い値が付くんだろ」

「炙り肉の皿を取ってくれ」

「お芋は足りる?」

 食事は始まったばかりだった。




 ミアイにとっては久々に楽しい食事だった。あれこれと話すうちに空腹と一緒に精神こころも満たされていった。テンとヤスも最初の印象よりずっと穏やかな性格のように思う。まあ、掟破りに対して厳しい態度を取るのは当たり前なのだが。特にテンは無愛想でも不機嫌でもない。シムやカクのように口数が多い訳ではないが、必要な会話はするし冗談にも笑っている。


「どうした?」

 ふいに物思いを破られたミアイは飛び上がりそうになってしまった。テンの黒い瞳が真っ直ぐに自分を見ている。楽しい食事をぶち壊すかも知れないと心配になったが、実はミアイにはまだ重要な用件が残っているのだった。

「あの……、シカの事なんだけど、ナイフが刺さってなかった? 失くなっていたなら構わないんだけど。もしあったのなら、買い戻したいから処分しないでもらえないかな…………」


 狩りの途中で獲物が別の縄張りへ逃げた場合、それまでに射ち込んだやじりやナイフは獲物を仕留めた側に所有権があるのだ。途中で道具が落ちてもその場所が他所の縄張りなら元の持ち主は諦めるか、拾った者から買い戻すしかない。最初の一撃に使ったナイフが刺さったままシカは逃走してしまった。ミアイは稼ぎよりも、ナイフを諦められず縄張りを侵したのだった。

 テンはベルトのポーチから布にくるんだ細長いものを取り出し、卓の上に中身を置いた。見覚えのあるナイフにミアイの視線が吸い寄せられる。

「ちゃんと買い戻すから売らないで。…………お願い」

 手入れさえしっかりやれば道具は長持ちするのだ。使い込んだ柄も新しい物と交換すれば見栄えが良くなるので値は上がる。処分される前に買い戻したかった。

「三万だ」


 賠償金と同じで相場を割るほどではないが安めだった。それでも今のミアイに三万マールは即金で払えない。夕食の代金を払う前でも足りなかったのだ。すぐに代金を用意出来ないのはテンも承知しているはずだ。残金を訊かれ、財布にしている小袋の口を開けてナイフの隣へ置いた。

「換金所に預けてある以外にはこれだけ…………」

「……食事代ここは俺が持とう」

「え?」

「お前はこれを買い戻せば良い」


 ミアイの財布を逆さにして中の硬貨を出すと、金額を確かめもせずに自分の財布に落とし込んだ。そしてナイフの柄をミアイに向けて差し出す。

「お前はナイフの代金を払い、俺は受け取った。飯は俺が払う。後で組の共同基金かねに俺の貯えから三万移せば同じだろう。…………まだ不満か?」

 怒っているような口ぶりだが目元が笑っている。言葉に詰まったミアイをからかっているのだった。


「ありがとう。大事な物だったの」

今日の自分は謝るか礼を言ってばかりだ、とミアイは思った。古びた柄を指で撫でる。獲物の血と脂はきれいに拭き取られ、手入れ用の油が塗ってあった。錆びも曇りも無いそれを腰の後ろの鞘に戻す。

「道具が無ければ、狩りに出られるようになっても稼げないからな」

 幸い場の雰囲気は悪くならなかった。皆はこちらのやりとりを気にしてはいるものの、食事は続けている。テンも話は終わりだと言うように茹でた根菜を深皿にたっぷりよそった。空のシチュー鍋に気付いて眉をしかめる。買い足しに行こうと腰を浮かせたミアイをテンが止めた。そういえば手持ちも銀行の貯えも全く無いのだった。


「俺が持つと言ったはずだ。同じもので良いか?」

「鶏のシチューもあったんじゃないか?」

「あ、そっちのが良い」

 他にも賛同の声が上がる。テンはそれに頷いてカウンターへ向かう。

 食堂の混雑もましになり、待たずに座れるようになっていた。狩り人たちと入れ替わりで村の者たちが食事に来ていた。空いた卓がぽつぽつあるが、まだまだ盛況でナナイも大忙しだ。注文した料理を卓の仲間に運ぶ二人連れが何度も往復している。テンは並んで順番を待っているので、ミアイはその間に空の皿を集めて重ねた。少しだけ残った料理も別の皿に移して更に積み上げる。食べ終えた料理の皿や椀を片付けると、卓の上がすっきりした。


 テンの買った追加のシチューや残っていた料理も全て腹に収まった。最後に残っていた根菜は強制的にシムの口に放り込んで処分する。腹の隙間が埋まって皆満足そうだ。食器を卓の端にまとめてから食後の香茶をすすっていると、香ばしさと甘さの入り混じった匂いが漂って来た。満足するまで食べたはずなのに甘味への誘惑は強かった。

「お、新しいパイだな」

「何のパイかなあ」

「ヒメイチゴとかぼちゃだって、さっき食器を片付けた時に教えてもらったの」

「両方だな」


 ヤスの言葉が合図になったようにカウンターにパイが並べられた。テンが瞬く間に二種類ともホールで持ち帰る。後から取りに行った者たちは切り分けたものを人数分買っていた。テンがかぼちゃのパイを、ベリーのほうをカクがナイフで切り分ける。小麦粉と同じく砂糖も貴重なのに、菓子をこんなに沢山買えるなんてとミアイは密かに驚いていた。組の稼ぎが安定しているし、テンはかしらだから他の組衆より取り分が多いはずだ。パイのような贅沢品でも躊躇わずに買えるのが羨ましかった。


 暗い気分を振り払うように、ほっこりしたかぼちゃのパイを口に運ぶ。オレンジ色のペーストはかぼちゃの甘みと香りがたっぷり詰まっていて美味だった。半分くらい腹に収めると、ベリーのパイをナイフで切り、半切れを元の皿に戻す。

「お腹一杯で食べきれないから誰か食べて」

 シムが真っ先に名乗りを上げ、ヤスとタカもそれに続く。パイからこぼれたベリーをカクがさりげなく拾って口に放り込んだ。


「オレはこれだけで良い」

「『だけ』じゃないだろ! 勝手に持って行くなよ!」

 シムは本気で泣き怒りしている。ヤスとタカも視線を突き刺しているが、カクは全く気にせず自分のパイを悠然と口に運ぶ。

「みっともない真似をするな。これで足りるだろう」

 テンが眉根を寄せて諌めた。自分の皿から、まだ手付かずだったヒメイチゴのパイを二等分して中央の皿に置く。


 三人は追加のパイを満足げに各自の皿に移した。シムが皿に溢れたジャムをパイ皮で集めている。

「今夜のテンは気前が良いよね。あ、いつもが吝嗇けちだって意味じゃないよ」

「そりゃそうだ、えらくご機嫌だよな。なあ、テン」

「…………別に」

「ほほぉ~、じゃあ嫌な気分てぇコトかぁ?」

 ヤスはわざとらしくテンを上から下まで見渡して、酷く意地の悪い笑い方をした。

「…………そうじゃないが」

 わざとらしくテンの十八番おはこを奪うような、長い長い溜め息をついてみせる。

「あのなあ、今夜のお前は上機嫌で、はしゃいでいると言っても良いくらいだ。理由も予想がつくというか、それしか思い浮かばん。とっとと白状しろって」


 テンはどことなく恨みがましい様子でヤスを睨んでいる。隠し事を見付かった子供みたいとミアイは思った。言いたいのにどう言えば良いのか分からないという体で考え込んでいたが、それでも意を決したらしく真っ直ぐミアイに向き直った。

「その…………、お前に聞きたい事がある」

 いざ切り出したたものの先が続かず、じっとミアイを見詰めたままだ。ミアイは突然、訳も無くこの場から逃げ出したいという衝動に駆られた。テンは…………、テンたちは縄張りを荒らしたミアイに対してとても良くしてくれたのだ。きっと悪い事にはならないはず…………。


「……明日あす、俺たちと一緒に狩りに行ってみないか?」

 ミアイの顎がかくんと落ちる。目も大きく見開いて、顔に大きく『信じられない』と書いてある。一度話し出すと腹が据わったのか、テンがミアイに熱く語る。

「実は前から〈囮〉を増やす事を考えてはいたんだ。俺たちの縄張りは豊かで獲物も多い。もう一人〈囮〉がいればもっと手際よく獲物を囲い込めるだろう。

 俺たちの縄張りには奥の聖地から溢れた大型のヒグマもうろつくんだ。……何度か試したが、大きな獲物だと〈囮〉の負担が大き過ぎて途中で諦めたりもした。だが、もう一人いれば、俺たちなら大型のヒグマやイノシシでも狩れる」


 身体が大きく気性の荒いヒグマやイノシシは、小型なら手こずらずに狩れる。だが中型以上の大きさを相手に出来るのは経験豊かな技量うでの良い者たちだけだ。ミアイやテンたちのように、数年の経験しかない若い狩り人たちが安易に手を出せるような獲物ではない。しかし、テンはそれが可能だと言っている。ミアイはテンについては殆ど何も知らないが、無謀とは縁遠く慎重な性質たちだと感じていた。テンが出来ると言えば、本当に出来そうな気がした。

 しかし、新たな疑問も湧いた。何故自分なのだろう。テンたちほどの高収入かせぎなら他の組からの引き抜きも出来るだろうに。掟を破って縄張りへ侵入し、迷惑を掛けたはずの自分を誘ってくれている。どうして自分なのかを素直に尋ねてみた。


「お前がシカを追っているのを見ていた、……それは言ったな。すぐに囮役だと分かる良い動きだった。シカを誘導するのも焦らなければ成功していたと思う。必死に鹿の進路を変えようとしているのを見ているうちに、狩り人としてお前の将来を潰すのが惜しくなった。

 突き出されてしまえば狩りに限らずまともな仕事は出来なくなるだろう。お前ならもっと良い狩りが出来ると思った。狩り運と、良い仲間とに恵まれれば…………。

 だから、タカの方から言い出してくれて丁度良かった。アシュトンもガリも、もちろん俺たちも言い触らしたりはしないから、賠償金かねだけで済めばお前が狩りを続けるのに何も支障は無い。組を抜けたというなら尚のこと丁度良い」


 ミアイにとってはこれ以上無い申し出だった。余りに上手く行き過ぎて目眩めまいがする。きっと一生分の幸運を全部使い切ってしまって、この先は悪い事だけになるんだ……。


「もちろんすり合せはする。試してみて合わないとなったら、お前には悪いが他の組を探してもらう事になる。それでも良ければ何日か試してみないか?」

「ごちゃごちゃ言わずに『お前が気に入った』て言ゃあ良いんだよ。……俺もお前の脚力あしは中々だと思ったからな。テンに賛成だ」

 ヤスがにやりと笑う。タカは自分の事のように喜んでミアイの背中を何度も叩いていた。

「良かったなあ、ほんとに良かったなあ。これですぐに賠償金かねも返せるぞ」

「俺もミアイは好きだよ。たぶん上手くやれると思う」

 小柄で俊敏そうなシムは典型的な『囮』だ。ミアイが入るとなればシムとの呼吸が一番大事になってくる。


「まだ本決まりじゃない」

「…………で、返事は?」

 テンが釘を刺すが誰も聞いておらず、カクがミアイを最悪な未来予想から引き戻した。当事者の意思より随分先へ進んでしまった話に、やっと追い付いたミアイだった。

「こんな事って…………、あの……、どう言ったら良いか…………」

「お前を見てたのは俺とテンだけだけどな。組衆こいつらもお前の脚力あしには一目置くと思うぞ」


 ヤスの言葉に背中を押されて、やっとミアイは言った。

「あの、ありがとう……。改めてよろしくね」

「よろしくね、ミアイ」

 シムが笑い掛ける。

「よろしくな」

 カクとヤスも続き、タカはにこにこと笑っている。歓迎以外の何物でもない態度だった。


「だから……、まだ試してみるだけだと……」

「一番乗り気なのはお前なのに御託並べてんじゃねえよ!」

「……………よろしく頼む。明日はいつも通り夜明け前に広場に集合だ」

 とうとうテンも観念して挨拶する。最後のひとかけを口に入れ、自分の皿をパイ皿に重ねた。ミアイたちも皿を重ねてお開きになる。

 女衆の寮に帰って休もうと立ち上がったミアイだったが、またも自分に悪態をついた。

「シャウナの所へ寄らなくちゃ! 狩りに出られるのを知らせなきゃいけないんだった! ごちそうさま、テン、色々ありがとう。みんなもお休みなさい、また明日ね」

 慌しく食堂を出て行くミアイを見送った男衆も、明日に備えて寮に戻った。



 ── ◇ ──



 翌朝ミアイは夜明けの半刻前に広場に着いた。狩りの開始は夜明けと同時なので、狩り番の組衆が集まり始めていた。テン組はまだ誰も姿が見えなかったので、大人しく待っていた。徐々に人が増え、それぞれが仲間と挨拶を交わしていた。換金所の朝当番に狩りに出る組衆の人数と、使う縄張りを申告してから狩りに向かうのだ。


 その中に毛色の違う者たちが居た。動きやすいようズボンを履いているが、明らかに狩り人ではない女たちの群れ。それと少し離れて三人の女が居る。引き締まった身体の狩り人風で、腰の後ろに鉈、丈夫な革ベルトに小物を入れたポーチやナイフをいくつも着けていた。そのうちの一人がミアイを見て声を掛ける。

「ミアイ? ああ、やっぱりミアイだわ。久しぶりね、元気だった?」

「ナタル? ほんとに久しぶり。あなたこそ元気そうね」

「今はナタリアよ」

 相手の背中に腕を回し、頬を寄せて抱き合う。以前より伸びた褐色の髪から薬草の良い香りがした。ナタルと呼ばれた女は穏やかだが、誇らしさを滲ませて訂正した。

「ごめんなさい、そうだったわね。つい忘れちゃって……」


 女衆が結婚する時は、狩り人を続けるかどうかを選択しなければならない。資格を保ち続けるには、狩り人の夫から『挑戦』を申し込まれる必要があった。女は自身を獲物として逃げ、男がそれを捕まえれば結婚という運びになる。男衆は人生の伴侶として、また、狩り人として尊敬するに足るかどうかを示して認めさせる。もし申し込んできたのが嫌な相手なら、『挑戦』を受けるに足らぬと蹴ってしまえば良い。女は想う男に捕まってやるのだ。ナタリアの夫は狩り人ではなかったので、結婚を決めれば自動的に引退だ。

 狩り人の素質有りと認められれば見習いの若衆になれる。その時に掟にのっとって名前を変える事もある。女衆ナタルはただの女ナタリアに戻ったのだ。それでもナタリアはとても幸せそうに見える。


「あれ? でも、確か……」

「ええ、先月子供が産まれたわ。元気な男の子よ」

「おめでとう、良かったわね」

 遅まきながら、ナタリアが西の集落に住んでいたのを思い出した。自宅に薬を用意し、ちょっとした病気や怪我などを診ているらしい。


「体力も大分戻ったから久しぶりに遠出するの。治療所の仕事で薬草の収穫に行くから、獲物を狩る訳じゃ無いんだけどね」

 引退したナタリアの狩り支度もそれで合点が行った。狩り支度をした他の二人もかつての女衆だったのだ。村の治療所の薬を補充するついでに、自分の所へも回してもらう手はずなのだろう。昨日シャウナに頼み込んだ時も、遠出できる女衆が欲しいと言っていたように思う。何某かの稼ぎを得なければと必死で細かい内容まで覚えていなかったが。


「あなたはどうなの? イアンたちとたっぷり稼いでる?」

「おはよ、ミアイ。そろそろみんな来ると思うよ。オレだけ西寮だから近いんだよね」

 問い掛けへの答えはシムの眠そうな声だった。盛大に欠伸あくびをして伸びをすると、身体中がぱきぱきと鳴っている。

 シムを見たナタリアは何か言いたげにミアイを見ただけだった。日の出間近の朝焼けの中、広場の端に見覚えのある四人が降り立つのが見えた。ヤスを先頭に三人はシムとミアイに近付いて来る。テン一人が離れて換金所へ向かった。


「おはよう」

 ミアイから声を掛けた。三人も口々に挨拶を返す。ナタリアが心配そうにミアイの髪を撫でた。

「…………そうだったの。今度は平気そう?」

「せっかく新しい組を見つけてくれたのにごめんなさい」

「そんなの気にしなくて良いの。わたしの方こそ途中で放り出すような真似をしたんだもの。あなたたちには悪いと思ってるのよ」

 女たちの一団がナタリアを呼んだ。出発の時刻だった。

「あなたの狩りに幸運を」

「あなたにも幸運を」

 ナタリアが頬にそっと唇を押し当てて狩り運を〈自然〉に祈る。ミアイも同じように狩り運を願った。

 このをよろしくね、とヤスたちに言い残してナタリアは樹上に飛んだ。残った女たちも同じ方角へ歩いて行った。


「…………で、だれ?」

 仲の良い姉妹のような雰囲気を壊したくなかったので、シムも口を挟まずにいたのだった。

「わたしが若衆を抜けて最初に入った組のひと。色々な事を教わったわ。イアンのところはその次に入ったの」

「二度も組を変えてるのか……?」

 ヤスの声が警戒の色を帯びた。揉め事を起こしては別の組に移る事を繰り返す者もいる。


「好きで変えた訳じゃないと思うぞ。一、二年前に解散した組の頭だったと思うが。……確か狩り人を降りたはずだ」

 すぐ後ろに来ていたテンが否定した。

 女衆が狩り人を降りる──資格を放棄する──のは、男衆以外の者と結婚するからだとヤスも思い至った。それなら別の誰かが頭になれば済むのではないのか。

「女衆四人の組だったんだけど、かしらのナタルと一緒にもう一人も狩り人を降りちゃったのよ。残ったわたしともう一人じゃあ頭になれるほどの経験が無いから、そのまま組は解散したわけ。他の組へ入れてもらおうとしたんだけど、若衆を抜けて一年しか経ってないわたしはどこも入れてくれるところが無くて……。ナタルがイアンに頼み込んでくれたの」

 結局は半年も持たなかったけど、と自嘲気味に笑う。


「そのイアンはまだ居るはずだな」

 テンは不機嫌そうに眉根を寄せて周りを探している。

「あの嫌味女に用なんてあんの……?」

 シムは嫌悪感を隠しもしない。

「ミアイはまだイアンの組衆になっていた。このままだと俺たち全員が狩りを諦めるか、ミアイを置いて行くかしかない」

収穫かせぎを無駄にさせる気かよ! あの根性悪女!」

 申告していない者を狩り場に同行する事は許されていない。組衆の移動は新旧両方の組頭の同意が必要だが、イアンがそれを知らないはずはない。今朝の確認で組衆から外していない方がおかしいのだ。焦って全員が周りを見渡す。

 そして───。

「いた!」

 シムが指を差した先にイアン、グエン、ドナイの三人の女衆が見えた。広場の端に向かっている。


「イアン!」

 テンが良く通る声で呼ぶがそのまま歩いて行く。ドナイがこちらを振り返ったのだから、聞こえていないはずは無い。もう一度呼び掛けたが、今度は三人とも足を速めただけだった。このまま狩りに出るつもりなのだ。

 収穫は申告しなければ収入にならない。組分けはそのままにして日持ちのする果実や薬草類を縄張りのどこかに保管しておく。数日後に組衆の移動手続きをしてから収穫を換金所に持ち込めば、ミアイには稼ぎの分け前は無いのだ。狩り組の移動どころか、その期間は別の仕事への登録も出来なくなってしまう。昨夜やり込められた腹いせに、『最後の狩り』に失敗したミアイへの経済的な嫌がらせだと誰でも分かる。


 シムが素早く動いた。人の間をすり抜けイアンたちとの距離を縮める。

「イアン! 待て!!」

 広場にテンの怒声が響く中、イアンたちはそのまま走り出そうとした。

「!?」

 一気に広場の半分を移動したシムがイアンの前に回り込んでいた。幼さを強く残した顔に凄味のある表情が浮かんでいた。いつの間に追い抜いたものか、シムの隣にカクも並び、イアンの行く手を塞ぐ。最後に追いついたヤスが威圧的に凍てつく視線を浴びせる。無言で睨み続け、換金所へ行けと顎で示す。タカとテンはミアイの傍で怒りの壁を作っていた。ヤスの視線に追い立てられたイアンと共に手続きを済ませたが、その間テンはイアンを見ようともしなかった。必要な間だけ換金所に居たテンは、引き攣った形相のイアンを残して仲間の元に戻ろうとした。




「おいおい、朝っぱらから何を騒いでる」

 呆れたような声の主にテンの表情が緩んだ。振り返って苦笑する。

「もう終わった」

「終わってない! こいつは……、テンたちはあたしを脅したんだ!」イアンが声の主に必死に訴えた。

「脅すって……、穏やかじゃないな」

 短めの明るい金髪と暗緑色の暖かい瞳の持ち主はまだ若い男だったが、態度を改めて説明を求めた。


「組の男衆があたしを取り囲んで脅したんだ!」

「何度も呼んだが聞こえなかったらしい」

「狩りに出るところだったのに!」

「狩りの妨害?」

「そうよ!」

「違う」

 イアンとテンが同時に逆の意を述べる。金髪の男は、まずイアンに話をさせてからテンに向き直った。イアンは囲んで脅されたと主張するだけで、そうなった経緯についてはきれいさっぱり忘れてしまっているようだった。


「組衆の移動を換金所に申告せずに狩りに出ようとしたから止めた。そのまま狩りに行かれてしまうのは困る。狩りを妨害をされたのは俺たちの方だ」

 要点だけのテンの話を聞いた男が、額に手をやりうーんと唸る。

「テンたちが怒るのも無理ないと思うぞ、イアン。稼ぎに影響すれば誰だって頭に血が上るだろう。次からは手続きに不備の無いよう計らってくれ。それと、テンも男衆に力尽くで事を進めないようによく言っておいてくれ。今後は二人とも組頭として自重してくれよ」


 慣れた様子で仲裁する。両方へ注意してその場を治めた。

「分かった」

「…………気を付けるわ」

 重い口調でイアンも了承する。ここでゴネて悪い印象を持たれなくないのだった。ふと、テンが思い出したように口を開いた。

「後で話がある。少し時間を取ってくれ」

「急に言われてもなあ……。予定が詰まってて半刻だって空けられるかどうかわからん」


 東ガラット地方の領主で、部族のおさでもあるガリは多忙なのだ。いにしえの血を受け継ぐ最後の一人なのだから長も何も無いのだが、領主なのは間違いない。長は敬意を込めて一族の名である〈テス〉と呼ばれる。

「狩りの組頭からテスへの正式な要請だ、稼ぎに関係がある。……とは言え、とりあえずお前の耳に入れさえすれば良いから、飯を食いながらでも構わないぞ」

「ふむ、それなら何とかなるか……。久しぶりに酒でもどうだ」

「狩りの後で顔を出す」

 ガリはテンの背に向かって、胸に手をあてて〈自然〉に狩り運を祈る仕草をした。辺りはすっかり明るくなっていた。他の組衆はとっくに狩り場に出発してしまっていて、広場にはイアンとテンの各組衆しか残っていなかった。


「ガリと仲が良いのね」

 ミアイもガリの顔を知ってはいるが、ちゃんと話をした事は無い。

「俺もガリもこの村の生まれだ。年齢としも近いし幼馴染みだな」

「年下のガリはあなたの子分だったのね」

「? ガリは俺より年上だぞ」

 三つ年上の二十二歳だと聞いたミアイの目が大きく見開かれ、絶句する。

「う、そ…………、じゃあテンはまだ十九なの!? ずっと年寄り臭いのに」

 今度はテンが絶句する番だった。年寄り扱いされてはっきりと傷付いたその表情かおは、幼ささえ感じさせた。眉根を寄せてぶつぶつと呟いているところからして、あんまりだと文句でも言っているのだろう。


「小難しい表情かおして分別臭いことばかり言うから老けて見られんだよ」

 ヤスの評価は的確だった。

「あ~あ、言っちゃった」

 シムの身も蓋も無い物言いに晒されたテンは、更に不機嫌になった。

「……うるさい! これ以上遅れないうちに狩りに出るぞ!」

「いつでも良いよ~」

 皆自然と身に付いた移動用の隊形を取った。テンとシムが前、カクとタカが中央、どうしたものかとじっとしているミアイの隣に最後尾のヤスが来て、タカに付いて行けと指示する。

「行くぞ!」

 頭の合図でテン組の六人は狩り場に出発した。今日も良い狩り日和になりそうだった。


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