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道化の造った英雄譚  作者: えそら
神無月
10/11

9話 爪先が触れた程度の

 馬車は進むよ何処までも。

 幾つかの街を経由して、幾つかの夜をえて、幾つかの魔物を退けて。

 ゆったり馬車は王都へ向かう。


 この旅でサイカは基本的に何の苦労もしなかった。

 夜の警戒は冒険者の役割で、魔物が出ても冒険者があしらった。

 槍使いの女性冒険者なのだが凄く有能である。聞いた話では冒険者ランクはCランクらしい。ちなみにCランクまで来ればもう熟練者と呼んで良いのだとか。


 この旅路の至れり尽くせり具合は中々だ。

 冒険者の指定や馬車の用意を公爵家がしただけはある。

 確かに公爵家が用意した馬車としてはあまり豪勢ではない。だが乗せる相手は単なる街人だ。それを考えれば充分な馬車だろう。むしろ豪勢だと堅苦しそうだ。


 草原に敷かれた硬い土の道路を馬車は走っている。

 遂に王都ももうすぐそこまで来ていた。

 この草原は割と標高が高い分、遠目ながらも王都の街並みが見渡せる。全体を見た王都の印象は、まずもって白い。

 街の主色に白色が使われており、その白が綺麗だからこそ他の色が際立っている。


 なにより目に付くのは、街の中央に建つ巨大な城だ。

 ちらほらと小さ目の城も建っているが、やはり特に目を引くのは中央の城だろう。西洋風な巨城で大理石がふんだんに使われている。

 日本の城くらいしか見た事がなかったが、西洋の城も中々に良い。住処としては大仰過ぎて気が引けるが、泊まってみたい程度には興味があった。


「これが王都か。遠目だけど綺麗な所だね」


「環境美化には気を付けてるみたいだからな。驚くことに、王都じゃ町全体を毎日 清掃してるんだ。街人や冒険者が街を汚しても、翌日には大抵綺麗になってるな。だからってわざと汚したら注意を受けるが」


「思ったより徹底してるんだね。でも衛生面が充実してるのは助かるかな。平気で塵が捨てられてる場所じゃ、変な病気に掛かりそうだから」


 中世ヨーロッパでは排泄物を家の外にそのまま捨てていたと聞く。

 お蔭で街中が臭かったそうだ。

 その点エルイアの街の頃から思っていたが、このシルヴァ国は割と衛生面をきっちりしている。


「ん? 衛生面が整っていないと気分は悪くなりそうだが、病気と関係あるのか?」


 とは言えこの世界の一般的な平民にはあまり科学知識は知られていない。

 金持ち以外は学び舎に通うことがないのが原因だろう。

 あとは精々 魔術師が魔術と言う学問を専攻しているだけあり、割と知識人が多いくらいか。それ以外の街人村人は、知識としては文字の読み書きで終わることが多い。


「暗くてジメジメした環境だと病原菌……病の元のことだけど、それが繁殖し易いからね。確かに気にし過ぎても抵抗力がなくなって体は弱くなるけど。だからって衛生の良くない場所が健康面で良い環境とは言えないよ」


「へぇ、環境美化にそんな効果があった訳か。単に見栄えを気にしてのことじゃないんだな」


「見栄えだけを気にしての可能性もあるけどね。それだけでも重要な事には違いないから」


 この世界がどの程度の化学水準を持っているのか。

 その辺りをサイカがまだ正確に把握し切れていないだけに、病原菌についてまで考えを巡らせたのかはわからない。

 ただ見栄えだけでも重要なのは確かだ。


 街の見栄えが悪ければ人が集まらない。

 街の見栄えが悪ければ他国に舐められる。


 ざっと大雑把に考えても利点はある。

 環境美化に労力は掛かるだろうが、やっておきたい点だ。


「なるほど。だがその、病原菌? に関しては知っててやったんだと思うぞ。この環境美化をここまで徹底して推し進めた人物は……まぁ、天才だって評判だからな。それくらいは勉強してる筈だ」


 そう言うリンドは、微笑ましそうな表情をする。

 サイカは天才という人種には出会ったことが無い。それだけに興味は湧く。


「その人ってどんな人?」


「公爵家のご令嬢で俺も遠目でしか見たことがない。だから人伝の話になるが……」


 公爵と言えば貴族内では最も位の高い爵位だ。単純に考えるなら公爵と言う地位より偉いのは王族くらいしかいない。

 何やらその天才な人は随分と位の高い人らしい。


「歳はユリスと同じらしいな。丁寧で礼儀正しいと評判だ。勉強もかなり出来るそうだぞ。通常より前倒しでもう政治に関わってるそうだ。あとは…………偶に理解できない行動をするらしいな」


 馬鹿と天才は紙一重、と言うより天才のやる事は凡人には理解できないとかそんな話なのだろうか。

 それ以前に十歳程度の少女が改革を推し進める。しかも王都の。

 この国は大丈夫かと不安に思うべきか、単純にその公爵令嬢を尊敬すべきか。判断に迷う。


「ちなみにサイカに表彰状を渡す人だ」


「……どんな人か見る機会があれば、とは思ってたけど。まさか顔を突き合わせる予定が立ってるなんて思わなかったよ」


「良いことじゃないか。こんな機会は滅多にないんだからな」


 朗らかに笑うリンドを尻目に、サイカは根も葉もない不安を抱いた。


 ちょっとしたことで不敬罪。そんな物語でよくある悪役な貴族ではないだろうなと。

 とは言え礼儀正しいと言う言葉を信じるなら、多少は安心して良いのかもしれない。それにサイカは貴族を見たことがないのだから、すぐ不敬罪だって偏見だとは思っている。


 そんなことを考えていた時、馬車がガクンと揺れて止まった。

 前につんのめり掛けるのを反射的に踏みとどまる。


「……何かったか? サイカ、此処で待ってろ。少し外を見てく……!?」


 リンドが剣の柄に手を掛けながら立ち上がろうとした時に、次の異変が起こった。

 馬車が沈み込んでいく。下へ下へと引きずり込まれていく、そんな感覚。


 サイカとて状況が今一飲み込めない。何もわからないし知らない。だが未だかつてないほどに体が危機感を抱いている。何よりもただひたすらに不吉だと、体がこの場から逃げ出そうとしていた。

 その行動をサイカは一度抑え込む。父親であるリンドを置いて逃げる事に抵抗があり、次いで此処で待っていろと言う言葉に反応したから。

 だからこそ馬車が下へと沈み込む、その状況の変化に咄嗟に反応できなかった。


 窓から馬車の下に絡まる黒い沼が見えた。

 粘り気のある粘液で、腐食の群れで、それが色んな物を煮詰めたが故の黒色であることが見ただけで分かる。

 その黒い沼が馬車をすっぽりと覆う円状に広がっていた。

 咀嚼するように馬車を引き摺りこんでいる。


 あの沼を見ているだけで体が嫌悪感に震えた。

 あれに飲まれると思っただけで吐き気を催す。

 あんなモノがいると知っているだけで気分が悪い。


 しかも沼が泡立ち、円の淵が上に膨れ上がっていた。

 ここに来てサイカは致命的な失態に気付いた。何を置いてもまずは逃げ出すべきだったと、真っ当な生命体としての危機感がそう告げていた。


 そして高く黒い汚物の波はドーム状に包み込むよう馬車を飲み込む。

 とぷんと音を立て、馬車と乗車四名を沼の底へと引きずり込んだ。






 視覚→入力失敗

 聴覚→入力失敗

 嗅覚→入力失敗

 味覚→入力失敗

 触覚→入力失敗


 再試行/全行程失敗

 原因調査中…………………………不明。


 強制接続を開始。


 接続/失敗

 再接続/失敗

 再々接続/失敗

 再々々接続/失敗

 再々々々接続/失敗

 再々々々々接続/失敗

 再々々々々々接続/失敗

 再々々々々々々接続/失敗


 対象への侵食率0%。

 現状の進捗率0%。


 原因不明解読不能理解不可。


 強制接続を再開。


 接続→エラー、接続→エラー、接続→エラー、接続→エラー接続→エラー接続→エラー接続→エラー、接続→エラー接続→エラー接続→エラー接■→エラー■続→エ■ー接■→■ラ■■続→■ラ■■続■エ■■接■→■ラ■■■■エ■■■■■■■■■■■■■■■■






「ヅ、ぅ」


 全身が焼ける様に熱い。

 視界が黒一色で平衡感覚が狂っている。

 鼻も味覚も麻痺して訳がわからない。


「ガ、ァ……」


 黒い沼の中にいる。


 気持ちが悪い。

 気持ちが悪い。

 気持ちが悪い。


 肌を這いずる黒い泥。

 これが触れていることも見ていることも気持ちが悪い。


 足を魔力で強化する。

 使い慣れた者なら力を5割増しに出来るだろうが、初心者であるサイカにそこまでの効果はない。精々2割増し程度の出来である。

 だが咄嗟でもまともに魔力強化が出来る。それだけで努力した甲斐はあった。

 少なくとも今回はそれが明暗を分けた。


「ガアアアアアァァァァアァァアァァァ!!」


 粘液のプールの中で、体が赴くまま馬車を足場として幾度と蹴り付ける。そして魔力を右足に一点集中し、肉体の稼働限界を超えて足場を蹴った。

 ざぷん、と重量感を伴いながら黒い沼から転がり出る。


「げほ、ごほっ!」


 その場で咳込んだ。口からねっとりとした黒い粘液が吐きだされる。その粘液は蒸発するように黒いモヤとなって消えた。

 全身に絡まる粘液も徐々に蒸発していく。


 その事に心休まる間もなく、黒い沼から青緑の太い触手が二本飛び出して来た。

 重く鈍っている頭の代わりに体が反応し、数度のバックステップを刻んで後退した。人の胴体ほどの太さがある二本の触手が、サイカが先ほどまで居た場所を叩きつける。重々しい衝撃と共に、触手に触れた草原の草花が溶解した。


 限界以上に肉体を酷使しても、魔力強化していたためにさほどの痛手は受けていない。客観的に見て、体はそう悪い状態では無い。

 なのに体が重い、頭の回りが鈍い。どうしようもないほど消耗している。


 短剣を鞘から抜く。刃渡り四十センチ程度の両刃剣。

 魔物出現地域に行くからと持たされた装備の一つだ。

 半身になり、隙を減らして短剣を構える。


 何も考えられず、とにかく必死にあの気持ち悪い沼から逃げ出した。だがもしかしたら判断を間違えたかもしれない。

 黒い沼の内にはリンドが居る。サイカの体の父親が居る。

 逃げられないのだ。それは許されない。


 あの黒い沼から引き摺り上げる、どうやって? わからない。最悪潜って引き摺り上げるしかない。あの黒い泥に飛び込む? それだけは嫌だ。けれど逃げることは許されない。


 仮初の父親だ。会って数日だ。

 見捨てれば楽になるだろうに、それを選ぶことが許されなかった。

 何故と問われると答えられない、自覚すらしていない。無意識で、深層心理で、あるいは今は消えてしまった元のサイカの遺思を引き継いで、既に決めてしまっていた。


 そして無情にも心を決める時間すら待ってくれないらしい。

 円状に広がる黒い沼が縮尺している。ずるずると触手が黒い沼へと戻って行く。

 あと数秒で黒い沼が消えてしまう。そんな確信を抱いてしまった。


 黒い泥に対する恐怖心をねじ伏せ、上体を前傾に倒しながら駆け出す。

 すぐさま二本の触手が行く手を阻むように蠢くが、巨大故にその動きは小回りが利かず大雑把だ。当たる寸前まで引き付け、一歩分だけスライドするように移動する。それを二度繰り返して、二本の触手の守りを抜ける。


 二メートル程度までに縮んだ黒い沼の傍まで来た。

 どうすべきか答えが出ない。

 どうしようとしているのか答えが出ない。

 そんな考えに囚われ停滞している内にも黒い沼は縮小していく。


 時間がない。覚悟を決める。

 黒い沼へと飛び込もうとする。その寸前で、一本の触手が槍のように勢い良く沼から突き出して来た。


「……ッ!?」


 魔力強化の全力で大地を蹴り出し、無理やり別方向へと跳んだ。すぐ横を触手が通り過ぎる。空中で体を捻り、腕をしならせ短剣を触手に走らせた。ジュ、と短剣が半ばまで溶ける音と共に、腕程の太さの触手を断ち切った。


 四肢で獣の様に着地する頃には、大小三本の触手が黒い沼の中に戻っていく。

 宙に舞った触手の切れ端も、ポシャンと音を経てて黒い沼の中に沈む。


「待て、よ! くそっ」


 黒い沼は既にバレーボール位の大きさの直径になるまでに縮んでいた。もう僅かばかりの時間すらない。


 急いで黒い沼へと走り左手を突き出す。

 腕が飲まれるかもとは考えなかった。

 ただ必死で手を伸ばした。


 黒い泥沼が消えて、手が硬い地面を叩く。

 乾いた音が鳴っただけ。

 後には土の地面が残っていた。


 訳がわからない。

 幾らなんでも突然過ぎる。


「……………………なんだ、これ」


 馬車に乗っていた者は、いきなり黒い沼に飲み込まれ、その沼はもう跡形もない。

 この脈絡のなさも、唐突さも、まるで出来の悪い夢のようだと、サイカは思った。






 あれからサイカは消えてしまったリンドを探し続けた。

 あの時黒い沼に飲まれたモノは何も見つからない。御者や冒険者も、馬車も見つからない。

 あの黒い沼すら影も形も見えない。


 偶に遭遇するのも魔物くらいだ。

 体任せに狩って、そのまま捨て置いて周囲を探し続けた。


 死んだと考えるのが順当なのかもしれない。

 あんなモノに飲まれたのだ。内に触手の怪物を飼っているような黒い沼に引きずり込まれて、しかも幾ばくかの時間が経ち、それでまだ生きていると信じる方がどうかしている。


 既に選択を間違えている、運が悪かった、もう手遅れだ。

 そんなのは知らないと足掻いているだけだ。

 信じたくないと我儘を言っているだけだ。

 認めたくないと体を動かしているだけだ。


 だから――まだ生きているかもしれないじゃないか、と必死に心を奮い立たせて探し続けたけれど。結局何の手掛かりも得られないまま日が暮れた。


 重い足取りで王都まで歩いた。

 遠目に見える距離とは言え、王都に着く頃には夜も遅くなっていた。


 人が多い。建物が多い。


 王都に対する感想はその程度、興味もない。

 そもそも眼中に入れる余裕もない。


 近くにあった宿屋に入り、宿屋のおばさんに金を払って個室を借りる。

 その際に何事か心配され言葉を掛けられ、適当に返答した。何を聞かれたか、答えたかは正直覚えていない。


 疲れた、とにかくそれしかなかった。


 個室に入り、ぼふっとベッドへ身を投げる。

 装備を外すのも億劫だ。

 脱力感に苛まれ瞼が下がる。


 実はここまでの出来事が全部夢で、現実では今も馬車に揺られて眠っている。なんてのはどうだろう、そんな馬鹿げた願いを抱いて微睡に身を委ねる。


 意識が落ちた。






二章プロローグ終わり。

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