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道化の造った英雄譚  作者: えそら
道化の遺産
1/11

プロローグ

この物語はフィクションです。

実在の人物及び団体とは一切関係ありません。



うん、やって見たかっただけです。特に気にせず本編にお進みください。

それではこの物語を宜しくお願いします。

 人里離れた石造りの家、その一室で白いローブを着た女性は困ったように笑っていた。

 アルビノの白髪を弄りながら、その赤い瞳は眼下に寝かされた少年に向けられている。


「固有能力の模倣、失敗。

 魔術適正の模倣、不具合発生。

 身体能力の模倣、上書きに一部成功。

 経験則の模倣、限定的に成功。

 知識の模倣、失敗。


 総合再現率、約二割。

 備考、異物混入の疑い在り。


 結論――――失敗作だね」


 笑みを絶やさぬまま、実験体である少年へと冷ややかな視線を送る。


 彼女はとある人間と同じ存在を作り出すための研究をしていた。いわゆるクローン技術。それも知識や経験すら同様なクローンだ。

 しかし研究は順調ではなかった。

 経験知識を持ち合わせたクローン体を作成することは可能だったが、あの人間の模倣はどうしても不具合が出るのだ。おそらくはクローンの対象である人間が生物としてあまりに逸脱しているためだと思われる。


 そうして幾度も失敗を繰り返している内に、ふと妙な考えが浮かんだ。

 一から作ろうとして駄目ならば生きている人間を、あの人間の模倣になるよう作り変えてみてはどうか、と。

 元の人間と言う不純物が入るのだから成功する可能性は皆無と解ってはいたが、貴重なデータが取れる可能性はある。加え気分転換も兼ね、その辺りの子供を掻っ攫い実験を施してみた。

 結果のみ見れば手酷い失敗だった。一から作った方が断然 完成度が高い。だが実験中に死ぬと思っていただけに、生存した状態である程度の模倣に成功したのは驚きだ。中々に面白い実験結果が得られた。

 失敗作ではあるが貴重なサンプルでもある。


「うーん、少し悩むけど……まぁいいか。この程度の出来だしね」


 にっこりと微笑み、少年の廃棄を決めた。殺す訳ではなく、ただ手放すだけだが。


「さて、そろそろ旅を再開しようか。興が乗り過ぎてつい長居してしまったからね」


 女性が部屋から出ていく。

 後には実験体である少年だけが残っていた。






 朝霧 潤也は日本人である。

 高校三年生で、大学には行かず就職活動に勤しむ毎日を送っていた。

 そして今日も朝が来る。これから始まるいつもの生活、頑張って起きますかと眠気を無理やり醒ませて起き上がる。


 起きたら石造りの部屋だった。

 どうやら上手く頭が働いていないようだ。目を擦って眠気に喝を入れる。

 改めて見渡した。特に変化なし。


(どこだよ、ここ)


 潤也は昨夜、きちんと学生寮で寝ていた。

 仮に記憶違いをしていたとして、友達の家などならともかく知らない場所と言うのは明らかにおかしい。

 ならば残る可能性は、誘拐。

 思わず何故? と考えてしまう。

 言いたくはないが潤也は貧乏である。資産家の親もいない。誘拐しても問題になり難いかもしれないが、旨味もない筈だ。それに誘拐ならば縛られてもいないのは不用心ではないか。

 必死に否定要素を並べ立てる。これだけ否定要素があれば大丈夫な筈、と冷や汗が流しながらも自分に言い聞かせた。


 ともかく情報を得ようと周りを見渡し、ふと壁際に大きな鏡が目に付く。

 そこには一人の少年が映っている。金髪碧眼の西洋人らしき12,3歳の子供で、なのにどこか潤也の子供時代に似てなくもないような少年であった。

 しばらく沈黙した潤也は、おもむろに手を動かした。鏡の少年も同様に手を動かした。


(んな阿呆な)


 どうやらこの少年は自分らしい。






 見渡す限りに広がる青空。八方を取り囲むように生い茂る木々。太陽の光を反射しながら流れる川。

 石造りの家を出ると、そこは大自然のど真ん中だった。


 自然豊かなのは結構なことだが、今の状況は勘弁して欲しい。

 潤也が今いる場所は山の麓らしく、遠くに街が見えるのがせめてもの救いだった。その街も中世ヨーロッパかと言うような有様だが、人里が見えたことで潤也は幾分落ち着きを取り戻す。

 とりあえずあの街を目指すことにした。


 二十分ほども歩き続ければ、少年の体が割と体力があることに気付く。

 足場の悪い道を進んでいるというのにほとんど疲れないのだ。ともすれば元の体より調子が良いかもしれない。

 子供の体だから体力がない可能性を心配していただけに嬉しい誤算だ。同時に元の体とてバイトでそれなりに鍛えられていたと思っていただけに、少し情けなくもあったが。


 不意に足を止める。

 これが環境の違いから来るカルチャーショックって奴か、と軽く現実逃避する。

 見慣れない生物と遭遇したが故に。


 人型の茶色い巨体は二メートル半もの大きさを誇り、その手には錆びついた斧を持っている。下半身を薄汚い布で巻き付けた状態の半裸の巨人。

 その顔は牙を生やした厳つい豚だった。


 潤也の知識にある数々の物語の中に、この生物に該当する存在が居る。

 名を、オーク。

 地球上には存在しない架空の生物である。


「プギィィィィィィ!!」


 オークは斧を振り上げながら突進してきた。

 ビク、と体を震わせる。日本人である潤也にとって生存競争は縁遠い世界での出来事だった。それ故に体は恐怖で竦み、頭は真っ白になる。

 力強く振り下ろされる斧。走馬灯のように、スローモーションに斧の刃が近づいて行く。


(――――あ、これ死んだ)


 あまりに間抜けな感慨を抱き、全身の力が抜ける。

 だからそれ以降の行動は、潤也の意思とは無関係に行われる。


 斧を振り下ろさんとするオークの腕を掴む。斧を振り下ろす力を巻き込みながらオークとの体を入れ替え、軽く足を払う。それだけで大した力などなくオークの巨体が宙を舞った。そして顔面から地面へ落ちる。

 骨が砕ける嫌な音が鳴り響き、大きな音をたてて巨体が倒れた。


 潤也は倒れたオークを呆然と見つめる。

 身動き一つしない。紛れもなく絶命している。


(んな阿呆な)


 天を仰ぎながら思った。

 潤也に武道経験はない。どころか喧嘩すらほとんど経験がない。

 にも関わらず自分の倍ほどもある巨体を投げ飛ばした。大した力も使わず技量のみで。

 そこから導き出される結論、この体 物凄い。


(いや待って、その前になんでこんなオークみたいな生物が出て来てんの!? まさか此処は異世界でファンタジーだとでも言うのか!?)


 否定できる材料はどこにもなかった。

 代わりに肯定する材料なら割とあった。


 とにかく此処に留まっていても仕方がない。動くことにしよう。

 だがその前に、オークの死体から斧を拾い上げた。その際に顔の潰れたオークを直視して少し気分が悪くなる。

 それでもこんな生物が出て来た以上、まだ危険な生物が周りに居る可能性が高いのだ。武器がないのは心もとなかった。

 斧は大きくて重いが両手ならそれなり程度の重量だ。

 オークの死骸から意識を外して歩き始める。


 変わり映えの無い森の中を早足で進む。

 少しでもオークのような生物と会わず、街まで行こうと出した苦肉の策だ。

 そしてオーク遭遇からしばらく、横にある草が不自然に揺れた。


 気になりその草を見た瞬間、草の中から野犬が飛び出して来た。

 口を大きく開けながら駆けて来る野犬。その速度は予想以上に速く日本人の朝霧 潤也では抵抗すら出来ず噛みつかれていただろう。

 しかし今の体は確実に防衛本能を働かせる。

 体を捻りながら野犬の突進を躱し、すれ違い様に野犬の胴へと斧を一薙ぎした。驚くほどに味気ない手応えと共に、野犬の体が二つに分かれる。


「……えぇと、本当に凄いなこの体」


 潤也にしてみれば、野犬に襲われたと思ったら既に終わっていたと言う状況だ。自分が対処できたことが半ば信じられず現実感が湧いて来ない。

 ただ後になるにつれて恐怖感が湧き、対処できて良かったと深く安堵する。


 それからは周囲を警戒しながら森を歩き進めて行った。

 幸いしばらく危険そうな動物と遭遇することはなかったが、それでも幾度かは野犬に襲われることになる。勝手に体が対処してくれたため大事に至らなかったことが救いだろうか。






 斧の重量を甘く見ていたことを痛感させられる。

 少しの距離ならまだしも何時間も歩くとなるとさすがに疲労が溜まった。

 それでも頑張った甲斐はあり、森を抜けることが出来る。

 そこからの舗装された道は楽だった。特に襲われることなく安定して歩を進め、やがて街に到着する。


 それなりに人の多い街だ。

 当初は斧を持ったままで大丈夫か不安に駆られたが、街中には武装した人も居たので少し安心した。もっとも仕舞っている訳でもなく手に持ったままなので、あからさまに見られてはいるのだが。


 大通りを歩いている所為か大きな建物がよく目に付く。中世ヨーロッパ風の建物なためか三階建て程度でも充分に大きく見えるのだ。

 そして宿屋を見つけた。

 そこで立ち往生する。


 端的に言って、金がなかった。

 通りがけに武器屋らしき店を見つけたため、斧を売り払う手はある。だがそれも所詮は一時凌ぎにしかならない。しかも使い古されたこの斧が宿屋一泊分の金になるのか疑問だ。

 とはいえ最悪 食事代くらいはなりそうだし、と考えていると一人の少女が潤也に向けて歩いてきた。


 明るい茶髪は肩口まで伸ばされおり、瞳も綺麗な琥珀色をしている。柔和な表情なら可愛らしいだろう顔を不機嫌そうに歪めながら、少女は潤也の目の前まで来た。

 そしていきなり殴りかかってきた。

 反射的に躱す。


「いきなり何!?」


「うるさい、避けるな」


 低い音程で横暴を吐きながら潤也を睨む。

 がっしりとその腕を掴まれ、凄い力で引っ張られた。


「とにかく行くよ」


 抵抗しようとしても引き摺られるほど力強い。

 体が反応し斧を振るいかけ、相手は女の子だと自制した。

 困惑しながらも何故こんな状況になっているのか、そして何処に連れてかれるのか疑問が湧く。


「あのさ、何処に連れてく気なんだよ」


 少女が僅かに振り返った。


「あんたの家」


 その言葉で、体感温度が一気に下がる。

 それはこの体の家のことだろうか。ならこの少女もこの体の知り合いか。だとするなら先ほどの馴れ馴れしさに納得が行った。

 あまり考えないようにしていた。潤也はこの体本来の持ち主を、意識はせずとも殺して此処に居るのではないかと。


「……顔色悪いけど、大丈夫?」


「怪我とかは、ないよ」


「そう?」


 そのまま少女に腕を引かれて歩いた。

 本音を言えば潤也は逃げたかった。罪悪感からこの体の知り合いと顔を会わせるのに恐怖が湧いていた。

 それでも潤也がこの体である以上、逃げられないことだとも思う。


 やがて一軒の建物に辿り着く。

 少女は潤也の腕を離し、ドアをノックした。

 しばらくしてドアが開く。女性が出て来る。軽くウェーブの掛かった金髪に、柔和そうな雰囲気のある 女性だったが、それを打ち消すように眼の下には隈が出来ていた。


「お待たせしました。どちら様で……す、か?」


 潤也を捕え、女性の蒼い瞳が大きく見開かれる。


「サイ、カ?」


 この体の名前だろう言葉を呼びながら、震える両の手が伸びて来る。

 優しく抱き締められた。


「無事で良かった……おかえりなさい!」


 その女性は涙を流しながら喜んでいた。この体の、サイカと言う人物が帰ってきたことを。


「…………うん」


 潤也は曖昧に頷く事しかできなかった。






 女性の家まで潤也を連れて来た少女と別れ、女性に連れられるがまま彼女の家に入った。その際に斧のことは後で詳しく聞かせて貰うと言われ、斧を取り上げられる。


 通された部屋は、現代風に言えばリビングだろうか。木製のテーブルが中心にある簡素な部屋だった。

 そして室内には眩い金髪の、今の潤也の体より更に小さい少女が居た。必然的に眼が合う。

 潤也を――――正確にはその体であるサイカを見て、いきなり少女は飛びついて来た。あろうことか「お兄ちゃん!」と叫びながら。

 不意打ち気味だったため、慌てて受け止める。


「お兄ちゃんのバカぁ! 遊んでたらいきなり消えちゃうし。待ってても戻ってこない、探しても見つからないし! どこ行ってたの!? どうして今まで帰って来なかったの!?」


 潤也に泣きながら罵詈雑言を浴びせるサイカの妹。その内容を聞く限り、サイカという人物は行方不明にでもなっていたらしい。

 ぽかぽかと弱い力で殴ってくるのはまるで痛くないが、どうすれば良いのかわからず途方に暮れた。とりあえずされるがままになりながら、ごめんと謝りつつ背中をさすったりする。


 サイカの中身が違うと言う罪悪感に胃が痛い。

 何よりサイカの肉親、しかも年端も行かない少女を騙していることに穴があったら入りたい気分だった。


 仮初の妹をあやし始めてしばらく。不意に彼女は体を離した。一通り言いたいこと言ってすっきりしたのか涙もある程度は引いたようだ。

 そして二人の傍らで見守っていた女性にサイカ妹が歩み寄っていく。


「お母さん! もう消えたりしないようお兄ちゃんに説教してやって!」


 その言葉で必然的にサイカの母親と確定したその女性は、苦笑いしながら妹を撫でる。


「落ち着きなさいユリス。まずどうしてこんなことになったのか聞いてからでしょ」


 ユリスを諭しながら問いかけてくるサイカの母親。その視線に掌から冷たい汗が流れた。


「何があったかは、自分でもわからないんだけどさ」


 潤也自身、この身に起こった出来事について把握していることは少ない。

 そしてサイカの中身が違うという事実は、どう説明しても昏倒無形。異世界とはいえ、潤也の他に憑依などと言う特異例があるとは限らないのだ。

 それならいっそより現実的で起こり得る説明をした方が良いのでは、と考える。


「記憶が無いんだ。それもここ数日とかじゃなくて、俺がこの町でどう暮らして来たのかも覚えてない。自分の名前も知らなかった。

 だから俺にわかることは、朝起きたら山の麓にある家に居たことくらいかな」


 母親の顔が強張る。

 ユリスも不安そうに潤也を見る。

 潤也は早速二人の視線から逃げたい気分に駆られた。


「サイカ、どこまで忘れてるの? もしかしてお母さんの名前もわからない?」


「……ごめん、わからない」


 嘘は言っていないが、母親の悲しそうに顔を歪める姿を見て視線を逸らしそうになった。


「お兄ちゃん、私のことも忘れちゃったの……?」


「……思い出せない」


 ユリスは今にも泣き出しそうになっている。

 潤也も雰囲気に引き摺られて少し目頭が熱くなってくる。


 二人の表情を潤也はもう忘れられそうにない。それ程 記憶に刻みつけられた。自分でやったことながら、度し難いにも程がある。


「あの、本当にごめん……」


 思わず口をついて出た。

 その言葉で母親はすぐ対面を取り繕い、潤也の頭を撫でた。


「ううん、気にしないで。記憶ならいつか思い出すかもしれないでしょ。それよりサイカが戻ってきてくれたことが嬉しいもの」


 記憶喪失は説明し易い。潤也にその理由があったのは確かだ。

 だがサイカの中身が違っているという説明を避けたその理由の根幹は違う。ただの保身だった。

 例えばこの親子やサイカと親しい人から憎まれるのではないか。或いは珍しい実験動物にされるのではないか。そうでなくても突然の異世界で、何の道標も無い状態で不安だった。

 そんな危惧が、潜在的に潤也を保身に走らせた。


 それを自覚した潤也は、すぐに吐き気を催す。サイカの母親に頭を撫でられていることで気分が少し和らぎ、同時に罪悪感は増していく。


「お母さんはアーシェって言うの。そしてこっちがサイカの妹のユリス。

 もう忘れないでね」


「今度忘れたら……えと、叩くからね!」


 ユリスが泣きそうになりながらもそう言い放った。


「うん、もう忘れないよ。大丈夫」


 そんなユリスに作り笑いまでして白々しいことこの上ない言葉を吐いた。

 体が重くなる気分だ。だが吐いた言葉はもう飲めない。


 この日を境に彼は、朝霧 潤也であることを止め、サイカとして生きていくことに決めた。






 あれからしばらく話し合い、サイカの罪悪感も少し落ち着いた頃。アーシェは前々から疑問だったことを問いかけることにした。


「ところでサイカ、貴方の持って来た斧はどこで手に入れたの?」


「森を歩いてる時に斧を持った豚顔の巨人と出会ってさ。そいつ倒して奪ったんだよ」


 あっけらかんとした息子の言葉に、アーシェはまず耳を疑った。


「凄いね、お兄ちゃん。それってオークでしょ? よく倒せたね」


「俺も記憶なかったからびっくりしたよ。まさか倒せるとは思わなかったから」


 そして屈託なく尊敬の眼差しを送るユリス。それにサイカは、本当にオークって言うんだなぁと思いながら答えを返す。

 その兄妹の会話を聞いて、アーシェは自分の頭が狂ったんじゃないかと疑った。或いはサイカが嘘を付いているのでは、と考えた。


 ただ改めて思い返せば、山の麓にある家から帰ってきたとサイカは言っていなかったか。

 この近くにある山と言えばフィリアス山だ。その山の麓からこの街まで行くとなると、どうしても魔物が多く生息する森を進まなければならない。仮にオークと会っていてもおかしくはないだろう。


「あの、サイカ? ちなみにどうやって倒したの?」


「腕を掴んで足を払って投げた、のかな? 自分でもあんな芸当が出来るなんてびっくりだったよ。もしかして記憶失う前は武術かなんかやってた?」


 アーシェは自分の頬が盛大に引きつることを自覚した。


「投げて倒したの? 魔術使って、とかじゃなくて?」


 そんなアーシェの反応に訝しみ。次いで魔術という単語にサイカの興味の対象を持って行かれる。

 オークがいた所からもしかしてとは思っていたが、本当にここはファンタジーな所のようだ。


「投げて倒したよ。魔術のことも忘れてたから」


「そう、魔術まで忘れてしまっているのね。……でも武術なんてやらせたことないわよ?」


 予想外の言葉にサイカは狼狽える。潤也が武道をやっていないため、必然的にサイカが体得していた技術だと思っていたのだが。


「狩りとかやって身につけてたりは……?」


「狩りなんて危ない真似させたことないけど」


 憑依した拍子に力を手に入れたのだろうか。だがその力が技量となると、どんな要素で手に入れたというのか。

 サイカは行方不明だったらしい。その間に潤也が憑依し、武術を身に付けるだけの何かが起こったのだろうが、何が起こったのかは検討もつかない。

 その事実はサイカを少し不安にさせた。


「……考えても解らないことならもうやめておきましょうか。深く考え過ぎると坩堝に嵌るもの」


「かも、しれないね」


「じゃあ気分転換に魔術を覚え直そうよ、お兄ちゃん。確か忘れてるんだよね?」


「そうだな。基礎からわからないんだけど、教えてくれるか?」


 ユリスが明るく頷く。

 気分が憂鬱に入っていた時に興味のある魔術を教えてくれるというのだ。正直ユリスの提案はサイカにとって渡りに船だった。


「魔術を使うには魔力が必要なんだけど、お兄ちゃんは感じ取れる?」


「感じ取れないかな」


「そこからとなると…………確か、眼を瞑って体内に意識を向ければ、その内 感じ取れるようになる、よね?」


「えぇ、魔力を感じ取れない人は瞑想を何度もするの。それで一週間もすれば大抵は感じ取れるようになるわね。

 サイカの場合は魔術の使い方を忘れているだけだから、すぐ出来るようになるんじゃないかしら」


「そっかな、やってみる」


 言われた通りに目を瞑り、体内に意識を向ける。すると丹田と呼ばれる腹の下辺りに違和感、と言うより潤也の体にはなかった異物感がある。

 これが魔力だとすんなり理解できた。

 丹田を中心に、徐々に全身へと行き渡らせていく。体が暖かくなり、軽くなったような気がした。


「魔力流動の基礎まで出来るようになったみたいね。それで体を強化したりも出来るけど、魔力を使い過ぎると気絶するから注意が必要よ」


「わかった、気を付ける。にしても魔力だけでも結構 便利そうだね」


「えぇ、そうね。……そういえば魔力強化もなしにオークを倒したことになるのよね」


 その非常識さにアーシェは眩暈がした。

 魔力強化もなしに素手でオークを打倒する。そんな芸当は王宮の近衛騎士ですら出来ないだろう。

 ただ改めて考え、サイカの言葉をもはや嘘と断じることは出来なくなっていた。

 最近ある噂をよく聞くのだ。



 曰く、道化がやって来た。



 そこから予想される最悪の事態ならば、可能性はある。

 彼女の実験にサイカが巻き込まれたならば、異様な力を付けているのは在り得る話だ。無論可能性は低いが、状況的に考えて無いとは言い切れなかった。


「それじゃお兄ちゃん、魔力が感じ取れるならアカシックレコードの末端に伸びる回線も感じ取れたよね。接続してみて」


「接続……? いや、よく意味がわからなかったんだけど」


「魔力を全身に行き渡らせることで体内を把握することは出来たんだよね」


「なんとなく把握できてるね」


「なら体内に、こう異次元に伸びてるような回線がある筈だよ」


 ユリスに言われ、瞑想して体内の把握に努める。

 異次元に伸びているのなら異質な感じなのだろう。だがやはりサイカにはそう言った物は感じ取れない。どう体内を調べても、体内のみで完結している。

 眉根を寄せて調べ続けるサイカに、ユリスも徐々に不安になって来た。


「お母さん、こういう場合ってどうすれば良いんだっけ」


「それは……どうすることも出来ないわね」


 その言葉で瞑想をやめたサイカは、苦虫を噛み潰したような表情をするアーシェを見て驚く。

 実際サイカが躓いている段階は、魔術を習得する上で本来は在り得ない。魔力流動による体内把握と連動し、必然的に回線が見つかる筈なのだ。それが感じ取れなかったとするなら理由は一つしかない。


「魔術失陥なのでしょうね……原因は解らないけど、サイカは魔術を使えなくなった、と考えるべきなのかしら。

 あ、でも大丈夫よ。200年前ならいざ知らず、今は魔術が使えなくても特に問題にならないもの。この国の初代国王陛下なんて魔術どころか魔力も扱えなかったのよ。それでも皆から認められていたって言うし、気にすることはないわ」


 安心させるように言葉を募っていくアーシェを見て、逆に不安が煽られた。

 この時、この世界に対する知識が多少でもあれば、アーシェの言葉は安堵する内容だったかもしれない。だが日本人であり魔術などまったく知らなかった潤也にとって、あの内容は精神を落ち着ける意味では逆効果だった。


 魔術失陥というのはアーシェの言葉から推察するに、昔は差別の対象だったようだ。そしておそらくは、今でもそれはある程度続いているのだろう。

 サイカとしての生活に、少し不安が残った。






 街の人々は寝静まり、森の夜行性生物たちは犇めき始めるような真夜中。フィリアス山の麓には石造りの家があった。

 外装内装共に上手く整えられている。少なくとも一見では悪くない造りと思えてしまう、だが眼を凝らしてよく見ると所々で荒さが目に付いた。

 ただしこの家が即興で、それこそ物の数分程度で造られた家だと知れば、気付いた者はそのあまりの異質さに言葉さえ失うだろう。


 それでも今家の中に居た人物、アーシェにはそんな事実など気付いても関係がなかった。

 この家全体に残留する魔力を感じ、ギュッと拳を怒りで震わせる。

 この魔力をアーシェはよく憶えていた。


 二年前、とある辺境の村が人知れず壊滅するという事件があった。

 そして村人の居なくなった村には歪な魔物達が蔓延り、国はその魔物達をすぐに殲滅する。

 その後、村壊滅の原因調査が始まった。調査団の中には、高名な魔術師でもあるアーシェもその調査に参加していた。

 そして調査の結果、魔物達の正体は村人達の成れの果てだったことが判明する。

 傾国級(Aクラス) 犯罪者、道化師マルグリット。彼女の実験のために、村は壊滅していた。


 この石造りの家からは、あの道化師の魔力が濃く残留している。

 これでサイカがマルグリットの実験体とされていた可能性は、かなり高まった。ほぼ確定したと言っても良いかもしれない程に。

 一歩間違えればサイカは死んでいただろう。もしマルグリットの実験が最悪な結果だったなら、そう考え恐怖に身が震える。彼女の実験に掛かりながら、本当によく五体満足で生きて帰ってくれた。


 ただ叶うならば、物理的に無理だろうことは解っていながらも、道化師マルグリットを地獄の底まで引き擦り降ろしたかった。

 そうアーシェが想ってしまったことは、一人の親として仕方がないことだった。






プロローグとプロローグ2を合併しました。

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