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Don't worry, I never lose

 次の日からザックは洋子の留守を見計らい、庭で射撃の練習を始めた。ここから半径半マイル以内に民家は無いため、誰かに銃声を聞かれる心配も無い。しかし最初はなかなか思うようにいかなかった。腕が鈍っているのを感じた。それでも、カートリッジの中の弾を撃ち尽くす頃には感覚が戻ってきた。カートリッジを交換し数回引き金を引くと、的にしていた分厚い電話帳がボロクズとなり、括り付けられていた敷地の隅の柵から落ちた。


 襲撃されてから数日が経ったが、奴らが捕まったという報せは無い。その日の午後、洋子が幼稚園までララを迎えに行っている間、ザックはもはや日課となった射撃の練習をしていた。空き缶といったかなり小さな的にも当たるようになり、ザックは満足そうに頷いた。銃弾を受け無残な姿になった的たちは黒いゴミ袋に入れ、洋子に気付かれないように隠しておく。

 庭のテーブルで撃ち尽くした空のカートリッジに弾を装填していると、敷地の中に車が入ってきた。やって来たのはジョンだ。ザックは急いでカートリッジを銃底に叩き込むと、腰とジーンズの間に隠した。テーブルの上の弾薬が入った箱は、ベンチの自分が座っている隣に置いた。

 ジョンはダンボールの箱を抱えて車から降りてきた。

「よう、ザック! 納品だ」

ジョンは商品が入った箱をテーブルの上に置いた。ザックがジョンと顔を合わせるのはアンソニーの葬儀以来だ。二ヶ月前に納品があった時は誰とも会いたくなかったし、話をするのも億劫で家から出なかったのだ。応対に出た洋子から商品を受け取った時の記憶もほとんど無い。それだけ内に篭っていたのだ。親友とも会おうとしない自分の事を、洋子もジョンもどれだけ心配していたのか、今考えてみると自分が許せない。

「ジョン、親父の葬儀の時は悪かったな……」

「何言ってんだ。イーグルは親父も同然なんだ。当たり前だろ」

そんな謝罪は心外だと言わんばかりに、ジョンはごつごつとした拳でザックの肩を小突いた。

 ジョンの父親は、ジョンが高校生の時に車の事故を起こし、その時に負った怪我が元で仕事を失い酒に溺れた。その後は母親が必死で働き、また周りからの援助もあってジョンは何とか高校を卒業する事が出来た。

 卒業後ザックは大学へ進学してフィラデルフィアへ行った。ジョンは地元に残り採石場で働いたが長続きせず、しばらくゴロツキのような生活を送っていた。幼い時から同じように遊んでいたザックが奨学金を取って進学し、この荒れ果てた土地を捨て都会に出た事を心の隅で妬んだりもした。荒んでいく心と生活を、どうする事も出来ずに彷徨っていたのだ。金に困り本気で強盗でもしようかと考えていた時、アンソニーに声を掛けられ彫金の技術を学んだ。持ち前のセンスと、もう後が無いという思いからか、ジョンは瞬く間にそれを習得し独り立ちした。それでも生活は苦しく、若くして結婚した妻マリアンは子供達を預けて働きに出ていた。

 FBIを辞めて戻ってきたザックは、ここで扱う全ての商品の価格を見直した。それまでは、職人やアンソニーが適当に値段を付けていたのだ。ザックは原料費を細かく計算し、市場に出回っている似たような商品の価格を調査した。もっと高くても売れるだろうという物は値上げし、もう少し安ければ回転が良くなるだろうという物は値下げした。それにより、職人達には適正な利益がもたらされ、デッドストックとなっていた大量の在庫も片付いたのだ。さらにインターネット販売を始めると、ジョンが製作したジュエリーはその質の高さが評判を呼び、徐々に売り上げが伸びていった。今では全米中の愛好者から一目置かれるジュエリー職人になった。無骨とも言えるような太い指から、どうしたら精緻で繊細な細工が生まれるのか、洋子はいつも不思議に思っている。

 ジョンは去年アトリエ付きの家を建て、妻と四人の子供、母親と闘病中の父親と共に暮らしている。

 ザックは箱の中の商品を見て数を確認すると安堵の息を漏らした。

「助かった。これだけあれば予約分がはける」

「でも、二ヶ月じゃこれが限度だな。これ以上は作らねえぞ、家族と過ごす時間が無くなるからな。それじゃ何のために家を建てたか分からなくなる」

ジョンは良き家庭人でもあった。

 ザックは商品の入った段ボール箱を家の中に運び入れ、しばらくして封筒を持って戻ってきた。それをジョンへ手渡す。

「お前の売り上げだ」

「ずい分分厚いな」

前回納品された商品は、予約分だけで完売してしまった。ジョンは一番の稼ぎ頭だ。しかしザックは唇の端を歪めて笑い、この気心の知れたアーティストの肩をはたいた。

「ほとんどは親父の葬儀の後、お前が飲んだうちの酒の請求書だ」

「勘弁してくれよ……」

ジョンが苦笑いしながら封筒の中を確認し、困惑した顔でザックを見た。

「いいのか? こんなに……」

「何言ってんだ。お前の稼ぎだよ」

「でも、これじゃ多いだろ。お前のとこ、また子供が産まれるんだろ? ヨーコに怒られるぞ」

脅すように声をひそめたジョンに、ザックは肩をすくめた。

「確かに少しボーナスが入ってるけど、ヨーコが渡せって言ったんだ」

「……そうか。それじゃ、ありがたく貰っておくよ」

微笑んだジョンは、着ているスエードのジャケットの内ポケットに封筒を入れた。


 ララを連れて洋子が戻ってきた。ゲートを抜けるとすぐに、一部黒く焦げた芝が目に入る。あの日、ビルの車が停めてあった場所だ。ビルは一日毎に快方に向かっているようだが、そこを見る度に洋子の口からは思わず溜息が漏れてしまう。心配そうに顔を覗き込んできたララに、洋子は苦笑いを浮べて肩をすくめた。幸いな事に、あの事件はララの心に深い傷を残すには至らなかったようだ。確かに怖かったようだが、それよりも事件の後にやって来たFBIのお兄さんが素敵だったと目を輝かせていた。もちろんそのララの発言でザックが不機嫌になったのを洋子は気付いている。そのザックが庭のテーブルでジョンと笑い転げている姿が目に入ってきた。

 車から降りた洋子はテーブルに近付きジョンに挨拶をした。ジョンもそれに応えたが、目に浮かんだ涙を拭いながらヒーヒーと苦しそうに息を吸っている。まだ笑いが収まらないといった感じだ。

「楽しそうね。何の話?」

「いや。何でもない」

ザックが慌てて言ったが、ジョンはまだ笑っている。テーブルの上のザックの手を叩いてしきりに頷く。

 「そうだよなぁ……こんな話、ヨーコに聞かれたら離婚されちまうもんな……」

「何ですって?」

「冗談だよ! 大した話じゃない!」

ジョンの言葉を聞いて目を見開いた洋子に、ザックが必死になって話をはぐらかそうとする。さらに洋子が詰め寄ろうとすると、ララがやって来た。

「ハーイ! ジョン」

「やあ、ララ」

洋子はララに顔を向けると、腰に手を当ててたしなめた。

「ララ、たまにはミスターを付けて呼んだら? 幼稚園で習ったんでしょ?」

「やーだよ! ジョンはジョンだもーん! ジョーン! ジョーン!」

ララは庭の中をピョンピョンと跳ねながら駆け回り出した。日に日に生意気になり、最近では大人の言う事もなかなか聞いてくれない。それも成長の一過程だとは分かっているが、こうも行儀が悪いと困ったものだ。

 洋子は腕を組んで溜息をついた。

「まったく、あの子ったら……ごめんなさいね、ジョン」

「いや、いいんだ、いいんだ」

ジョンが笑って手を振ると、ザックがその後を引き継いだ。

「そうだよ。名前の前にファッキンだのガッデムだの付けないだけマシだ」

「何だ? ザックお前、子供の前で俺の事をそんな風に呼んでるのか?」

「何言ってんだ! お前んとこの一番上のガキだよ! この前ばったり会った時に俺の事そう呼びやがったんだよ!」

ビシッとザックに指を突きつけられたジョンは豪快に笑った。

「俺の躾がいいからな。今度言ったらケツひっぱたいていいぞ」

「その時にケツ蹴っ飛ばしてやったよ! あいつ泣きながら帰ってったぞ。ざまあ見ろ!」

 洋子は二人の会話をうんざりしながら聞いていた。ララの周りにいるのがこんな大人達ばかりでは、これからあの子はどうなってしまうのだろう。ララは女の子で、これから礼儀作法も教えていかなければいけない時期だというのに。

「まったく……いい加減にして欲しいわ……」

洋子が日本語でぽつりと呟くと、ジョンが顔を向けた。

「何だヨーコ、今のは日本語か? 何て言ったんだ?」

「そうねぇ、今のは……何て言ったらいいのかしら……」

洋子はこめかみに指をあてて考える。ザックは英語と部族の言葉の他にスペイン語ポルトガル語が堪能で、それに加えてロシア語もほとんど理解している。しかし日本語はちんぷんかんぷんなのだ。喧嘩の時、興奮した洋子がたまに日本語でザックを罵倒する事がある。ザックにはそれが悪口だという事は分かるが、意味は分かっていない。憶えるつもりも無いようだ。二人が洋子の顔を見ている。その好奇心に満ちた無邪気とも言える顔に、洋子は無性に腹が立った。

「あの意味はね、Fuck offよ」

洋子は眉をひそめて顔を見合わせている二人を残して立ち上がった。

「それじゃ、ごゆっくり」

家に向かって歩いていく洋子の元に、スキップをしながらララがやって来た。

「ママー! 仔馬見に行ってもいい?」

「いいわよ。じゃあ、一緒に行きましょう」

厩舎に向かうララと洋子の後姿を眺めながらジョンが訊いた。

「ヨーコはいつもああなのか?」

「いや、たまにだ」

ザックは苦笑いしながら答える。ジョンの妻であるマリアンもかなり気の強い女性だ。ザックとジョンは、お互いの境遇を嘆くように揃って溜息をついた。

 馬場からアレックスのいななきが聞こえ、ザックとジョンはそちらへ顔を向けた。大きな馬体を震わせながら、この馬場は狭いと言いたげに跳ね回っている。

「そういえば、仔馬は売らないのか?」

ジョンの問いにザックはアレックスを眺めながら答えた。

「売るつもりだったけど、やめた。ララが気に入ってるんだ。ララの馬にする」

それは事実だったが、ザックにしても初めて自分が取り上げた仔馬に愛着が湧いていた。それを察したのか、ジョンは穏やかな笑みを浮べて頷いた。

「当分仔馬が産まれても売れそうに無いな。今度産まれてくる子にも馬が必要だろう?」

ザックは黙って頷いた。

 馬が一頭売れれば、かなりまとまった金が入るだろう。しかし、それは随分先の事になりそうだ。もしかしたら永遠に無いかもしれない。シルバーレイク・タウンにいた時に無理矢理馬に乗せられ、それがトラウマとなり決して馬に跨ろうとしない洋子でさえ、今は愛情を持って馬の世話をしているのがザックにも分かる。

 それからしばらく他愛の無い話を交わした後「そろそろ帰る」とジョンが立ち上がった。ザックも立ち上がり車まで送ろうと歩き出した時、声を低くしてジョンが言った。

「最近、この辺りを変な連中がウロウロしてるのを知ってるか?」

すぐにサンダースの事だと察しがついたザックは同じように声をひそめた。

「ジョン、お前のとこにも来たのか?」

「いや。俺は見た事ないんだが、皆怖がってるんだ。何をする訳でもない、車の中から威嚇するような奇声を上げたり、銃をちらつかせたり……。サンダースのせがれじゃないかって皆が噂してる」

ザックは頷いた。

「この前うちに来た連中だ。FBIを狙ってるらしい」

ジョンは真っ直ぐにザックを見据えた。

「あいつらが狙ってるのは本当にFBIだけか?」

ザックが口を引き結ぶとジョンは続けた。

「あいつ、イーグルに恨みがあるだろ?」

ザックは溜息をついてジョンから目を逸らした。

「知ってたのか……俺は、ついこの間知ったんだ……」

ジョンがザックの肩を摑んだ。

「おい、ザック。何か困った事があったら俺に言えよ。俺達は家族も同然なんだ。ここの連中は皆助け合って生きてるんだ」

ジョンはその事を誰よりも実感している。

「分かってるのか? ザック、一人で抱え込むんじゃないぞ」

「分かってるよ……」

ザックは俯きがちに答えた。ジョンはしばらく親友の顔を見つめた後、力強く頷いた。

「分かってりゃいいんだ。じゃあ、またな!」

ジョンは車に乗り込むと、笑顔で手を振り帰って行った。

 ザックはジョンの車が見えなくなるまでテーブルの脇で見送った。家に戻ろうと歩き出した時、ベンチの上に弾薬が置きっぱなしになっているのを思い出し、踵を返して箱を手に取った。

 厩舎から笑いながら出てきた洋子とララがザックに近づいてきた。

「ジョンは帰ったの?」

洋子の問いにザックは黙ったまま頷き、弾薬の箱を掌で覆うように持ち直した。

「パパ! パパ! 仔馬がね! 仔馬がね!」

今見てきたばかりの仔馬の様子を興奮しながら話すララに、洋子とザックは顔を見合わせて笑った。

「そろそろあの仔馬に名前を付けてあげたら?」

今まであの仔馬の名前を考える余裕など無かったのを思い出し、洋子がザックに提案した。ザックは大げさに首を傾げて熟考する振りをした。

「そうだな……じゃあ、チューバッカは?」

「却下」

 三人は並んで家に向かう。どこから見ても幸せそうな家族の姿だ。しかし父親は背中に銃を隠し、手には弾薬の箱を持っている。妻と娘に気付かれないように隠しながら。


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