That's no matter
ビルはひどい火傷と裂傷を負った。幸い命に別状は無いが、しばらくは入院が必要だと言われた。今は鎮静剤で眠っている。
ビルがいる病室のすぐ外の廊下、壁際に置かれた長椅子にララを真ん中にして三人で座っている。病室は廊下の突き当たりにあり、ビルの容態が安定した今、ほとんど人通りは無い。たまに看護師が点滴を取替えに来るぐらいだ。そこへ、小走りでやってくるビルの妻リンダの姿が見えると洋子が立ち上がった。
「あの人は? あの人は?」
リンダが洋子にしがみつき、取り乱して尋ねる。
「今眠ってるわ。大丈夫よ」
泣き崩れるリンダを洋子がなだめ、隣の長椅子へ連れて行くと一緒に座った。
ララは不安そうな顔で黙ったままザックにしがみついた。ララが生まれた時にはザックは既にFBIを辞めていた。家にある銃も、ララの目に触れないように気を遣ってきた。銃を持った相手に襲われるなどという事は、ララにとってはドラマやニュースの中だけの出来事だったのだ。どれほどのショックを受けているのか。ザックも黙ったまま、ララの頭を優しく撫でた。
ザックの視界の隅に、廊下をこちらへ近づいてくる二人の男が入った。ザックにはひと目でその二人がFBIだと分かった。黙ってやり過ごそうとしたザックの前で、二人の男は足を止めた。
「フェアストーンさんですね」
ザックは目線だけを上げて二人を見た。共に濃淡が違うだけのグレーのスーツを着た二人、そのうちの三十代手前と思われる若い方の男が言った。
「FBIのパーカーといいます。あの……あなたの話はビルからよく……」
事務的な自己紹介の後、まるでパーティーの席で紹介された時のような社交辞令を述べるパーカーにザックは苦笑いした。
「どうせ悪い話ばかりだろう」
パーカーはてっきりザックが喜ぶと思ったのだろう、にこりともしない目の前の元同業者に戸惑いの色を隠せず、慌てて付け加えた。
「えっ? いえ、あの……とても優秀な捜査官だったと……」
ザックは居心地の悪そうな顔をして立ち上がると、パーカーの話を遮った。
「そういう前置きはいいから、早く本題に入れよ」
「あ……すいません……」
パーカーは恐縮すると、容疑者の特徴などをザックに質問した。
ザックはFBIよりも先に現場へ駆けつけた警察にも話した事を繰り返した。車種、車に乗っていた容疑者の確認できた人数や身なりの特徴など。二人とも熱心に頷きながらメモを取っていく。
「幾つくらいの連中でしたか?」
ザックはビルの車が爆発した時に聞こえた、あの甲高い笑い声を思い出した。
「若いって事は間違いないだろうな」
二人は納得したように頷く。
パーカーはザックの脚にしがみついて自分を見上げているララに気付いた。
「お嬢さんですか?」
「ああ」
パーカーは屈んでララに微笑みかける。
「やあ、こんにちは。僕はデヴィッド。君のお名前は?」
「私、ララよ」
それだけ言うと、人見知りなどほとんどした事が無いララがザックの脚の後ろに隠れてしまった。
きりっとした眉の下で優しげな光を放つ深く青い瞳、筋の通った鼻。誰が見てもハンサムで育ちの良さそうなパーカーに話し掛けられ、恥らうような仕草をした娘にザックは苛立ちを覚えた。自分の脚の陰から片目だけを覗かせている愛娘のおでこを指で軽くつつく。
「何だ、お前?」
それから立ち上がったパーカーは、隣の長椅子でリンダを励ましている洋子に目を向けた。
「あの方が奥様ですね。確かヨーコさん……」
何故、初対面のパーカーが洋子の名前を知っているのか。ザックは眉をひそめた。しかし、その情報の発信元は容易に想像出来る。シルバーレイク・タウンにいた時の事や、その後にあった事をビルがペラペラと喋っているに違いない。ビルの怪我が治った暁には、その事をとっちめてやろうとザックは心に決めた。
興味深そうに洋子を見ているパーカーに、ばつの悪さを感じながらザックは咳払いをして注意を自分に促した。妻までもが、この若い捜査官に見惚れ始めたら、いくら何でも自分の立場が無い。
「サンダースなんだろ?」
パーカーは慌ててザックに向き直り頷いた。
「特徴からいって、まず間違いないと思います。他に何か思い出した事があったら、いつでも連絡を下さい」
パーカーは名刺に携帯電話の番号を書くとザックに渡し、それからビルが言ったのと同じ事を念押しした。
「あの、フェアストーンさん。くれぐれも気を付けて下さい」
ザックはうんざりした顔でパーカーを一瞥し、口を開いた。
「それより、庭に落ちた弾や薬莢は全部回収してあるだろうな?」
「え? あの……?」
その事が捜査をするにあたって何か重要な意味を持つのかと思い、パーカーはザックの顔を期待のこもった目で見つめた。ザックはパーカーの名刺をジーンズのポケットに入れながら、真顔のまま厳しい声で言った。
「残ってると芝刈り機が壊れるんだよ」
ザックとの話が終わり、ビルがいる病室に入ったパーカーはもう一人の捜査官に声をひそめて呟いた。
「怖そうな人ですね……」
帰りの車の中、ザックは今日ビルが訪ねて来た訳と、襲撃の事について洋子に説明した。奴らの狙いはFBIだという事。リーダー格の男が昔この居留区に住んでいたため、ビルは聞き込みを兼ねて訪ねて来たという事。おそらくビルは尾けられていたんだろう、と。しかしアンソニーとサンダースとの関わりや、イーグレットの事は言わなかった。今まで洋子には心配を掛けたし、特に妊娠初期の不安定な状態ではとてもそんな話は出来ない。言う必要も無いと思った。どうせ、あんな奴らすぐに捕まる。そう信じていた。
洋子は終始浮かない顔をしていた。あんな事があった後では当然だが、それだけではなく自分が取った行動に少なからず動揺していたのだ。結婚してからしばらくは銃に対して拒絶反応があった。しかし、家の中に銃があるのに扱い方を知らないのはかえって危険だと思い、ザックに教えてもらったのだ。少し射撃の練習もした。でも、それきりもう銃を撃つ事は無いと思っていた。ましてや人に向かって撃つなんて事はあり得ないと。しかし今日、人が乗っている車にためらいもなく発砲したのだ。侵入者で、襲撃してきた相手だとしても。
一発目は適当に撃った。でも二発目は、確かに狙って撃ったのだ。当ててやろうと思った。自分のした事を思い出すと、今さらながら手が震えてくる。その様子を心配そうに見ているザックに、洋子は自分の気持ちを素直に打ち明けた。洋子もまた、ザックに心配を掛けたくなかったのだ。それに何より、ストレスは溜めておかない方がいい。
ザックにも洋子の気持ちは理解出来た。自分も初めて人に向けて発砲した時の事は良く憶えている。でもそれは、そういう訓練を受けてからの事だ。洋子にどんな言葉を掛けたらいいのかは分からなかった。洋子をアメリカに連れてきたのも、銃の使い方を教えたのも自分だからだ。
「こんな事、滅多にある事じゃないから……」
それしか言えなかった。実際そうだ。こんな事がしょっちゅうあってたまるものか。あの連中が捕まれば、再び平穏な日々が戻ってくるはずだ。ザックは自分の言葉に頷いた洋子の手をポンポンと軽く叩き、後部座席で眠り込んでいるララを見遣った。この先ずっと、自分にはこの家族を守っていく事が出来るし、そうしなければならない。こんな事は最初で最後だ。ザックは頷くと、ヘッドライトが切り裂いていく暗闇の中を家に向かって車を走らせた。
それから数日のうちに、そうも言っていられない事態が起こる事など誰も予測していなかった。
その日の深夜、洋子が寝入ったのを確認したザックは、そっとベッドを抜け出すとチェストから銃を出した。車の中の銃も洋子に気付かれないように持ってきていた。小さなランプの灯りの中、ぐっすりと眠っている洋子の顔を眺める。小さな金属音を立ててしまったが、これくらいで起きる洋子ではない。洋子の寝顔が、車の中で見たララと重なる。これからはこの二人に決して銃など握らせてはいけない。もちろん、洋子のお腹にいる子供にも。それは自分の役目なのだ。
ザックは二丁の銃を手にアンソニーの部屋へ向かった。ローテーブルの前に座ると一丁ずつ分解し、ここ数ヶ月間していなかった銃の手入れを始めた。