Kiss my ass!
「イーグル……」
ザックは呟いてビルを見た。ビルはテーブルに肘をつき、手を顔の前で組んだまま口を開いた。
「アンソニーはイーグルと呼ばれていたな……」
「……それは、ここら辺の仲間が呼ぶんだ。あだ名みたいなもんだ。でも、本当に親父の事なのか?」
ザックは眉間に皺を寄せ、画面とビルに交互に目を遣る。ビルは鋭い目で狼狽しているザックを射抜いた。
「さっきサンダースは服役したと言ったろ? 奴を警察に突き出したのがアンソニーだ」
「親父が?」
「知らなかったのか?」
「親父はそんな事、一言も……」
そう言いながらも、ザックには思い当たる事がある。母親は麻薬中毒者に殺されたのだ。そんな物を売って金儲けしているサンダースをアンソニーが許せなかったのも無理は無いだろう。
ザックは続きを読んだ。イーグルに対する恨みつらみが延々と綴られている。特別な存在であるはずの自分が、こんなにも恵まれない境遇にあるのは全てイーグルの陰謀である。イーグルこそ諸悪の根源云々……。
「まったく……逆恨みもいいとこだな」
ザックが呆れて呟くと、手を組んだままのビルが頷いて後を引き取った。
「どこかでアンソニーが亡くなった事を聞きつけたんだろう。その書き込みを最後に失踪したんだ」
ザックはまた気になる言葉を見つけ、スクロールする指を止めた。
『イーグルの復活を阻止するため、イーグレット(ワシの子、子ワシ)を滅ぼす』
ザックは目線だけをビルの方に向けた。
「この『イーグレット』ってのは俺の事か?」
「お前もそう思うか?」
「俺はイーグレットなんて呼ばれた事は無い!」
ザックは吐き捨てるように言うと、不機嫌に画面を睨みつけた。ここの家族に敵意を持っている者がいる。そう思うとザックは身体の奥からふつふつと込み上げてくる何かが、全身を駆け巡っていくのを感じた。しかし、その原因となるのはサンダースの存在だけではない。何よりも、自分にはいつも父親の名前がついて回るのだ。大人になった今でも『ザッカリー・フェアストーン』という個人ではなく、この居留区では『イーグルの息子』として見られている。逃れられないこの血が、ザックのコンプレックスの源なのだ。
しばらく黙って画面を眺めた後、ザックは唇の端を歪めると不敵な笑みを浮かべた。
「見ろよ……イーグレットを滅ぼすって書いてあるぜ……面白えなこいつ」
「おい……」
「このガキ、俺に喧嘩売ってんのか?」
「おい! ザック!」
たしなめるような口調のビルに、ザックは挑むような顔を向けた。
「ガキだと思ってなめるなよ、奴らは武装してるんだ。……お前が希望するなら、警察に頼んでこの家を警護してもらおうかとも思ったんだがな……」
「いらない! 邪魔なだけだ。自分の事ぐらい自分で守れる」
ビルはパソコンを片付け始めた。ザックは椅子の背にもたれて腕を組んでいる。ビルは穏やかな口調で、怒りの収まらないザックを説得し始める。
「お前はもうFBIじゃないし家族持ちなんだ。一人で何とかしようなんて思うなよ」
ビルは立ち上がり、玄関へ向かって歩き出した。ザックもそれに続く。
「くれぐれも気を付けろよ。奇跡は二度も起きないぞ」
ビルは釘を刺したが、ザックは苦笑いして肩をすくめた。「俺に奇跡なんか起きた事はない」そう言いたげに。
ザックとビルがポーチの階段を下りたところで、厩舎から戻ってきた洋子とララが合流した。
「ビルおじさん、もう帰っちゃうの?」
ララが残念そうに訊くと、ビルは腰を屈めて目線を合わせ、にっこりと笑いかけた。さっきまでの緊張に満ちた会話の内容など、微塵も感じさせない笑みだ。
「今日はまだ仕事の途中だからね。今度ゆっくり遊びに来るよ」
「本当に?」
ララは喜んだが、ザックはあからさまに嫌な顔をした。
「見送りはここまででいいよ。じゃあ、ヨーコ、身体大事にな」
「ありがとう」
三人がポーチの階段の下で見送る中、ビルは敷地のゲート近くに停めた自分の車に向かった。遠くから近付いて来る車の音がザックには聞こえたような気がしたが、頭上を旋回する一羽の猛禽を見つけて上げたララの大きな声にかき消された。
「あ! お祖父ちゃん!」
その時その猛禽がひとつ甲高い大きな鳴き声を上げた。ザックと洋子はララが指差す空を見上げた。
ビルはその鳥の鳴き声に身体をびくつかせ、手にしていた車のキーを芝の中へ落としてしまった。ビルがキーを拾おうと屈み込んだ時、ゲート横の茂みの陰からメタリックグリーンのステーションワゴンが現れた。サンルーフから一人の男が上半身を出し、手に持っていたマシンガンを掃射し始める。
轟音と共に不意に平和は破られた。何が何だか分からず、ただ呆然とするしかない洋子とララを抱き抱えるようにしてザックはポーチへ続く階段の陰に身を潜めた。
ビルはしゃがみ込んだ姿勢のまま、被弾し窓ガラスが割られ蜂の巣になりつつある自分の車を盾にしている。砕け落ちるてくるガラスの破片を背中に浴びながら、懐に手を入れ銃を抜いた。
階段の陰でしゃがんだララは、両手で耳を塞ぎ目をぎゅっと閉じて身を縮めている。
「一体何なの?」
訳が分からず、ララを抱きかかえて首をすくめている洋子が切羽詰った声を上げた。
マシンガンの掃射音に混じり、数人の甲高い笑い声が聞こえる。こいつらがサンダースだとザックにはすぐ分かったが、洋子の問いには答えなかった。それと同時に、今日は朝から洋子に代わって家事をしていたので、馬を馬場に出していなくて本当に良かったと思う。
ビルは銃を構え、依然として車の陰で様子を窺っている。一方ザックは、今では銃を携帯する事など無くなった。銃は家の中と、チェロキージープのコンパートメントの中だ。ザックは店の前に停めてある愛車に目を遣った。ありがたい事に、今のところそちらに被害は無い。そしてサンルーフの男がマシンガンなど扱い慣れていないのが分かった。小型のサブマシンガンだが、暴れ回る銃身に振り回されている。狙いは定まっておらず、やみくもに撃ちまくっているだけだ。だからといって姿を晒す事は出来ない、まぐれという事も充分に有り得る。どちらにしても掃射が止まなくては動きがとれない。ザックは洋子に言った。
「俺が合図をしたら、ララを連れて家に入れ。家に入ったら寝室の銃を窓から俺に渡せ。分かったか?」
洋子は不安そうな顔で頷き、ララを抱く腕に力を込めた。
火薬の臭いをさせる硝煙が風に乗ってやって来る。それに混じりガソリンの臭いが微かに漂った。ビルの方に目を遣ると、車の下から液体が流れ出している。まだマシンガンの掃射は続いている。その時、車の下の地面から小さな火が見えた。
「ビル! 車から離れろ!」
ザックが叫んだのとほぼ同時に、サンルーフの男は弾を撃ちつくし、ステーションワゴンの中へ消えた。
ザックは立ち上がり、洋子とララを階段へ促した。
「早く! 家の中に入れ! 転ぶなよ!」
洋子はララの肩に手を置き、庇うようにして階段を上がると家の中へ駆け込んだ。
ビルも車から離れようと真っ直ぐ家に向かって駆けてくる。「早く」とザックがビルを急かした瞬間、車が爆発した。腹にくる衝撃波の中で、車は弾かれたように形を変え赤い炎と黒煙に包まれる。ビルは二メートルほど前方に飛ばされ、地面にうつ伏せで倒れた。
「ビル! クソッ!」
ザックがビルへ駆け寄った。ステーションワゴンからは、狂気じみた甲高い笑い声が聞こえてくる。
ビルは呻き声を上げていた。背広の背中の部分が黒く焼け焦げ、一部露出した肌も赤黒く焼けただれている。割れた窓の小さな破片がいくつも刺さり、後頭部の髪も少し焼け焦げていた。
ビルの右腕を自分の肩に回し、身体を支えると家に向かう。階段の近くまで来たところで、またサンルーフから男が出てきた。再び掃射が始まると、ザックは階段の陰にビルを横たえた。ビルの意識は朦朧とした状態だが、銃は握ったままだ。ザックはビルの銃を取り、ステーションワゴン目掛けて発砲した。
「奥の部屋に入ってドアを閉めなさい!」
家に入った洋子が叫ぶと、言われたとおりララはゲートから一番遠い子供部屋に駆け込みドアを閉めた。
直後に窓ガラスを震わせるほどの爆発音が響き、洋子は短く悲鳴を上げると身を屈めた。振り向くと、怪我をしたビルを運んでいるザックの姿が、開いたままの玄関から見えた。その後ザックがビルの銃で発砲を始めたのを見ると、洋子は寝室へは行かずにキッチン横のパントリーへ急いだ。そこにライフルがある。洋子はライフルを持ってくると、ゲートに面した窓の横に立った。ビシッビシッと家の外壁が被弾した音が聞こえてくる。
「冗談じゃないわよ……」
洋子はライフルに弾が入っている事を確かめた。使い方は知っている。窓を開け放ち、銃口をステーションワゴンに向けるとすぐさま引き金を引いた。大きく銃身が跳ね上がり、弾はあさっての方向へ飛んでいく。
洋子はもう一度ライフルを構えた。深呼吸をして狙いを定める。二個目の弾倉を空にしたサンルーフの男が車の中に引っ込んだ。ステーションワゴンは動き出し、方向転換を始める。洋子はライフルの引き金を引いた。走り出したステーションワゴンのリアウィンドウが砕けたが止まる事はなかった。揺れる度にバラバラとガラスの破片を落としながら、ビルの車が上げている黒煙の中へと消えて行った。
洋子はライフルを下ろし、奥の部屋にいるララに聞こえないように小さな声で悪態をついた。
「クソッたれ!」