Actually・・・
「ひでえなあ……あいつの行動を監視して、俺に何の得があるんだ?」
ザックは飲んでいたビールのビンをテーブルに置くと、心外だとばかりに自分の向かいにいるビルを睨んだ。
ある春の日の日曜日、友人を招きフェアストーン家の庭でささやかなバーベキューパーティが開かれていた。ララとショーン、ジョンの子供達は思い思いに遊び、大人達は庭のテーブルで談笑している。ザックと洋子の右隣にジョンとマリアン、左隣にケイトとトムが座っている。ビルはリンダと共に、パーカーがどれだけ品行方正かについてザックに話して聞かせていた。
洋子はジョンを挟んでマリアンから育児の極意を熱心にレクチャーされている。洋子はもうすぐ臨月に入るのだ。
「……一人で何でもやろうと思ったらダメ。優先順位を決めてね。まず子供、それから自分。あなたが頑張りすぎて倒れちゃったらどうにもならないわ。その後が家事。旦那は……一番最後よ」
洋子はウンウンと相槌を打っている。
ジョンが立ち上がりビールを取りに行った。その途端、マリアンが洋子の方へ身を乗り出し声をひそめた。
「旦那は上手く使うのよ。とにかく褒めるの。オムツ替えでも、寝かしつけでも何かしてくれたら褒めるのよ。どんなに下手で時間が掛かっても。『私より上手いじゃない!』って。そうしたら有頂天になって、言わなくてもやってくれるようになるわ」
「そういうもの? ザックはララの時なんて何も……まあ、あの時はアンソニーがいてくれたから……」
疑わしそうな洋子に、マリアンは自信を持って頷いた。
「そうよ! うちの一番下の子なんて、ほとんどジョンが育てたようなものよ。楽だったわ……」
高笑いするマリアンにザックが頬杖をついて言った。
「マリアン、全部聞こえてるんだけど……」
皆が大笑いしている中、ビールを持って戻って来たジョンはマリアンに顔を向けた。
「楽しそうだな、何の話だ?」
「さあ、何でもないわ……」
マリアンはとぼけるとジョンから目を逸らした。ジョンは今度は洋子に顔を向ける。
「ヨーコ、何の話だったんだ?」
「えーと……そうね……」
洋子は何てごまかそうか考え、ずっと気になっていた話を持ち出した。
「そんな事より、あの話は何だったの? 前に言ってた、私が聞いたら離婚て……」
ジョンはその話を思い出すと、弾かれたように笑い出した。
「ああ! あれか! 聞きたいか?」
「おい! やめろよ!」
ザックが慌てて言ったが、ジョンは笑いながら手を振る。
「昔の話だ。何てことはないだろ」
ジョンの言葉にケイトも頷いた。
「私も聞きたいわ。ヨーコは大丈夫よ。もうすぐ臨月でしょ? 今離婚なんてあり得ないわ」
「無責任だな。他人事だと思って……」
蒼ざめるザックを無視してジョンが話を始めた。
「ハイスクール卒業間近の時だ。夜に俺とこいつで街に行ったんだ、車二台で……目的は分かるだろ?」
マリアンが冷ややかな目でジョンを見た。
「ナンパね……」
洋子もザックを睨みつける。ザックはムキになって弁解した。
「十八かそこらだぞ! 皆やってる! 普通だよ!」
ジョンが続ける。
「街に着いた俺達は、一人でいる背の高いきれいな女の子を見つけて、どっちがその女の子を連れ出せるか競ったんだ。まんまとこいつがその女の子を連れ出すのに成功した。二人は車に乗って、どこかへ行っちまった」
いたたまれなくなったザックが席を外そうと、テーブルに手をつき立ち上がろうとした。洋子が素早くその手を摑み、睨みながら無言で座るように促すと、ザックは諦めて力無く腰を下ろした。
一方ジョンは、ここからが面白いのだとばかりに身振りを交え、声もいっそう大きくなる。
「それから俺は一人で家に帰ったんだ。そうしたらこいつが車でやって来た。うちのフェンスに車ぶつけて壊しやがって、そのまま家に突っ込んできそうな勢いだった」
ザックはテーブルに肘をつき、両手で顔を覆っている。
「降りてきたこいつは血相変えて、汗びっしょりでさ……実はその女の子、男だったんだ!」
一瞬誰もが黙り込み、その後大きな笑いが起こった。ジョンが笑いながら続ける。
「こいつは男だって分かった途端、そいつを殴って車から放り出して逃げてきたんだ!」
「暗くて気付かなかったんだ……殴った時に、うっすら生えてる髭が当たった。あの感触、まだ憶えてるよ……」
ザックが気持ち悪そうに言うと、洋子はヒーヒー笑い、涙を拭いながら訊いた。
「どの辺で男だって分かったの?」
「言わない! 絶対言わない!」
ムキになって言い張るザックにリンダが尋ねた。
「相当トラウマになってるみたいね……ヨーコもちゃんと女だって調べたの?」
「ヨーコと初めて会った時は昼間だった。いくら何でも明るいところで見れば間違えないよ。とても男には見えない。それにちゃんと証拠もあったし……」
突然顔を上げたビルがザックを問い詰めた。
「お前、シルバーレイクでは何も無かったなんて言っておいて……やっぱり……」
「違うよ! パスポートだよ、夜中にヨーコの部屋から持ってきたんだ。そこに書いてあるだろ」
説明するザックの隣で洋子は首を傾げた。
「パスポート? 夜中に? 私の部屋から?」
そんな話は聞いた事が無い。洋子はザックの腕に手を置くと、努めて穏やかに訊いた。
「ザック、夜中に私が寝てる部屋に忍び込んだのは、その一回だけ?」
「いや」
ザックは平然と答えた。
「何回か入ってる。バッグに仕掛けた盗聴マイクを回収しに行ったり……一度、寝顔を見に行っただけの時もある」
ザックはトムの方を向き、調子に乗って喋り続けた。
「全然起きないんだ。面白くてさ」
「ハハ……そうかい?」
トムが引きつった笑い声を上げた。その目は不安に揺れながら、ザックの肩の向こうを見ている。ザックがトムの視線を追って後ろを向くと、洋子が物凄い形相で睨んでいた。
「信じられない! そんなの犯罪じゃない!」
「な、何言ってんだ! 仕方ないだろ、仕事だよ! ビルの指示だ! おいビル! 何とか言えよ!」
ビルは知らん振りでビールを飲んでいる。
「俺はヨーコを調べろとは言ったが、寝てる部屋に忍び込めとは言ってない」
「きったねえなあ!」
ビルの言葉に歯軋りしたザックは洋子に顔を向けると開き直った。
「責任とって結婚したんだから文句ないだろ!」
「何よその言い方! 冗談じゃないわ、この変態!」
怒りが爆発し、大声でザックを罵倒した洋子を全員でなだめる。
「ヨーコ、あんまり興奮しちゃダメよ……」
家の影が長く芝に落ちる頃、ザックと洋子はバーベキューグリルの横で使い終わった食器を集めていた。テーブルではまだ皆が談笑している。ララとショーンはポーチのベンチに並んで座り、お喋りをしていた。
「あれがチューイよ」
ララが馬場を指差してショーンに教えている。
仔馬の名前は結局チューイに決まった。ララが言い出したのだ。その時洋子が「ララ、あれは馬で、ゴリラじゃないのよ」と言ってしまったのがまずかった。「チューイはゴリラじゃない!」と、ザックとララ二人に延々と説明され、挙句の果てには映画のDVDを三本続けて無理矢理見せられる羽目になった。ザックはまんまとララを自分の趣味に引き込んだのだ。今、チューイは元気に馬場を走り回っている。
ザックは使い終わった皿を重ねながら、ベンチに座っているララとショーンをチラッと見て呟いた。
「あの二人、仲良いな……」
ショーンはあの事件以来、妙にザックになついていた。ザックもまんざらではないようだが。
ザックの呟きを耳にした洋子は片付けの手を止め、ショーンを眺めて微笑んだ。
「ショーンて、すっごくハンサムになると思わない?」
「そうかな?」
ザックが素っ気無く返すと、洋子は大きく首を縦に振った。
「絶対そうよ! きっと、あと十年もしたらララはショーンに夢中になってるんじゃない? 楽しみだわ……」
洋子の嬉しそうな笑顔にザックは苛立ちを覚えた。別にショーンの事は嫌いではない。しかし、それとこれとは話が別だ。そこまで寛容な父親ではない。
ザックは重ねた皿を持つと、家に向かって歩き出した。洋子も調味料のビンを持って後に続く。ララはショーンとのお喋りに夢中で、ポーチに上がってきた父親には目もくれない。ザックは咳払いをすると、威厳たっぷりの声でララに命令をした。
「ララ! そろそろ家に入れ。手伝いがあるぞ」
「えー?」
ララが抗議したが、ザックはそのまま家に入って行った。洋子はむくれているララに肩をすくめてみせると、ザックに続いた。
ザックは大きな音を立ててキッチンカウンターの上に皿を置いた。なぜか機嫌の悪いザックに首を傾げながら洋子が声を掛ける。
「まだいいじゃない。せっかく仲良く話してるんだし……」
「俺は、君の手伝いをしろってララに言ったんだ」
キッと振り向いたザックは洋子が言い終わる前に声を被せた。いかにも「君のためだ」と言いたげな、その恩着せがましい言葉に洋子は顔をしかめた。
「まだ皆いるんだから、片付けなんて後でいいじゃない!」
言い終わった後で洋子は突然何かに気付いたような顔をし、ニヤニヤと笑い出した。依然として不機嫌そうなザックの顔を覗き込む。
「もしかして、ショーンに妬いてるの? ララを取られそうで? 私があんな事言ったから?」
洋子はザックの返事を待たず、声を上げて笑い出した。
「バカねぇ! そんな先のことなんて分かるわけないじゃない! まだ二人とも子供よ! あれはただの……」
「黙れ!」
ザックがピシャリと言うと、カチンときた洋子は途端に顔を強張らせた。
「何ですって?」
詰め寄る洋子に背を向けザックは歩き出した。洋子はその背中に文句を言い始める。
「あなたのその態度、もう我慢できない! 冗談じゃないわ、私は黙らないわよ!」
ザックは黙ってダイニングテーブルの横を歩いていく。洋子もその後を追いかけながら怒鳴り続けている。
「あなたがどうしても私と結婚したいって言うから、わざわざ日本から来てあげたのに! 釣った魚に餌はやらないって訳?」
ポーチのベンチでは、ララがショーンに愚痴をこぼしている。
「ああやって、いっつも喧嘩してるのよ」
「僕達には『仲良くしなさい』って言うのにね」
だんまりを決め込んだザックは寝室に入ると立ち止まった。洋子も追いかけ、ザックの背中に向かって文句を言い続ける。
「どうせあなたは、私はもう日本へは帰れないと思ってるんでしょう? あなたがそういう態度なら、私だって考えるから! ちょっと、ザック! 聞いてるの?」
「聞いてるよ」
ザックは振り返った。その顔からは先程の不機嫌さは消え、目と口元に柔らかな笑みが浮かんでいる。
「お前の話はいつだって聞いてる」
洋子は口をへの字にしてザックを睨みつけている。
「愛してる」
ザックはそう言うと、洋子にキスをした。
ザックの唇が離れると、洋子は溜息をつき首を振りながら呟いた。
「いつもそうやってごまかされるのよね……」
悪戯っ子のように微笑んでいるザックの首に腕を回し、洋子は自分からキスをする。ザックは洋子を引き寄せようとしたが、大きなお腹がつかえてしまう。洋子をドアの方に向かせると、後ろからしっかりと抱き締めた。柔らかな洋子の髪に顔を埋め、静かに目を閉じる。
時折庭から聞こえる笑い声を聞きながら、温かい腕に包まれた洋子は何ものにも替え難い満ち足りた気分を味わっていた。ふと目を開けてドアのほうを見た。
「あら……」
開けっ放しの寝室のドアの前に、ララとショーンが手を繋いで立っていた。さっきまで喧嘩をしていた二人の仲睦まじい姿を目にして怪訝そうな表情を浮べている。
「手伝いに来たのに……」
ララが不満そうに口を尖らせた。
「僕も手伝います」
隣のショーンが礼儀正しく言った。
ザックは洋子の髪に顔を埋めたまま、片目を少しだけ開けた。ララとショーンのしっかりと繋がれた手が見えたが、不思議と腹は立たなかった。
「もうちょっと一緒に外で遊んでてもいいぞ」
その言葉を聞いたララとショーンは、訳が分からず同時に口をポカンと開けた。
「二人とも、いい子ね」
洋子は腕を伸ばし、内開きのドアを押した。唖然としているララとショーンの目の前で、バタンと音を立てドアは閉まった。
ララとショーンは互いに顔を見合わせ、困惑に小首を傾げた。とにかく手伝いからは開放された。手を繋いだまま玄関に向かう廊下を歩きながら、中の二人に聞こえるように文句を言う。
「ほんとに大人って勝手よね!」
「ああいう大人にはなりたくないよね!」
部屋の中からザックと洋子が同時に怒鳴った。
「聞こえてるぞ! お前ら!」
「黙りなさい! 子供たち!」