Don't nag me
「私とキャロルで皆を呼んだの。何か分かったら連絡し合おうねって、約束したのよ。電話してる間に車を降りちゃったのね……まったくショーンたら……」
ケイトが腰に手をあて溜息をついた後、ショーンとトムを抱き締めた。
駆けつけた警察がコリンと三人組を逮捕したのを確認すると、皆で連れ立って岩の切れ目から外に出た。
ララと手を繋ぎながら急いでザックに駆け寄った洋子は、血が流れている左腕を見て息を飲んだ。
「ザック、怪我してるわ……」
「ああ。大丈夫だ。大したこと無い」
肩をすくめたザックの横にドクターグリーンがやって来た。
「どれ、診てやろう」
ドクターグリーンは銃ではなく、応急セットを持ってきていた。
「俺より、あいつを診てやってくれよ」
後ろで伸びているコリンを指差した。コリンの周りには数人の警官がしゃがみ込んで取り囲み、容態を確認している。ドクターグリーンは手に持ったいつもの往診鞄を掲げて首を振った。
「あいつはこれじゃあ手に負えない。どうせじきに救急車が来る」
「ザック、診てもらったほうがいいわ」
洋子が言うとザックはうんざり顔で応えた。
「早く家に帰りたいんだよ」
「ダメよ! ばい菌でも入ったらどうするの?」
「すぐ終わるよ。大丈夫だ、痛くしないから」
ドクターグリーンが安心させるように肩を叩くと、ザックは苦笑いした。
「子供じゃないんだけど……」
結局ザックは渋々従った。広場の適当な岩にドクターと向かい合って座り、パトカーのヘッドライトに照らされて手当てをしてもらう。洋子はザックの隣に座り、ララは洋子の膝に頭を乗せている。
集まっていた住民が代わる代わるフェアストーン家の三人に声を掛け、にこやかに帰っていく。武器を持っているのを除けば、まるで誰かの誕生日パーティから帰る人達のようだ。
ザックとドクターグリーンを照らしているパトカーからドイル刑事が降りてきた。談笑しながら帰っていく住民達を目で追いながらザックの傍らに来ると、苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
「まったく……皆銃の携帯許可持ってるのか?」
「全員をしょっぴいて確認するつもりか?」
ザックの言葉にドイル刑事は不機嫌そうに顔をしかめ、パトカーに戻り拡声器で呼びかけた。
「皆さん! 今夜は真っ直ぐ家に帰るように! 寄り道しないで下さいよ!」
住民達はドイル刑事の声に応え、手を振りながら引き上げていく。
草を吹き散らしながら着陸したヘリからはパーカーが降りてきた。しばらくきょろきょろと辺りを見渡した後、パトカーのヘッドライトに照らされているザックを見つけて駆けてくる。
「今頃来やがって」
自分も間に合ったわけではないが、先に来たドイル刑事が偉そうに呟き腕を組んだ。
やって来たパーカーにドイル刑事は喧嘩腰だった。
「容疑者はこっちで預かる! 文句は無いな? 二人は重傷だし、どうせあんな小さいヘリじゃ乗せられないだろ!」
パーカーは自分が乗ってきたヘリを見遣るとドイル刑事に向き直った。
「そうですね。それでは、よろしくお願いします」
パーカーに丁重に依頼され、ドイル刑事の勢いは行き場を失った。戸惑いながらパトカーに引き返そうとしたドイル刑事にザックが声を掛ける。
「いい事教えてやるよ。西の外れの空き家に仲間があと三人いる。動けないはずだから、行って助けてやってくれ」
足を止めたドイル刑事は眉をひそめて振り向いた。
「動けない? どういうことです? フェアストーンさん、あなた何をしたんですか?」
ザックはキョトンとした顔で肩をすくめた。
「別に何も。ララの居場所を訊いただけだ。あいつら皆ラリッててさ……家を滅茶苦茶に壊してた。聞き出すのに苦労したよ……」
ドイル刑事は疑わしそうな顔でザックを見ながらパトカーに乗り込み、けたたましくサイレンを鳴らすと風の砦を後にした。
ザックは次々と帰っていく住民を眺めながら呟いた。
「何か、皆に申し訳ないな……俺の娘のことで大騒ぎになっちゃって……」
「何言ってんだ」
ドクターグリーンは、手当てをしながらザックをたしなめる。
「ララはお前だけの子供じゃない。父親はお前でも、ララはここで生まれたここの子供なんだ。お前だけの問題じゃない」
ドクターは顔を上げ、ザックを見ながら続けた。
「お前やコリンだってそうだ。どんなに悪いことしようが、お前がフィラデルフィアに行こうがニューヨークに行こうが、俺にとっちゃ皆ここで生まれたここの子供なんだ。それを忘れるな」
ザックは俯いた。皆はララを助けに来ただけではなく、コリンのことも救いたかったのかも知れない。そう思った。コリンがこれ以上罪を重ねないように。そしてアンソニーもそうだったのかも知れないと思い至った。コリンの父親を警察に突き出したのは、妻が麻薬中毒者に殺されたということだけではなく、コリンの父親を、そしてあの家族を救いたかったからなのかも知れない。こんな結末を迎えてしまうとは、さすがのイーグルでも予想しえなかっただろうが。
「よう! イーグル!」
ライフルを肩に担ぎ、ふらりとやって来たジョンがザックの肩を叩いた。
「何だ、それ?」
ザックが不機嫌そうな顔を向けると、ジョンは笑いながら茶化すように顔を近づけた。
「お前、自分から言っちまったな。『俺がイーグルだ』って」
ジョンは先程のザックの声を真似した。聞かれてしまった気恥ずかしさにザックが顔をしかめて舌打ちをした。
「あいつを騙しただけだ! 俺はイーグルじゃない! イーグルは親父のことで、俺じゃない! 俺はザックだ! ただのザックでいい!」
ムキになったザックにジョンは豪快に笑った。その笑い声は風の音よりも大きく、岩に跳ね返り辺りに響き渡る。
「そうだったな、いいぞ! お前はザックだ! イーグルじゃない。お前はイーグルにはなれない……」
最後の言葉にザックは鋭い目でジョンを睨みつけた。ジョンはそれでもお構いなしに笑いながら、ザックの背中をバンバンと叩く。
「お前はイーグルじゃない! イーグルもお前にはなれないよ」
ザックは眉をひそめると今の言葉の意味を考えながら首を傾げた。
「じゃあな。マリアンが心配してるから俺は帰るよ」
一人で頭を悩ませているザックを残し、ジョンは上機嫌で鼻歌を歌いながら帰って行く。何となくジョンに負けてしまったように感じるザックは、その悪友の後姿を迷惑そうに見ながら呟いた。
「ファッキン・ジョン……」
「ザック!」
「子供の前で!」
ドクターグリーンと洋子が同時にたしなめた。ザックはチラッとララを見遣った。ウトウトと首を揺らしていて、聞かれていないのは明らかだったが形ばかりの謝罪をした。
「悪かったな」
ザックはドクターグリーンからガーゼを貰い、ココペリのブレスレットの金属プレートに付着した自分の血を拭った。プレートはきれいになったが、元々タン色だった革は、瀕死の重傷を負った時に染み込んだ血と長年の汚れで濃淡のある赤茶色になっている。そこにさらに新しい血が付着し、もはや斑模様だ。ザックはそのブレスレットを目の高さに掲げ、哀れっぽい声を上げた。
「革の部分は落ちないんだよな……あ~あ、また汚れた……」
「汚れてないわ」
膝の上にあるララの頭を撫でながら反論した洋子にザックが顔を向けた。
「それは汚れじゃないのよ」
洋子がもう一度言うと、ザックは改めてブレスレットを眺めた。自分でも愚かだと思うこれまでの行いが、洋子にとって無駄ではなかったという事らしい。ザックは唇の端を歪めて笑った。
「お前がそう言うなら、そうなんだろ……」
ザックが付けているココペリのブレスレットは、洋子にとってはお守りだ。しかし、ザックにとってはお守りではない。これはただのブレスレットだ。ザックはお守りだとか、そういう類のものは信じていない。そんな物を付けていても、悪い奴が目の前に来れば殺られてしまう。自分の母親のように。
そのブレスレットはザックがニューヨークを発つ直前、誕生日にアンソニーから届いた物だった。配達された箱を受け取ったザックは開ける事も無く鞄に放り込み、そのままニューヨークを発った。その後はシルバーレイク・タウンに入る準備で忙しく、きちんと荷物を解くこともしなかった。箱は徐々に鞄の隅に追いやられていった。
次にザックがその箱を目にしたのは、レイクサイド・インの薄暗い自室だった。鞄の隅からひしゃげた箱を取り出し、初めてそこでココペリのブレスレットを見たのだ。「親父の試作品だろう」そう思ったが身に付ける事も無く、電子機器が並んだラックに置くと、またもその存在を忘れた。ココペリは忘れ去られたまま電子機器に挟まれて二ヶ月間、薄暗い部屋でザックの仕事ぶりを見守った。
そして洋子が来た。ビルに洋子の監視を命じられたザックは面倒を嫌い、念のために発信機を用意した。何か適当なものはないかと部屋を見渡した時、ココペリのブレスレットが目に入った。そこに発信機を取り付け、夜一人で湖畔に行った洋子を警戒し、お守りだと言って渡したのだ。
洋子はすっかりそれを信じ込み、シルバーレイク・タウンにいる間中身に着けていた。そして、ザックが銃弾に倒れた。洋子は生死も分からぬまま、お守りのブレスレットをザックに渡して欲しいとビルに頼んだのだ。
意識を取り戻したザックが一番最初に目にしたのが、そのブレスレットだった。ベッドの周りで医師や看護師が大騒ぎしている中、ザックはずっとベッド脇のチェストの上に置かれたブレスレットを見ていた。自分が洋子に渡したものに間違いないが、どうして革の色がこんなに変わってしまったのか。ずっとそれを考えていたのだ。
それは自分の血が染み付いたからだと気付くのは、しばらく経ってからだった。
処置を終えた看護師の一人が、ブレスレットを見つめているザックに気付き左腕に付けてくれたのだ。それ以来、ココペリの定位置はザックの左腕になった。それでもなお、それがお守りだとは思っていない。自分が言ったでまかせを洋子が信じ、重傷を負った自分のためにそれを譲ってくれた。ザックはただ、それが嬉しかっただけだ。
手当てが終わり、包帯をぐるぐる巻きにされた腕を見てザックは顔をしかめた。
「大げさじゃないか?」
「お前はどうせ、怪我してたって構わず腕を振り回すだろう」
ドクターグリーンが片付けをしながら言った。子供の頃からやんちゃだったザックの手当てなど、数え切れないほどしてきた。最初は大泣きしていても手当てされて痛みが和らぎ、傷口に絆創膏や包帯がしてあるのを見ると治ったと思い込み、また駆け出して遊びに行こうとするのだ。いつの間にか見上げるような背丈になっていたとしても、今のドクターグリーンの目に映るザックは昔のままだ。
「もう子供じゃないんだけど……」
ザックが不機嫌そうに呟いた。