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「ヨーコ!」
ザックが叫んだ。
銃弾は女の顔の横十センチほどの所に撃ち込まれた。広がった金髪を通り抜け、ソファの座面に吸い込まれていった。火薬に混じり、髪が焦げる嫌な臭いが微かに漂ってくる。
「あ……あ……」
女は言葉を失い、震えながら目に涙を滲ませている。ザックは目を見開いたまま大きく安堵の息をつき、茫然自失の女の手に手錠を掛けた。
「い、言うよ……『風の砦』って所だ。そこで儀式をやるって言ってた……」
男が震える声を出した。
「風の砦? そこに連れて行ったのか? 何の儀式だ?」
ザックが詰問すると、男の目から涙がこぼれ出した。
「イ、イーグルが甦らないように……イーグレットのく、首を埋めるって……」
「首を?」
ザックは男に問い返したが、洋子は黙ったまま身体を起こし踵を返すと出口へ向かった。
ザックも後を追おうと立ち上がり出口へ向かいかけたが、振り向いて男に詰め寄った。
「本当だろうな? 嘘だったらまた戻ってくるぞ。あいつ連れて」
「や、やめてくれよ……。本当だよ……嘘じゃないよ……」
男は泣きながら千切れそうなほどに首を振った。
洋子は出ていってしまった。シクシクと泣いている二人を残し、ザックは洋子を追いかけ玄関を出て扉を閉めた。
「ヨーコ!」
ザックは洋子の肩を摑んだ。洋子は足を止めたが、前方を睨みつけたままザックを見ようとしない。
「むかつくわ……あんな奴らにララが……」
洋子の呟きは怒りに震えている。ザックは努めて穏やかに洋子を諭す。あの時と同じ轍を踏むわけにはいかないからだ。
「俺だって同じ気持ちだ。でも落ち着かないと、上手く行く事まで行かなくなる」
「大丈夫よ。私は落ち着いてるわ……」
不機嫌に言い捨てた洋子は肩に置かれたザックの手を振り払い、険しい顔のまま肩をいからせ足を踏み鳴らして車へ向かう。頭に血が上り、気が急いているのは誰の目にも明らかだ。
月明かりだけが頼りの暗い荒野を一人でどんどん歩いていく洋子を追いかけながらザックは叱責の声を上げた。
「ヨーコ! もっとゆっくり歩け! 転んだらどうするんだ!」
洋子は再び立ち止まり、振り向くとザックを睨みつけた。
「大丈夫だって言ってるでしょ……」
ザックは洋子の肩を引き寄せるとキスをした。唇が離れると洋子は俯き、拳でザックの胸を叩いた。ララをその腕に抱き締められないもどかしさだろうか、幾筋もの涙が頬を伝っている。
ザックは洋子の両肩に手を置き、顔を覗き込んだ。
「ララは大丈夫だ。俺が必ず連れ戻す! 少しは俺を信用しろ!」
洋子は顔を上げ、ザックを見つめた。決意に満ちた真剣な眼差し、そして何よりも一番聞きたかった言葉に洋子は黙って頷いた。
ザックは洋子の肩に手を回し、洋子はザックの腰に手を回して車へ向かう。ララが誘拐されてから、初めて二人の気持ちが重なった。
ララが待っている。愛しい娘のもとへ、月明かりにぼんやりと浮かび上がる荒野を見据えた。
怪我をした男が乗っているステーションワゴンの横を通ると、呻き声が聞こえてきた。男が目を覚ましたようだ。
「ちょっと待ってろ」
ザックが運転席へ回った。
「もう! こんなの放っておけばいいじゃない!」
呆れている洋子に、ザックは運転席のドアを開けながら言った
「俺はこいつにむかついてるんだ」
洋子は腕を組んで溜息をつき、窓から助手席の男を覗いた。厩舎で見た時よりも酷いことになっている。鼻と口から夥しく出血しているのだ。洋子は顔をしかめて目を逸らした。
男は運転席に乗り込んできたザックに、息が抜けたような不明瞭な声で抗議した。
「あ、あの……マジ、歯折れてるんすけど……」
ザックはエンジンを掛けながら、男の抗議を無視して言った。
「おい、お前人を殺してみたいって言ってたよな?」
それを聞いた洋子は助手席側の割れた窓から嫌悪感に満ちた目で男を見た。
「いえ、あの……今はいいっす、マジで……」
ザックはシフトレバーをドライブに入れた。
「遠慮するなよ」
後部座席を見ると、栓の開いてないビール瓶を見つけ手に取った。
サイドブレーキを解除しながら男に提案する。
「仲間を轢き殺すってのは、どうだ?」
「えっ?」
洋子が耳を疑い訊き返すと、ステーションワゴンはゆっくりと走り出した。
ザックは車を降りると開いたままのドアを押さえ、同じ速度で併走する。座席に置いたビール瓶を取り、アクセルペダルめがけて投げつけた。ビンはアクセルペダルに当たった後、床に落ちて転がった。ザックは立ち止まったが、車は速度を上げるとギアを勝手に変え、手錠で繋がれたカップルがいる空き家に向かって走っていく。空き家の古びた玄関とその隣の窓の間にある壁に当たると、メキメキという音を立てて破壊しながら車は家の中に入って行った。三人の叫び声が聞こえた後、けたたましい音が響く。おそらく正面にある金属製のラックにぶつかったのだろう。再び三人の叫び声や悪態やらが響き、破壊された入口からは排気ガスとも埃ともつかない煙が吐き出されてきた。中は大騒ぎのようだ。
洋子が咎めるような目を向けたが、ザックは肩をすくめただけだ。
「死にはしないよ」
二人はチェロキージープに向かった。
車の中でザックは『風の砦』について洋子に説明した。
「あそこは四方を大小の岩で取り囲まれた天然の砦なんだ。昔、インディアンが白人に追い詰められて、そこに立て篭もって戦った古戦場だ。あそこには、たくさんのインディアンの血が染み込んでる。俺達にとっては聖地みたいなもんだ。あいつ、あんな場所でララを……」
ザックは言葉を切り、唇を噛んだ。
ヘッドライトが照らす砂の浮いた路面を見つめていると、洋子の携帯電話が鳴った。
「ケイトだわ」
電話に出ると、風の音に混じってケイトの声が聞こえた。
「今、『風の砦』っていう公園みたいな所にいるの」
「えっ? そこにいるの?」
洋子は驚いて訊いた。ザックも眉をひそめ、電話をしている洋子に顔を向けた。ケイトの話が続く。
「車で走ってたら偶然見かけたのよ。ララを連れ去った車を。それで後を尾けたの」
「そんな……危険だわ……ショーンも一緒なの?」
「ええ。だって置いていけないでしょ? 大丈夫、見つかってないから。でも、入り口に見張りがいて入れないのよ」
「私達も今そっちへ向かってるの。気を付けてね」
洋子が電話を切ると、ザックは車内の時計に目を遣った。間もなく夜の十時になろうとしている。
「ショーンも一緒なのか……まったく、夜更かしだな……」
「違うわ……きっと捜してくれてたのよ……」
ケイトもショーンもこの事で責任を感じているのかも知れない。何の関わりも無いあの家族を危険な目に遭わせてしまったら、そう考えるととても心苦しい。俯いた洋子の肩にザックの手が置かれた。顔を上げるとザックは黙って頷いた。「俺がなんとかする」その目は力強く語っている。もうアンソニーもいない、FBIという大きな後ろ盾も無い。それでもザックはこの事態を収拾しようと必死に冷静を保っている。
下を向いている場合ではない。とにかく今はララを取り戻す事だ。
洋子は前方にそびえる真っ黒な壁と化した岩山に挑むような目を向けた。