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Horse shit!


 厩舎も電気が点いている。閉じているが鍵が壊されている扉に身体を寄せ、中の物音に耳を澄ました。興奮した馬の声しか聞こえてこない。侵入者はどこにいるのか、乗ってきた車を置いて帰るとは考えられない。近くには電車など走っていないのだ。確実にこの敷地内に潜んでいるはずだ。

 厩舎の横手に回り、窓から中を覗いた。両側に向かい合って並んだ馬房の真ん中の通路にアレックスが出ている。大きな身体をしきりに揺すり、黒い豊かなたてがみが時折波打つ。かなり興奮しているようだ。

「よりによって……」

アレックスが睨みつけている視線の先は厩舎の扉だ。そして、その扉の前には男が一人倒れている。最初はアレックスが殺ってしまったかと思ったが、よく見ると男の胸が動いている。生きているようだ。ザックは洋子に顔を向けた。

「アレックスが通路に出てる。危ないからここで待ってろ」

「中に誰かいるの?」

不安げな洋子にザックは頷いた。

「ああ。男が倒れてる。何とか生きてるみたいだけど……」

 ザックはアレックスを刺激しないよう静かに扉を開けると中に身体を滑り込ませた。男は気を失っている。扉に背中を向けて横向きに倒れているのだが、脚が変な形に曲がっている。顔や頭には泥や干草が付着して汚れているが、まだ二十代前半といったところだろう。

 一番手前にあるアレックスの馬房の鍵が壊され、その前に銃が落ちていた。この男がアレックスの馬房の鍵を銃で撃って壊し、銃声に驚いたアレックスが飛び出して襲い掛かったのだろう。アレックスに襲われて生きているとは、この男は運が良かった。ザックは銃を腰に隠すと、アレックスに掌を向けた。

「アレックス、落ち着け……俺だ……」

アレックスは怒ったようにザックを睨むと鼻を鳴らした。「どこに行ってたんだ! お前がいない間、俺がこいつを見張ってたんだぞ!」そう言いたげに。

「悪かったな、もう大丈夫だ」

ザックはゆっくりとアレックスに近付いていく。アレックスが機嫌悪そうに鼻を鳴らし、前足で地面を掻いた。ザックは足を止めて溜息をつく。こめかみからは汗がひと筋流れていく。アレックスを傷付けたくはないが、この男のように襲われるのもごめんだ。それに、こんな所で時間をくってるわけにはいかない。

「アレックス、今ララが大変なんだよ。助けに行かなきゃいけないんだ。協力してくれよ……」

ザックは必死でアレックスを説得する。

 アレックスは険悪な目つきのままだが、何とか隣まで来ると首を撫でた。馬房に促そうとすると、アレックスは前脚でザックの脚を小突いてきた。ザックは一瞬身体をびくつかせ、その後何もしてこないアレックスにからかわれたのだと分かり苦笑いをした。

「脅かすなよ……」

 その後アレックスははおとなしく馬房に入ってくれた。ザックは壊れた南京錠の代わりに、鎖を馬房の取っ手に巻きつけると大きく息をつき、外にいる洋子を呼んだ。

 おずおずと入ってきた洋子は、倒れている男の脚が変な方向に曲がっているのを見て嫌そうに顔をしかめた。しかし男が穿いているチノパンのポケットから、小さな黒いレースの布が出ているのを見て血相を変えた。

「やだ! これ、私の!」

洋子が慌てて男のポケットから引き抜いたのは黒いTバックだ。ザックはそれを見て口をあんぐりと開けた。

「何だそれ? そんなの見たこと無いぞ」

「そ、そりゃそうでしょ。穿いたことないもの……」

不信そうに見ているザックに、洋子はTバックを自分のワンピースのポケットにしまいながら慌てて説明した。

「銀行を辞める時に、同僚の女の子から貰ったのよ。結婚祝いだって……」

「何で穿かないんだよ?」

咎めるようなザックの声に洋子は顔を真っ赤にして俯いた。

「わ、私には刺激が強過ぎるのよね……それに、これじゃお腹が冷えちゃうし……」

 ザックは呆れて肩をすくめた。寝室に散乱していた衣類の中には洋子の下着もあった。どれもいつもの色気も素っ気もないものばかりだった。こんなものが見つかったのだ、この男が他の下着に目もくれなかったわけだ。

 洋子は倒れている男に対して怒りが込み上げてきた。その傍らにしゃがみ込み、男を覗き込んでいるザックに尋ねた。

「ところで、この下着泥棒をどうするつもり?」

「とりあえず、こいつを車に運ぶ」

「ほっときなさいよ、こんな奴。この変態! エロガキ! くたばれ!」

恥ずかしさで怒りが収まらない洋子は罵りながら、スニーカーの爪先で男の肩を小突き回す。ザックがうんざりして洋子に顔を向けた。

「ヨーコ! それぐらいにしとけ。それに、汚い言葉を使うな!」

「あら、すいませんでしたね……普段のあなたに比べれば、かわいいほうだと思うけど……」

腕を組んでそっぽを向いた洋子に構わず、ザックは説明した。

「こいつにララの居場所まで案内させる。ヨーコ、後ろからチェロキージープでついて来てくれ」


 ザックは家の前に停められていたメタリックグリーンのステーションワゴンに乗り込んだ。その助手席には怪我をした男が気を失ったまま座席にもたれている。洋子はチェロキージープに乗り、ゲートから出てきたステーションワゴンの後について走り出した。

 洋子は前を走る車を不安な気持ちで見つめた。ザックのことが心配だったのだ。今のところは冷静に行動しているザックだが、何かの拍子で怒りにまかせてあの男を殺してしまうようなことになりはしないかと。

「お願いザック……バカな真似だけはしないで……」

洋子は祈るように呟いた。


 車が走り出して間もなく男は目を覚ました。ザックはメーターパネルの前に置いた銃を左手で握ると、ハンドルを持った右腕に乗せ銃口を男に向けた。

「よう。起きたか。命拾いしたな。俺の娘はどこにいる?」

男はザックの質問を無視して、いきなり自分の要望を口にした。

「あ、あの……自分、怪我してるんで、病院に行ってもらえませんか? おたくの馬にやられ……」

ザックは何も言わずに発砲した。


 前の車から銃声と助手席の窓が砕ける大きな音が響き、後ろを走る洋子は弾かれたように身をすくめた。

「ザック……何て事を……」

喘ぎながら呟くと、ハンドルを握る手が震えだした。助手席の窓の向こうを、前の車の割れたガラスの破片が通り過ぎて行く。それでも、前を走るステーションワゴンは変わらぬ速度で走り続ける。

 チェロキージープのヘッドライトは揺れるたびに、前を走るステーションワゴンの砕けたリアウィンドウから車内を照らす。助手席の男の手が慌てたように大きく動いているのが見えた。生きているようだ。洋子は大きく安堵の息をついた。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」

男は必死で謝り始めた。両手で頭を抱え、何とか動かす事が出来る上半身を助手席のドアに押し付け、ザックから逃れようとしている。ザックは男に銃口を向けたまま口を開いた。

「言っとくけどな、こっちは利き腕じゃないんだ。どこに飛ぶか俺にも分からないぞ。娘がどこにいるのか答えろ! 病院はその後だ」

「分かりました! 分かりました!」

男は座席の背もたれとドアの角に身体をくっつけ、ザックの方に向けた掌で顔をかばいながら頷いた。ガラスが割れた窓から吹き込む冷たい風のせいか、自分に向けられた銃口に怯えているのか、ぶるぶると震えている男にザックは詰問した。

「西の外れの空き家だろ? 俺の娘もそこにいるのか?」

「そうです! 自分が出てくる時はまだいたっす! マジっす!」

うっかりピンを外してしまった手榴弾を慌てて遠くへ放り投げるように、そうしてしまえば自分は安全なのだと思い込み、男はララについての情報を早口で吐き捨てた。さらにザックは質問を重ねる。

「俺の家で何をしてた?」

「あ、あの、コリンに言われて……儀式に使うから、イーグルの写真を持って来いって。あと、武器もあったら持って来いって……」

それなのに何故、ポケットの中に洋子の下着が入っていたのかは追求しなかった。その儀式という言葉が気になる。

「儀式って、何の儀式だ?」

「さあ……」

ザックは舌打ちすると銃を握り直した。男はまた手で顔をかばう。

「マジっす! よく知らないんすよ! あいつ、たまに何言ってんのか分かんないんすよ」

 ビルはサンダースを教祖だと言っていたが、この男のサンダースに対する態度はとても信者のそれとは思えない。ザックは呆れて訊いた。

「何であんな奴と一緒にいるんだ?」

男は自分の事を訊かれたのが嬉しかったのか、急に上機嫌になって喋りだした。

「自分、普通に大学とか行ってたんすけど。あんま面白くなくて、友達もいないし……学校行かないで家でネットやってたら、あいつのブログ見つけて面白そうだなって……」

ザックは、あのバカバカしいサンダースのブログを思い出し眉をひそめた。

「あれのどこが面白いんだ?」

「いや、あいつかなりブチ切れてるっていうか……自分の親とか殺してるんすよ。これマジで。『イーグルに取り憑かれた惨めな人生を終わらせてやった』とか何とか言って。すごくないすか?」

ザックは男を睨みつけた。

「それの何がすごいんだ?」

「自分、殺しはまだなんすけど、そのうちにって思ってるんすよ。やっぱ、一人くらい殺しといた方がハクって付くじゃないすか」

「何だと……」

男は今年の抱負でも発表しているかのような口ぶりだ。

「こういう奴だ……」

ザックは口の中で呟くと奥歯を軋らせた。こういう奴が平気で年寄りや女子供を殺すのだ。自分よりも強いと思う者には媚びへつらい、自分よりも弱いと思えば途端に牙をむく。こいつなら、サンダースに命令されれば何のためらいもなくララに手を掛けるだろう。

 ザックは嫌悪感を露にした。それでも男は上機嫌のままだ。

「お兄さん、元FBIなんすよね?」

ザックは鋭い視線を男に投げ掛けた。

「へへ……俺たち色々調べたんすよ。やっぱ、人殺した事とかあるんすか?」

しかもこの男には、その表情から相手の感情を推し量るという、小さな子供でも持っている基本的なコミュニケーション能力が欠如している。ザックはこの男が望むとおりに答えてやった。

「ああ。お前みたいなチンピラを何人もな」

「やっぱすげぇ……」

男は大喜びしている。

「それだけか?」

「えっ?」

「知ってることはそれだけか?」

男が大きく頷くと、ザックは銃をメーターパネルの前に置いた。

「ほんとにこれだけっす! だから病院に……」

ザックは右の拳を男の顔に叩きつけた。

「だったら少し黙ってろ!」

男はまた気を失った。


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