Dammit!
車が走り出すと、辺りにはもう夜の帳が下りていた。こんなに遅くまでララと離れているなんて初めてだ。窓の外に広がる荒野は闇に沈み込み、その深さを計り知る事は出来ない。何も見えない暗がりの中で囚われているララの姿が頭に浮かび、洋子はポロポロと泣き出した。
「……きっと、泣いてるわあの子……怖くて、不安で……」
洋子をチラッと見たザックも、きっとそうだろうと思った。今までずっと家族に見守られてきたララ。どんなに生意気でも、まだ四歳の女の子なのだ。今頃は張り裂けそうな恐怖を抱え、泣きながら両親を呼んでいるに違いない。ザックのハンドルを握る手に力が入った。
ララは激怒していた。埃っぽく陰気な地下室に連れて来られ、手足に手錠を掛けられている。しかも、さっきから不気味な男が自分を覗き込んでいるのだ。
「あっち行ってよ! あんたなんか大嫌い!」
ララはコリンに向かって力一杯叫んだ。こんなことを言っているのをママに聞かれたら怒られるかも知れない。でも、あいつがとても気持ち悪いのだから仕方が無い。
「これがイーグレットか……意外と簡単に手に入ったな……」
コリンが薄笑いを浮かべ、自分を上目遣いで睨みつけている幼女を上から下まで眺めた。何の変哲も無い普通の子供に見えるが、これが邪悪な魔力を持つイーグルの末裔なのだ。コリンは立ち上がり、イーグレットを連れて来た女に命令した。
「必要な物が揃ったら始めるから、それまで見張っとけ」
そう言うと階段を上がって行った。
「何で女っていうだけで、アタシがこんなガキの面倒見なくちゃいけないんだ?」
女は苦々しく吐き捨てた。大体、このガキはさっきから「お絵描きがしたい」だの「トイレに行きたい」だの、うるさくてかなわない。「まったく、もううんざりだ!」
足を踏み鳴らして不満をぶちまけている女をララが睨みつけた。
「ねえ! お腹が空いた!」
女は自分がボリボリと食べていたスナック菓子の袋をララへ放った。
「これでも食いな」
ララはその袋を見てさらに女を睨みつけた。
「こんなのはご飯じゃないわ」
「ふん! 美味いのに。バカじゃねぇ?」
女は壁を背に床に座るとイヤホンをし、外からでもはっきり聞き取れるほどの大音量で音楽を聴き始めた。目をつぶり、頭を激しく振っている。
「もうこんな所にいたくない……。お腹空いた、お家に帰りたい……」
ララは悲しくなってきた。
「お家に帰ってママの作ったご飯が食べたい……。パパのでもいい、我慢する……」
ララの目に涙が滲んできた。今頃パパとママはどうしているのか。帰ってこない自分を捜しているのか。それとも二人でご飯を食べているのか。ララは不安になってきた。食いしん坊のパパはご飯を全部食べてしまって、残しておいてくれないかも知れない。そんなパパをママはちゃんと叱ってくれるだろうか。
ララの頭の中に、両親が二人きりで食卓を囲む姿が浮かんできた。テーブルには三人分の食事が載っているが、いつもの自分の席は空いている。父親が悪戯っぽい笑みを浮べながら、こっそりとララのお皿にフォークを伸ばす。再び怒りがこみ上げてきたララは力一杯叫んだ。
「パパのバカー!」
「あっ!」
ザックは急に背筋に冷たいものを感じ、スピードを落とすと周りを見渡した。車はもう居留区に入っている。窓の外には遠くに民家の灯りが見えるだけだ。
「どうしたの?」
洋子が訝しげに訊いた。
「あ、いや。何でもない……」
ザックは取り繕うように言うと首を傾げた。自分でもよく分からないが、悪意や怒りといった剝き出しの感情をぶつけられたように悪寒が走ったのだ。どうしようもなく嫌な予感がする。
ザックは助手席の洋子をチラッと見た。不安げに窓の外を見ている。ザックは前方に視線を戻し口を開いた。
「なぁ、ヨーコ。ララは俺がちゃんと連れ戻すから、その間お前はジョンの家に行ってろ」
「嫌よ」
間髪入れずに洋子が返してくる。ザックは眉をひそめて洋子に目を向けた。
「お前なぁ……いま自分が妊婦だってこと……」
洋子は必死になって訴えた。
「分かってる! 邪魔はしないわ……でも、もう不安な思いで一人待つのは嫌なの。一緒にいさせて、お願い! 何もしないわ」
ザックは溜息をついた。このぶんでは、無理矢理ジョンの家に置いてきても一人で飛び出しかねない。一人で勝手に行動されるのが一番困る。ザックはもう一度洋子に目を遣った。口元を引き結び、目は吊り上っている。飛び出す気満々といった感じだ。どうすればいいのかを考える。鳩尾でも殴って気絶させるか。しかしザックはすぐに思い直して首を振った。ダメだ。洋子は今妊娠中なのだ。
そんな事を考えている間に、家の近くまで来てしまった。そして異変に気付いた。
「電気が点いてる……」
「点けてきたの?」
「いや。家を出た時はまだ明るかったから……」
洋子が不安そうに見つめる中、ザックは車のライトを消しエンジンも切った。惰力で進む車をゲート横の茂みに寄せて停めた。
家の前には車が停まっている。ザックはコンパートメントから銃を出した。
「ヨーコ、ここで待ってろ」
不安そうな洋子の顔に恐怖の色が混じる。しかし、それを気遣っているような時間は無い。ザックは有無を言わせぬ口調で続けた。
「俺が出たら、すぐに全てのドアをロックしろ。何かあったら、すぐに車を出してそのまま警察に行け。十五分経って俺が戻らない場合も同じだ。分かったか?」
「あ、あなたを置いていけって言うの?」
「そうだ。それが出来ないなら、今すぐジョンの家に行け。送って行ってやる」
ザックの真剣な顔を見て、洋子は震える唇を引き結ぶとぎこちなく頷いた。さっきは勇ましくあんな事を言ったが、いざ現実に襲撃者が自分の家にいるかもしれないという事に直面し、どうしていいのか分からないのだ。それにララの安否を考えると心がざわついて仕方が無い。こうなっては、ザックの言うとおりにするしかないだろう。
「分かった……ドアをロックするわ……」
ザックは銃を持って車の外に出た。直後にドアがロックされる音が聞こえてきた。闇に紛れ、家の窓と車から死角になる角度でゆっくりと近づいていく。停まっているのはこの前ここへ来たステーションワゴンだった。洋子がライフルで撃ち砕いたリアウィンドウはそのまま直されていない。車の中に人影は無かった。
ポーチに上がり、玄関と寝室の窓の間の壁に立った。見たところ、全ての窓から明かりが洩れている。掛けたはずの玄関の鍵が開いており、寝室の窓が割られている。ここから入って玄関から出たらしい。小さく悪態をつく。
「くそっ! 人の家を壊しやがって!」
辺りを見渡しても侵入者の姿は無かった。ゲート横に停めてあるチェロキージープにも動きは無い。
扉をそっと開けて家の中に身体を滑り込ませた。耳を澄ますが、人の気配は無い。正面に見えるキッチンカウンターの横にある戸棚から物が出され、床に散乱している。嫌な予感に囚われ、ザックは顔をしかめた。
奥へ進み、リビングの入り口の陰から家全体を見渡した。
「やっぱり……」
家中が荒らされている。ダイニングもキッチンも。各部屋のドアは開いていて、寝室もアンソニーの部屋も子供部屋まで。だが、家の中には誰もいない。ザックはゲートに面した窓に目を遣った。停まったままのチェロキージープは闇に紛れている。ヨーコがこの家の中を見たら、大変なことになるだろう。ザックは困り果てて首を振った。
一応ロフトも見てみた。パソコンは無事だったが、ラックに収まっていたはずのダンボール箱が転がり、中の商品がばらまかれている。ザックは堪えきれずに悪態をついた。
「こんなとこまで……クソッ! ヨーコは身重なんだぞ。誰が片付けると思ってんだ!」
そして予想したとおり、寝室の銃とパントリーのライフルが無くなっていた。
ザックは家中の電気を消して回った。もし洋子に窓から家の中の荒れ具合が分かってしまったら面倒だ。自分が散らかしたわけではないが、洋子が荒れれば被害を被るのはこっちだ。
「まずい、今はまずい……ヨーコにこの家の中を見せるわけにはいかない……」
ザックは首を振りながら寝室に入った。洋子は昼間から着ている半袖のワンピースのままだ。日が落ちてから冷えてきている。「羽織る物が欲しいから」と、家の中に入られても困る。床に散乱している衣類の中から洋子のカーディガンを摑み、自分のポンチョを捜し出して羽織ると電気を消して家を出た。
家の前に停められたステーションワゴンをもう一度見たが、やはり誰もいない。すると、後部座席に長い筒が見えた。ライフルの銃身だ。
「うちのだ」
鍵の掛かっていないドアを開けると、ライフルの他に銃と写真立てに入った家族写真が置いてあるのが分かった。五歳のザックが泣きながら母親に抱かれている写真だ。
「何でこんな物を……?」
その時、厩舎からアレックスのいななきが聞こえた。相当機嫌が悪そうだ。
「厩舎か……」
しかし、もう十五分が経とうとしている。ステーションワゴンの中のライフルと銃と写真を持って、一度チェロキージープに戻る事にした。
チェロキージープの後部座席にライフルと写真を積み、ホッとした顔の洋子にカーディガンを渡した。
「家の中には誰もいない。多分厩舎だ。これから見てくる」
「ねぇ、一緒に行ってもいい? ここ暗くて怖いの……」
できれば車の中で待っていてほしかったが、それで勝手に家の中に入られても困る。それに今、家には誰もいないと言ってしまったばかりだ。ザックは渋々承知して、洋子に銃を渡した。