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Take care, honey

 次の日の午後、ザックはロフトで仕事に追われていた。昨日ジョンが持って来た商品の発送が立て込んでいるのだ。梱包した商品に送り状を貼り付けていると階下から洋子の声がした。

「ララを迎えに行ってくるわ」

 ララの送り迎えは、なるべく洋子が自分で行くことにした。つわりも治まったことだし、何よりララがスピード狂になったら困るからだ。

 ザックもその方がいいと思い、洋子の言う通りにした。とりあえず、奴らが捕まるまでは。奴らはこの家を知っている。もし洋子が一人の時に奴らが来る様な事があったら、それだけは避けたい。これは父と自分の問題なのだ。家族といえど、巻き込むわけにはいかない。ザックは立ち上がり、洋子に顔を向けた。

「大丈夫か? 俺も一緒に行こうか?」

「大丈夫よ。それに忙しいでしょ?」

ザックはパソコン画面に表示された予約リストを見て溜息をついた。

「まあな……」

一度玄関に向かいかけた洋子だったが、思い出したようにロフトの下まで戻ってきた。

「分かってると思うけど、今日はチャーリーの乗馬のレッスンがあるから。それまでには戻るつもりだけど、もし誰もいなかったら困るでしょ?」

「ああ、そうだな……」

すっかり忘れていたザックだったが、怒らせると面倒なので憶えている振りをした。

「じゃあ、気を付けろよ」

「大丈夫よ。私は安全運転だから」

ザックは送り状をプリンターにセットしながら言い返した。

「俺だって事故を起こしたことは無い」

「はいはい。起こしてからじゃ遅いでしょ……」

ブツブツ言いながら洋子は家を出た。


 早目に着いた洋子は、車を降りて幼稚園の門の前で待っていた。

「ヨーコ!」

声のした方を見ると、ショーンの母親のケイトが歩いてくるのが目に入った。ショーンの家は幼稚園のすぐ近所なのだ。ケイトとは幼稚園の保護者会で初めて会い、同じ歳というのもありすぐに意気投合した。いつも明朗快活なケイトが、今日は困ったような顔をしている。

「ねえヨーコ、スーツケースって持ってるかしら? 今度の休暇でマイアミに行くんだけど、ちょうどいい大きさのが無くて……。ショーンも最近よく服を汚すから、着替えがたくさん要るのよね……」

「日本から持ってきたのがあるわ。それで良ければ……今度持って来るわ」

洋子が請け負うとケイトはパッと顔を輝かせ、いつもの彼女に戻った。

「ありがとう。助かるわ。あ、でも休暇はどこかへ出掛けないの?」

洋子は笑って首を振った。

「うちは旅行なんて……。それに、休暇の時はこっちがお客さんを迎えるほうでしょ? 旅行なんて全然行ってないわ。毎年五月にシルバーレイクに行くぐらいで……」

「あら、ずいぶん近場ね」

 毎年五月の満月の日にシルバーレイク・タウンに行く事が、いつしかフェアストーン家の恒例になっていた。シルバーレイクの湖畔に花を供えてくるのだ。理不尽に命を奪われた、洋子の元婚約者である朗と十五歳のメキシコ人少女のために。

 それを言い出したのはザックだった。最初、洋子は自分の耳を疑った。妻の昔の恋人のために、そんなことをする男がいるだろうか、と。でも、洋子は知ってもいた。ザックがあの事件を誰よりも憎んでいることを。

 人身売買組織によって誘拐され、母国から無理やり連れ出された少女。逃げようとして背中から撃ち殺されてしまった。朗はそれを目撃してしまったがために殺された。しかも朗は半年もの間、その事件の容疑者にされていたのだ。

 写真家として類稀な才能を持ちながら、それが世間に認められたのは彼の死後だった。朗が撮ったシルバーレイクの写真は、今ではポスターやポストカードとなり州内の観光施設や売店には必ず置かれている。

 ザックにとっての朗は、自分が捜査をしていた事件の被害者だ。知れば知るほど憎めないその男と洋子を切り離すことは出来ないし、その必要も無い。初めて会った時、既に洋子の中に朗はいたのだ。その洋子をザックは愛したのだ。そして、あの事件がなければザックと洋子が出会うことはなかった。その皮肉な事実を忘れないように、ザックは毎年あの湖に行くのかも知れない。

「でも、次の五月は私は無理かも……。出産と重なるかも知れないし……」


 その後、洋子とケイトはマイアミについての話で盛り上がった。二人の傍らを、子供を迎えに来た母親達や園児達が行き交う。幼稚園から出てきたララとショーンは一緒に遊んでいる。

「あ! こっちに来てララ!」

ショーンが門の横の植え込みを覗きながら手招きをした。

「どうしたの?」

「今カメレオンがいたよ」

「トカゲじゃないの?」

ショーンが指差す植え込みをララも覗き込んだ。

「ねえ、何してんの?」

突然聞きなれぬ声が聞こえ二人が振り向くと、長い金髪に目の周りを真っ黒にメイクした若い女がいた。不気味な柄のロックバンドのTシャツに、レザーのショートパンツを穿き、動くたびに重ね付けしたアクセサリーがジャラジャラと音を立てる。その横にいる男も似たようなTシャツを着て、顎まで伸びた髪はボサボサだった。顔の至る所にピアスが付いている。


「いやー!」

ララの大きな叫び声で洋子が振り向いた。若い男がララを抱え上げ、どこかへ連れて行こうとしている。

「ちょっと! 何するの!」

洋子が追いかけようとすると、女が洋子めがけてショーンを突き飛ばした。洋子はショーンを受け止めたが、その拍子にバランスを崩して倒れそうになる。何とか転倒は免れたが、その場にしゃがみ込んでしまった。

 周りにいる母親達が騒然とし始めた。泣き出しそうなショーンを駆けつけたケイトに預け、洋子は立ち上がった。

「待ちなさい!」

洋子が叫んだ。男は少し離れた所に停められた赤いセダンにララを押し込んだ。女がララと一緒に後部座席に乗り込み、男が運転席へ回る。洋子が追いかけようとすると、赤いセダンは走り出した。

 洋子はチェロキージープに引き返すと運転席に乗り、震える手でキーを回してエンジンを掛けた。顔を上げると、赤いセダンが遠ざかっていくのが見える。洋子は焦りながらクラッチを踏み込み、ギアを入れた。サイドブレーキを解除すると涙が滲んできた。クラッチを踏む足が震え、いつ離していいのかタイミングがつかめない。気持ちだけが前へ前へと急いでいる。クラッチを離すと、車はすぐにガクンと止まってしまった。

 滲む視界に角を曲がるセダンの姿が見えた。

「ララ……ああ、どうしよう……」

洋子の心に絶望という名の黒い影が忍び込んできた。しかしララを失う事など考えられない。洋子はその影を追い払うように頭を振り、拳でハンドルを叩いた。再びクラッチを踏み込み、エンジンを掛けようとしたところで助手席のドアが開き、ケイトが叫んだ。

「ヨーコ! 今のあなたじゃ無理よ! 警察へ行きましょう!」

洋子は何も言えず、涙がこぼれ出した目でケイトを見つめた。

「警察まで私が運転するわ。ショーン、乗って!」

ケイトは後部座席のドアを開けショーンを促した。不安そうな顔のショーンは言われたとおり後部座席に乗り込んだ。ケイトが運転席へ回ると、洋子は力なく助手席へ移動した。

「大丈夫よ。これだけの人に目撃されてるんだし。あんな派手な格好の犯人、すぐに捕まるわ」


 ザックはパソコン画面の隅に表示されている時計に目を遣った。もうそろそろチャーリーがやってくる時間だ。しかし、まだ洋子とララは帰ってこない。

 ザックは階下に下りると、洋子に電話をしようと思って携帯電話を出した。洋子の番号を出したところで、チャーリーを乗せた車がゲートから入ってきた。ザックは携帯電話をダイニングテーブルの上に置き、二人を出迎えるため外に出た。


 ケイトが運転する車の助手席で、洋子は震える両手を握り締めながら考えていた。ララを抱えて連れ去った男は、この前家に来て車のサンルーフからマシンガンを撃った男だ。あいつらはFBIを狙ってるとザックは言っていた。ビルを狙ったのだと。それなのに、なぜララを連れ去ったのか。

「なぜなのザック……」

そう呟いた洋子はハッとして携帯電話を出した。ザックに電話をかける。呼び出し音は鳴っているが、ザックは電話に出ない。洋子は蒼ざめた。

「ま、まさか、ザックの身にも何かあったんじゃ……」



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