第9話【眼福】露天風呂に潜む怪しい影!? 湯けむりの中で美女が悶絶、卓球のピンポン球に魔力を込めた結果
その日、魔法整体の一行は、一台のワゴン車に揺られていた。
目的地は箱根の山奥にある秘湯「あけぼの荘」。 これまでの激戦――承認欲求モンスターやご神木騒動――で蓄積した疲労(とMPの消耗)を癒やすための、二階堂発案による福利厚生旅行である。
ハンドルを握るのは、助手席の草薙がかつて異世界で背中を預けた相棒、ガン子だ。
「任せてください! 私、この世界ではゴールド免許なんですから。運転には自信ありますよ♪」
ガン子は鼻歌交じりにハンドルをさばいている。 草薙はシートに深く身を沈め、ひとりごちた。
(……流石だな。向こう(異世界)でも鉄壁の盾だったが、こっちでも守りは堅いか)
草薙は安心して目を閉じた。 久しぶりの休暇だ。温泉に浸かり、卓球でもして、ゆっくり英気を養うとしよう。
――数時間後。
「……おい、まだ着かないのか? もう夕食の時間だぞ」
目を開けた草薙が見たのは、まったく見覚えのない真っ暗な山道だった。
「えへへ……おかしいですねぇ」
ガン子が冷や汗を流しながら、ナビの画面と外を交互に見ている。
「ナビは『右』って言ってるんですけど、私の『野生の勘』が『左』だと叫んでて……つい」 「野生を捨てなさいよ! ここ、埼玉の山奥よ!?」
後部座席で二階堂が悲鳴を上げた。
「箱根に行くはずが、なんで埼玉にいるのよ!」 「ひゃああっ! ごめんなさいぃぃ! 私、方向感覚だけはレベル1なんですぅぅ!」
ガン子の「ゴールド免許」は、単に運転していなかっただけのペーパードライバーゴールドだったことが判明した瞬間だった。
◇
結局、一行が「あけぼの荘」に滑り込んだのは、夕食の時間をとうに過ぎた頃だった。 玄関前には、大きなスーツケースを引いた外国人観光客の団体がたむろしており、大声で笑いながらスナック菓子を食べている。
「はぁ、はぁ……予約していた草薙です! 遅れてすみません!」
息を切らして玄関に飛び込むと、三つ指をついて待っていた老婦人が顔を上げた。この旅館の女将だ。 上品な着物姿だが、その笑顔の端は引きつり、こめかみには青筋が一本、くっきりと浮き上がっていた。
「……お待ちしておりました」 「す、すみません、道に迷ってしまって……」 「夕食の準備……冷めてしまいましたが……(ピキッ)……すぐにお出ししますので……(ピキピキッ)」
女将の視線が、ちらりと外の外国人観光客に向けられる。
「……最近はみなさま、日本のお作法をご存じないお客様が多くて……皆様はどちらの国からお越しでしたか……(ギリッ)……いえ、何でもございません」
ガン子の「異世界からですぅ♪」と、有栖の「はぁ? 魔界からじゃが?」という二人が言いかけた言葉をデコピンで黙らせ、そそくさと女将の案内に従い、今宵の部屋に俺たちは急いだ。
女将の後ろ姿に付き従いながら……俺は感じていた。 この女将の作った笑顔から、キリキリという異音が聞こえてくるのでは? と。
さらに、部屋に慌てて上がろうとした二階堂がスリッパを脱ぎ散らかすと、女将の目がカッと見開かれた。
「っんごォッ!!、お客様……スリッパは線に合わせて、きちんと揃えていただけますか……(ギリギリ)……!!」
草薙は戦慄した。
(……なんだ、この張り詰めた空気は。女将のストレス値、限界突破寸前じゃないか?)
どうやら、ただの遅刻への怒りだけではない。 度重なるマナー違反客への怨嗟が、彼女の中でどす黒い澱となって渦巻いているようだ。
二階堂も震えている。 「ぃ、急ぎましょう。お風呂の時間はもう残りわずかです!」
◇
俺たちは慌ただしく部屋に荷物を置き、まずは汗を流すことになった。 女湯にはガン子、二階堂、および有栖の三人が向かう。
「あつぅぅい!! な、なんじゃここは!」
一番に露天風呂に飛び込んだ有栖が、茹でダコのようになって飛び出してきた。
「人間というのはマゾなのか? なぜ自ら釜茹でになりたがる!?」 「ええい、加減を知らぬ未開人どもめ! わらわが適温にしてやる!」
有栖が指を鳴らす。
「『絶対零度・源泉』!」
パキパキパキィーン!! 一瞬にして、湯船の半分が分厚い氷に覆われた。
ガラッ!!
その瞬間、脱衣所の戸が勢いよく開いた。 残像が見えるほどの速度で現れたのは、あの女将だ。
「お客様! お湯を凍らせるのはおやめください!!」 「ひゃっ!?」
女将は般若のような形相で注意すると、ピシャッと戸を閉めて去っていった。 廊下からは、怨嗟のような独り言が漏れ聞こえてくる。
「……まったくもう、どいつもこいつも……日本の常識ってもんがないのかねぇ……」
ガン子が青ざめて有栖に駆け寄った。 「あわわ、見られちゃいましたよ! 有栖ちゃん、早く溶かして元に戻しましょう!」
ガン子が必死に氷を砕いている横で、二階堂は別の湯船の縁に頭を預けてぐったりとしていた。
「ふひぃ……極楽……原稿も……締め切りも……全部お湯に溶けていくわ……」 「うぅ……目が回る……世界が……回る……」 「ああっ、二階堂さんが! のぼせてる!」
ガン子が草薙の施術を思い出し、二階堂の背中に手を添えた。
「ここがツボですね! 回復してくださーい! えいっ!」
ゴリッ!! 鈍い音が響き、二階堂が海老反りになった。
「あぎゃあああ!! こ、腰が砕けるぅぅ!!」
◇
一方、壁一枚隔てた露天風呂の男湯。 貸し切り状態の湯船に一人浸かっていた草薙は、壁の向こうの騒ぎに眉をひそめていた。
「せ、先生ーっ! 聞こえますかー!? 二階堂さんがのぼせて限界です! 私の指圧じゃ逆にトドメを刺しそうで……助けてくださーい!」
情けないガン子の悲鳴が響く。
「……やれやれ。風呂場くらい静かにできないのか」
草薙はため息をついた。これ以上騒げば、あの女将の血管が本当に切れかねない。 草薙は湯船から立ち上がると、濡れた手を男湯と女湯を隔てる木目の壁にドンとついた。
「『遠隔施術・波動』」
ブワァン……!
放たれた魔力は壁を透過し、女湯の空間全体へと拡散した。
「ひぐっ!?」 「な、なにこれ……体の奥から……熱いのが入ってくるぅ……!」 「あっ、だめぇ……! 腰の芯に……響いちゃいますぅ……先生の、凄いですぅ……!」 「んぁっ……♡ 魔力が……満たされていく……」
三者三様の艶めかしい吐息と水音が響き渡り、やがて静寂が訪れた。
「……かなり誤解を招きそうなセリフが聞こえたが……まぁこれでよし」
◇
風呂上がり、館内の隅にある「遊戯室」へと足を運んだ。 そこには、昭和の香りが残る古びた卓球台が置かれていた。
「有栖ちゃん、日本の温泉といえばこれですよ!」 「ほう? 日本式の舞踏会か?」
和やかに遊び始めようとした、その時だ。 二階堂が「本気出すわよ!」と叫び、履いていたスリッパを景気よく脱ぎ捨てた。 宙を舞ったスリッパは、あろうことか入り口付近に飾ってあった年代物の有田焼の壺にカコン、と当たって落ちた。
ドォォォォォン……!!
背後から、禍々しいドス黒いオーラが膨れ上がった。
「……も! も! も! もう、我慢なりません……!!」
振り返ると、そこに女将がいた。 きっちりと結い上げられていた髪がバサリと解け、逆立ったかと思うと、無数の「蛇」へと変化したのだ。
「ヒィッ!?」 「どいつもこいつも! 日本の心を忘れおってぇぇ!!」
女将――いや、風紀妖魔『お局ゴルゴン』が絶叫した。
「日本の『おもてなし』を舐めるなぁぁ!!」
ゴルゴンの蛇の目が、有栖を睨む。 「浴衣の帯が緩んでいる! 着付けがなってない!」 カチカチカチッ! 有栖の足が一瞬で石化し、床に固定された。
「大声を出さない! 騒音違反!」 ガン子の右腕が、ラケットを握ったまま石像へと変えられた。
「スリッパを投げない! 整理整頓!」 二階堂の全身が、一瞬にして灰色の石へと変わってしまった。
「全員、玄関の置物にしてやるよ!」
ゴルゴンが無数のピンポン玉を浮遊させ、殺意を込めて構える。 その時、草薙が卓球台の前に進み出た。
「俺のターン! ドロー!」
草薙は静かに告げた。 「その場の全員が心地よく過ごせるよう、場を『整える』ハーモニーだ!」
「うるさい! 口答えは減点だ!」
ゴルゴンが「小言スマッシュ」を放つ。 しかし草薙は、その全てを捌き、いなしていく。
「見えた」
草薙の目が、ゴルゴンの眉間に赤く輝く一点を捉えた。
「速攻魔法発動! 『整体スマッシュ・刺鍼』!!」
ドゴォォォォォン!!
「ぁぁぁああ……昇天っ♥」 「あ、あら……? 肩の荷が……下りて……」
ドス黒いオーラが霧散し、彼女は憑き物が落ちたようにその場に崩れ落ちた。
◇
「女将さん。溜め込む必要はない。ダメなものはダメと、毅然と伝えればいいんですよ」 「……はい。……ありがとうございます……!」
◇
草薙は一人、縁側で風呂上がりのコーヒー牛乳を一気に飲み干した。 ふと、夜空を見上げた。
「……?」
草薙は目を細めた。 月が、赤い。 ほんのわずかだが、不気味に赤黒く滲んでいるように見える。
(月が……赤い? まるで異世界の空だ……)
予期せぬ胸騒ぎを覚えつつ、草薙は空になった瓶を、カタリと置いた。
【本日の業務日報:魔法整体】
■対象:旅館女将(お局ゴルゴン)
■症状:インバウンド疲れによるヒステリー球
■施術:温泉卓球・整体スマッシュ
■獲得MP:+3,000P
■使用MP:-500P(遠隔施術・波動)
■前回繰越:49,916P 現在のMP残高:52,416P




