最終回【昇天】夜明けの指先と、黄金の風が吹く場所で
アークライトタワーが、自らの肥大した傲慢さに耐えかねて音を立てて崩落していったあの日から、東京の空気は劇的に、そして静かに塗り替えられた。
タワーという物理的装置が消失したことで、蓄積されていた清廉なマナの欠片が、空から光の雪となって降り注いだ。 それは現世の物理法則では説明のつかない、魂の再起動だった。
◇
数週間後。 都内の大学病院の個室は、昼下がりの柔らかな陽光に満たされていた。
天高く昇った太陽が、窓から真っ白なシーツへと眩い直射日光を投げかけ、室内を白く焼き付けている。
草薙療は、深い、深い眠りの底から、ゆっくりと意識を浮上させた。
胸を貫いた明智の刃。骨を断つ冷たさ。死の淵で感じた、あの絶対的な絶望。 だが、今感じているのは、それらとは対極にある温かな「重み」だった。
「……ん……あ」
草薙は掠れた声を出し、ゆっくりと目を開けた。 視界が少しずつ焦点を結ぶ。
ベッドの横の椅子には、一人の少女が座っていた。 彼女は草薙の右手を、両手で壊れ物を扱うようにそっと、だが力強く握りしめていた。
草薙は思わず息を呑んだ。 そこにいたのは、陽菜だった。
あの事件のあと、草薙より先に目を覚ましていた陽菜は、兄の意識が戻るのを信じ、毎日この病室に通い続けていた。かつて兄がそうしてくれたように、今度は彼女が、眠り続ける兄の手を握り、祈り続けていたのだ。
陽菜は、あの事件のあとから心機一転して通い始めた、高校一年生の制服に身を包んでいた。 すでに現世での実年齢は19歳にはなっていたが、自分を変えるために選び直した新しい門出の装い。
医療用帽子の下に長年隠れ、守り抜かれてきた彼女の髪は、今や腰まで届く艶やかな黒髪となって背中に流れている。その姿は、かつて草薙が異世界でその器に宿っていた「大聖女リオナ」そのものだった。
「ぉう…陽菜か……なんだろ、ずっと長い夢でも見てたようだ……」
草薙が掠れた声で呟くと、陽菜の肩が大きく跳ねた。 彼女は顔を上げ、潤んだ瞳で兄を凝視した。
「……お兄ちゃん。やっと起きた……もぅ。何時だと思ってんの? 遅いよ。……バカ」
うれし泣きの陽菜が感極まり、震える声で叫んだ。
「お兄ちゃん……! お兄ちゃんッ!!」
三年間、ずっと呼びたかったその言葉が室内に響き渡った。
――その瞬間だった。
「――っ、はぅあああああああああああああああ!? 先生ぇぇぇぇ!! 目を覚まされましたかぁぁぁ!!」
病室のドアが、左右に激しく弾け飛んだ。そこに立っていたのは、見舞いの品を山ほど抱えたガン子だった。
事件以来、家族以外の面会は拒否されていたため、彼女はずっと廊下で待機していた。だが、室内から聞こえた陽菜の叫び声に、ついに我慢できず部屋に飛び込んできたのだ。
「せ、先生! 先生ぇぇ! よがっ……よがっだですぅぅ!!」
ガン子は歓喜に震えた。だが、ふと目を横にやった瞬間、彼女の動きが凍りついた。 そこにいたのは、腰まで届く黒髪をなびかせ、兄に寄り添う陽菜。
「……あ、……あ、陽菜ちゃん……学校に通い始めたんですね! ……って、美少女!! っていうか、完全なるリオナ殿! じゃあるまいか! ん? ちが、ちがう、 ですやん!? ぁぁこれも違う、私ってどんな設定でしたっけ? ぁああ、頭の中でいろんな私がメタパニっく! からの、推し愛が爆発して死にそうですぞよぉぉぉぉ!!!」
現世の「草薙先生への恋心」と、異世界の「聖女リオナへの絶対的忠誠心と秘めた(?)恋心」。 そして、目の前の「リオナそのものの陽菜」というビジュアルの実在。
感情が濁流となり、語尾が女性言葉、設定にない関西弁、ヴォルグ言葉、そして幼稚園教諭としての丁寧語などがぐちゃぐちゃになって溢れ出す。
「ちょっと! なにごと!?」 「草薙……!? まさか、起きたのか!?」
その絶叫を聞きつけ、廊下で控えていた二階堂と有栖までもが、部屋に押し寄せてきた。
「先生……! あ、ああ……本当によかった……!」
仕事をしながら待機していた二階堂は、手にしていたボイスレコーダーを床に落とし、眼鏡を曇らせて泣き崩れた。
「おぬし……! 妾という主人がいながら、勝手に眠り続けるなど万死に値するぞ! ……うう、もう起きてこぬかと思うた…ぞっ…!」
有栖は赤面し、瞳を涙で潤ませながら、草薙の足元にしがみついた。
しばらく歓喜の渦に包まれた病室も、「お静かに!」と病院の看護師さんに叱られ、なんだかんだと草薙を取り囲む女性たちも落ち着いたころ、まずは草薙はそばにいる陽菜の横顔をじっと見つめた。
「……陽菜。お前、本当にゼノスだったんだな」 「……今更だよ、お兄ちゃん。私がどれだけ苦労したと思ってるの?」
陽菜は少し照れくさそうに、けれど誇らしげに胸を張った。
今思えばわかる。なぜあの頃、陽菜は学校でいじめを受け、鬱になり、精神の深淵へと落ちていったのか。 あまりに鋭すぎた彼女の感覚は、周囲の悪意や澱みを濁流のように拾い上げ、彼女の心を壊してしまったのだ。
だが、そんな鋭すぎる共感覚ゆえに、彼女は異世界の理を誰よりも早く理解し、老賢者として兄を、そして世界を裏から守り抜くことができた。
「……なんで、ずっと黙ってたんだ?」
草薙の問いに、陽菜は少し目を伏せた。
「お兄ちゃん、私のこととなると後先考えずに自分を犠牲にするでしょ? 私が妹だと気づけば、また自分を捨てて、私を守るために死んじゃう。……正直、あの世界では、私の方が強かったしねw。
だから、私がお兄ちゃんを守る最強の『防波堤』になるって決めてたんだよ。……まぁ、言い出すタイミングを逃したのもあるけど。あと、ゼノスとして師匠面でお兄ちゃんを厳しく叱り飛ばすのは、正直……最高に楽しかったしねw」
なるほどな……彼女は今、その過去さえも受け入れ、自分を持ち、自分の足で立ち始めている。
「でもさ、ゼノスの頃のお前、今思えば本当におれに厳しすぎなかったか?」
「だってお兄ちゃん、リオナの姿……っていうか、ほぼ私の姿で、おじさんみたいな行動いっぱいするんだもん……あんなの、さすがにみてられなかったよ! 私のアバターで乗っ取りしてるようなもんだったもんw」
陽菜はベッドの端に腰を下ろしたまま、ふふ、といたずらっぽく笑った。
「……ほら、覚えてる? お兄ちゃん、いつもこうやって座ってたでしょ?」
陽菜は制服のスカートを翻し、わざと、はしたなく「あぐら」をかいて見せた。 それは異世界でゼノスが、中身が兄であるリオナの無作法を叱りつけた、あの時の再現だった。
「?や! やめろ! パンツが見えるだろ! はしたない! んもぅ! ……十九にもなって、兄貴の前でそんな格好をするんじゃない!」
草薙が慌てて嗜める。そのやり取りが逆転した光景を目の当たりにし、見えかけたパンツに悶絶しながらも、ガン子の脳内はついにパンクした。
「選べない、選べないですぞよぉぉ! あなたたちが……私の両腕だぁぁぁ!!」
ガン子は二人まとめて力任せに抱きしめた。 その勢い余ったガン子の顔が、感極まったあまり草薙の唇に吸い込まれるように接近し、あわやキスしそうな勢いになる。
「ちょっと! どさくさに紛れて何を!?」 「この無礼者! 離れぬか!」
血相を変えた二階堂と有栖が猛然と割り込み、ガン子の剛腕を左右から引き剥がそうとして、病室はカオスを極める。
その瞬間、三人の女性が草薙を取り囲み、牽制しあう微妙な空気が流れる。 共感覚の優れる陽菜はすぐさまそれに気づき、引きつった作り笑顔で必死に場を抑えようとした。
(うわ……なにこの、胃がキリキリするような空気感……!)
「ぁ、あはは……。み、みなさん、お兄ちゃんが起きたばかりですから、落ち着いて……」
だが、女たちの執念は止まらない。
「いい機会だから、この際はっきりさせましょう!」 二階堂が一歩踏み込む。
「わ、わたしだって, そのつもりです!」 ガン子が、草薙と陽菜を抱きしめたまま鼻息を荒くする。
「ふ, 答えはわかりきっておろうが…!」 有栖はすこし額に汗を浮かべ、草薙の服の裾をぎゅっと掴んだ。
「「「せ、先生は、そういえば! どんな女性が好きなんですか!?」」」
数週間ぶりに目覚めたばかりで、直後にガン子の羽交い締め状態の抱擁を受けた草薙は、脳が揺れ、意識がさらに遠のいていくような感覚の中にいた。
「……ぁぁ……どんな……じょ……じょせいが……す……すきか……? そぅ……だな……」
草薙が喘ぐように漏らした言葉に、一同は一気に集中し、固唾を呑んで次の言葉を待つ。 草薙は朦朧とした中で、魂に刻まれた記憶をなぞるように答えた。
「俺の理想……は ……髪が……長くて……」
二階堂は自身の完璧に整えられた長い黒髪を意識し、眼鏡の奥で目をキランとハート型に輝かせた。 (この中じゃ、髪の長さと手入れの完璧さは、完全にわたしじゃん♪ ぃやん♪)
「……力が……誰よりも強くて……」
ガン子は自分の腕力を誇るように鼻息を荒くし、目をハート型に輝かせる。 (そ、それって完全、この中で一番力持ちの私ってことじゃ!♡)
「……ピンチの時には、絶対に助けに来てくれる……頼りになる……」
有栖はアークライトタワーでの共闘を思い出し、耳まで真っ赤にして俯いた。 (先日の戦いのことじゃな……ふ、こやつ、やはりわらわのことを……!)
「そんな、き……」
「「「「きゃああああああああ!!!」」」」
草薙が言いかけるのと、三人の女性たちが一斉に歓喜の叫びを上げて飛びついたのが見事にオーバーラップした。
――グッキーっつ!!
鈍い音とともに、草薙の全治期間はさらに延長された。 陽菜だけが、その光景を眺めながら、静かに微笑んでいた。
(……やっぱりお兄ちゃん。あの金閃の勇者……彼女のことが…)
陽菜は誰にも気づかれないように、そっと口をつぐんだ。
◇
数カ月後。
二階堂は、かつての荒廃した神社を「負のマナを浄化するデトックスの聖地」として再興させ、自らもインフルエンサーとして神社の魅力を発信し続けていた。
かつての淀んだ空気は消え、今や全国から参拝客が訪れる、清らかな活気に満ちた場所となっている。
「――記事、公開。……ふふ。先生、次はあなたの指先で、私を根元からバグらせて……上書き(オーバーライト)してくださいね」
有栖は、亡き宇佐美幸子が遺したボロアパートの一室に住み始め、「現世の王」としての新生活を謳歌していた。
管理人の老婆に「廊下を走るな」「騒ぐな」などと叱られながら、狭いキッチンで自炊するのが彼女の日課だ。 カビ臭い部屋の隅に、かつての魔王――現世では母として孤独に生きた幸子の面影を、有栖は愛おしそうになぞる。
「……のぅ、幸子よ。おぬしが求めた魔王城のような広い場所もよいが、わらわはこの狭い部屋も嫌いではないぞ……ふぅ。にしても、おそい! 草薙はまだ来んのか? かき氷が溶けるではないか。…ま、妾ならいくらでも作ってやれるがな。」
ガン子は幼稚園教諭としての使命に燃えつつ、休日には整体院を手伝いに来ては、相変わらずのパワーでタオルを絞りすぎて引きちぎっている。
「先生! ぃや リオナ殿! や、ちがった! やっぱりせんせいー ……ぁあ、もうロマンティックな混乱が止まらない。今日も私の愛が臨界点を突破してしまいますぅ……♥」
そして新装開店した、魔法整体「昇天♥」。 受付カウンターでは、陽菜が元気に客の対応をしている。
「先生! 次の方、偏った政治思想の動画ばかりを見て、レコメンド機能のせいで『世界中が自分と同じ考えだ』と思い込んで、ガチガチに凝り固まってます!」
「了解だ。……おい有栖、プリンは後だ。仕事しろ。重症だぞ。……エコーチェンバーの末期症状か。その歪んだ脳(OS)ごと、魂を再起動してやる」
草薙は、蒼いマナを纏った指先を閃かせ、不敵に笑った。
「お次はどいつだ? ――根元から、昇天させてやるよ!」
(完)
◇
視界は草薙のいる診療所の窓を抜け、どこまでも続く東京の青空へと吸い込まれていく。 その青空が、ゆっくりと表情を変える。
そこは、どこまでも続く、緑の草原。
一人の女性が、風に吹かれて歩いていた。 彼女はふと、何かの気配を感じたように足を止め、振り返った。
それは、太陽にも負けない、まるで金色に輝くような、まぶしい笑顔の女性……。 彼女は頭上の青いソラを見上げてつぶやく。
「はぁ……ぁのとき、ごまかさずにちゃんと言えばよかったなぁ…」
「……ありがとう、だぁいすき…だょ…」
その声は、草原を渡る風に乗って消えていった。
【HP 100% / MP 100% ―― Status: Ready to Save the next World】
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お楽しみいただけましたでしょうか?これアニメ化したら絶対おもしろい!と思うのですが…汗笑
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