第23話【逆転】鏡の中の『お前は誰だ』 ――無限の承認欲求と、ただ一つの自己愛
ドスッ、という鈍い音が、静寂の倒壊現場に響いた。
漆黒の刃が草薙の胸を貫き、背中へと突き抜ける。 草薙の口から、熱い鮮血が溢れ出した。
だが、視界が白濁し、意識が遠のくその極限の淵で―― 草薙の口角は微かに、だが確実に上がっていた。
「……? なにを……笑っている?」
明智が怪訝そうに眉を潜める。 草薙は震える両手で、自らを貫いた刃を、万力のような力で握りしめた。
「……ちょうど……。……これが、ほしかったんだよ……ッ!!」
草薙の肉体を導線にして、明智がずっとブースト効果として剣に注ぎ込んでいた莫大なマナが、逆流する激流となって草薙の体内へ吸い込まれていく。
マナの強制剥奪。 この戦闘のために剣に蓄積し続けた魔力が、一気に奪われていく。
「んなッ!? 貴様、何を――!」
ハッと我に返り、明智が剣を引き抜こうとする。だが、遅い。 草薙は回収した全てのマナを、残された右手の指先に集約させた。
「受け取れ、有栖……ッ!! 二度とするなと言ったアレで……絶対するなと言ったアレを……いまこそ、やれぇぇぇぇッ!!」
渾身の、遠隔デコピンショット。
草薙の指先から放たれた光の弾丸は、夜空を切り裂き、傍らで倒れていた有栖の額を正確に射抜いた。
パチンッ!!
衝撃で頭をのけ反らせる有栖。 しかし、彼女は弾かれた勢いのまま、ゆっくりと起き上がり、不敵な笑みを浮かべる。
草薙はすでに言葉を発する力もなく、ただ、震える瞳で何かを有栖に訴えかけるが、有栖にはすべてが伝わっていた。
「……フッ、おぬしのデコピン、今日は特に効いたぞ……」
有栖が、カッと目を見開く。 その瞳には、草薙から託された最後のマナが宿っていた。
「そんな目で見んでもよい。……忘れたか? わらわは記憶力がいいと言っておるだろう。おぬしの言いたいことなど、すべてわかっておるわぃ」
明智は、そんな二人のやり取りを興覚めしたように見つめ、叫ぶ。
「ああぁもう、本当に……! まだ何かするつもりかい? いい加減にしようよ、魔王のお嬢さん。その程度のMPを受け取って、一体何ができるっていうのさ。……まぁいいや、もぅそれなら……」
漆黒の剣を両手で構え、空中に描いた闇の五芒星に乗り、明智は上昇する。 背後に聳え立つのは、パージされたアークライトタワーの芯――巨大なモノリス『魔界鏡』。
その鏡面から放たれる圧倒的な威圧感は、もはや現世の理を完全に超越していた。
「見てごらん、この美しい鏡を。これはね、君たちが築き上げてきた偽りの平和を、根こそぎ喰らい尽くすための器なんだ。もう誰にも、僕を止めることはできない」
明智の瞳から人間らしい光が消え、底なしの闇が溢れ出す。
「じゃあ、まずは君に向けて、最初のゲートオープン、しちゃおうかな! 光栄に思うといい。その身に地獄のすべてを受けて、完全に消え去れ!! 暗黒開門‼」
キィィィィィィィンッ!
明智が漆黒の刃を『魔界鏡』へと突き立てた瞬間、巨大なモノリスが激しく震動し、鏡面がドロリと歪んだ。
鏡面が異世界の「穴」となり、そこから言葉を失うほど無数の妖魔たちが、現世という餌場を求めて咆哮と共に映し出されて溢れようとしている。
「ギギィィィィッ!」「アガァァァァァッ!!」
鏡を埋め尽くす異形の群れは、まるで夜空そのものが腐り落ちてくるような絶望的な光景だった。
これは、絶対ムリだ。 誰もがそう確信するほどに、圧倒的で暴力的な恐怖が、東京を飲み込もうとしていた。 明智はその混沌の中心で、自らの勝利を確信し、狂ったように高笑いする。
「はははは! 見ろ、これこそが真実だ! 誰にも愛されず、誰にも認められなかった僕が、世界を書き換える神になる! 有栖、君も、そのしぶといモブな僧侶も、この絶望の濁流に飲み込まれて塵になればいい!」
だが、その刹那の前。 有栖はすでに立ち上がり、眼前の空中に浮かぶ明智とその背後にある魔界鏡を見据えて、小さくつぶやく。
「魔王の父が……実の母がわらわにギフトとしてくれた氷の属性、ひょっとしたらこの日この時のためだったのかもしれぬな。」
有栖が右手を天に突き出す。 記憶がリフレインする。
「受け取れ、有栖……ッ!! 二度とするなと言ったアレで……絶対するなと言ったアレを……いまこそ、やれぇぇぇぇッ!!」
脳裏に浮かぶのは、出会って間もない頃、割れた鏡の代わりに氷鏡壁を作って室内を一気に極寒の冷凍庫状態に変え、草薙にこっぴどく叱られたあの日。
そして、また。怪談話の夜の学校で、鏡の中に引きずり込まれそうになり、「合わせ鏡は絶対にするな」と厳命されたあの夜。
「二度とするなと言った……『コレ』でッ!!」
ドォォォォォォォォォォンッ!!!
有栖の魔力に応じ、地上から超巨大な氷の壁が、魔界鏡と同じタワーサイズでそそり立った。 それは地表を割り、雲を突き抜け、圧倒的な質量で明智の眼前を塞いだ。
「そして――絶対するなと言った……『コレ』をするッ!!!」
有栖が叫び、手を振り下ろした瞬間に、そそり立った氷壁の表面がキラーンと眩い煌めきを纏った。
鏡面が完成し、明智を挟み込む形で「魔界鏡」と「氷鏡壁」…… 二つの巨大な鏡が完璧に「正対」する。
世界最大の2つのモノリスの爆誕。 その瞬間、それはつまり。
有栖の二つの禁忌の掛け合わせにより、【超巨大な合わせ鏡】が形成された。
「な、……なんだ……これは!? 闇が、魔力が……この僕が…!? …無限に繰り返され…!?」
明智の顔が、生まれて初めて見る真の恐怖に歪んだ。
「勇者に僧侶は勝てない。……ああ、その通りだ。勇者に勝てる可能性があるのは……そう、勇者だけだ!!」
もはや眼も開けられない草薙が、血反吐を吐きながら叫んだ。
「ハッ……!!?」
闇は鏡を反射しない。 明智の放った魔力も、溢れ出す妖魔の群れも、有栖の鏡をそのまま「通り抜け」、その背後にある本物の魔界鏡へと戻り続ける。
鏡と鏡の間で発生した「無限のループ」。 空間に挟まれ閉じ込められた明智にとっては、永遠に等しい空間加速の連鎖。
明智は驚愕の表情で、真正面の鏡に映る自分と目が合った。
お前は、誰だ? 本物は、どこだ?
無限回廊の中で、明智の自意識はミリ単位でコピーされ、摩耗し、消失へと向かっていく。
「やめろ……やめてくれ! 僕は……僕は明智…勇者さまだ! 世界で一番有名な、愛されるべき勇者なんだ! こんなところで、誰にも見られずに消えるなんて、そんなの……そんなの認めない!!」
叫ぶ明智の姿が、鏡の中で何万、何億と複製され、そのどれもが「お前は、誰だ?」と嘲笑う。
「……明智。おい……聞こえるか。お前が欲しかったのは……愛でも承認でもない。……『自分のアカウントを、自分で削除する勇気』だったんだよな……」
瓦礫に血を流す草薙が、明智に呼びかけ、最後通告を叩きつける。
「他人の目に映る自分を塗り重ねて、世界一の豪華なプロフィールを作っても、鏡の中にいるのは通知に怯えるだけの幽霊だ。フォロワーには愛されても、なにより自分が自分を愛してなかった……闇の勇者様……。さよならだ……」
「あ、ああああああ……っ!! 違う、僕は……僕は……ッ……ワタシはっ…!!」
加速する反射。エネルギーの飽和。
バキィィィィィィィンッ!!!!
空間が悲鳴を上げて破裂した。 タワーサイズの魔界鏡と氷鏡壁が、同時に粉々に砕け散り、その衝撃波が夜空を白く染め上げる。
鏡の破片と共に、明智の存在も、溢れ出した妖魔も、すべてが現世から消失した。
◇
静寂。 アークライトタワーの残骸。
そこには、巨大な鏡の破片がキラキラと雪のように降り注いでいた。
「……有栖……。……お前の、勝ち……だな……」 「……おぬしが、デコピンなど放つからだ。……今日は、本当に……痛かったぞ……」
有栖は、マナを使い果たし半透明になりかけた体で、そっと草薙の隣に座り込んだ。 その小さな手は、透き通るほどに白く、今にも消えてしまいそうだった。
「……草薙。わらわは……もう、魔力が一滴も残っておらぬ。……もう、おぬしの隣にいることすら……叶わぬかもしれぬな……」
有栖が、寂しそうに微笑んだ。その瞬間。
「草薙せんせーーー!! 有栖ちゃーーん!!」
瓦礫の山をかき分け、ボロボロになりながらも仁王立ちするガン子が現れた。 その腕の中には、昏睡状態のままの陽菜と、まだ意識の朦朧とした二階堂が抱えられていた。
「ガン子……みんな……助けて……くれたのか?」 「当たり前だっ!! です!!」
ガン子が咆哮する。 彼女はビル倒壊の直前、凄まじい脚力でゲートを壊してタワーを駆け上がり、二階堂、そして最上階で陽菜を確保。
その瞬間にタワーがパージされ一緒に落下してきたそうだが、すべてガン子が背中で瓦礫を防ぎ、2人の盾となって瓦礫に埋もれていたようだ。
「……っあ!!…先生!!」
意識を取り戻した二階堂が叫び、真っ先に草薙の胸へ飛び込んだ。
「先生! 無事でよかったです! 先生……っ!!」
ドムッ、強烈に体を押し付け、抱きつく凄まじい衝撃。
「……ぐ、……は、……にかい、どう……っ」 「ああぁぁ!!! ズルいです二階堂さん! 助けてあげたのに抜け駆け! んもぅ、私も、私もぉぉぉ!!」
感極まったガン子が、草薙の瀕死の重傷を忘れ、屈強な、女性らしい体躯で反対側の胸に飛び込んだ。
ドォォォォンッ!!
「……ぁ、……ぐ, あ……。……ぁあ, ……し、昇天⤴」
凄まじい二重の物理衝撃により、閉じていた傷口が無情にも開き、草薙は盛大に白目をむいて失神した。
「あーっ! 先生が死んじゃった! 目が回ってる!!」 「これ、おぬしたち! 草薙の傷口をわざと狙ったな!? 離れろ、この厚かましい女どもが!」
「な、なんじゃと!? わらわがいなければ、あの鏡は完成しておらんかったわ!」 「あぁぁぁぁ! 待って! 二人とも! 先生が本当に昇天しちゃいますから、まずは止血! 止血ですよ!」
ガン子が草薙の両足を掴んで逆さ吊りにしようとする。
「ガン子さん、それは止血じゃない! 逆効果!!」
瓦礫の山の上で、少女たちの怒号と笑い声が交差する。 タワーが消失し、マナを独占していたシステムが壊れたことで、夜風には微かな、だが確かな魔力の粒子が戻り始めていた。
有栖は、バタバタと騒ぐ彼女たちを眺めながら、そっと草薙の胸元に顔を寄せた。
「……まったく、騒がしい奴らじゃ。……のう、草薙。……もし目が覚めたら……特大のプリンを、二つ……約束じゃぞ……」
東京の夜空には、ようやく雲が晴れ、静かな満月の月光が降り注いでいた。
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