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第14話【慟哭】鏡に映る「母の記憶」。幼い娘を守りたいという氷の魔王の切実な願いが、夏の新宿を凍らせる

 深夜の整体院。  しんと静まり返った店内の空気が、パキパキと音を立てて凍りついていく。


 前回の「合わせ鏡」の事件以来、呼び起こされてしまった「親」への思慕と、復讐心の間で引き裂かれる深い自己嫌悪。  有栖アリスの魔力が、彼女の制御を離れて暴発しかけていた。


「うっかりじゃ! 自分が情けないっ! ……わらわは……忘れてはおらぬ! お主は父様を殺した! なのに、わらわはなぜお主に情を……!」


 有栖は叫ぶ。


「わらわは見ておったのじゃぞ!おぬし……リノアがわが父・魔王の体を掴み、自らの業火で焼き払っていた瞬間を!」


「殺さないでくれ……という我が父・魔王の言葉に耳を貸さず、おぬしはその業火を決して止めなかった……そして我が父を焼失させたのだ……!今思い出しても怒りが止まらん!!……そして、残されたのが……わらわ……」


 俺は怒りに暴走を続ける有栖を睨み、そして覚悟した。


「答えるのじゃ草薙! わらわに母はおらぬ。父様から削り出された、いわばただの『スペア』に過ぎぬ……。なぜ父様は、わらわを自らの体から産み落とした? 家族の温もりも知らぬ妾が、この世にある意味とは何なのじゃ!」


 その悲鳴は、自身のアイデンティティへの切実な問いだった。  俺は、彼女が突き出した氷のハンマーを素手で掴み、その冷たさを正面から受け止めた。


「……そろそろ頃合いだと思っていた。そんなに白黒つけたいなら、全部見せてやるよ。お前が知らない、あの日、あの場所で何が起きていたかを」


   ◇


 俺が有栖を連れて向かったのは、郊外にある古いボロアパートだった。


「ああ、また来たのかい。……アンタが家賃を振り込み続けてくれるおかげで、この事故物件を壊さずに済んでるんだけどね」


 管理人の老婆は、複雑な表情で煙草をくゆらせた。


「あんな凄惨な事件があった部屋、誰も借り手がつかないし……感謝はしてるけどさ、アンタも相当な物好きだよ。あんな呪われた場所、何が悲しくて守ってんだか」


「……それでいいんですよ。ここには、残しておかなきゃいけないものがある」


 俺はこの三年間、一度も欠かさず……自分が住むわけではないこの部屋の家賃を払い続けて維持してきたのだ。  いつか転生してくるであろう「あいつの娘」に見せるために。


 室内は、あの日から時が止まったように、最低限の家具だけが残されていた。  隅には、彼女が最期まで見つめていたであろう、古びた鏡台が置かれている。


「な、なんじゃ……。こんな場所におぬしの秘密があるというのか?」


 俺は彼女を鏡台の前に立たせ、その額にそっと手を当てた。


「俺の話じゃない……見ろ……これがお前の父・魔王と、あの日の真実だ……」


 共感覚シンパシー。  俺の魂に刻まれた記憶が、濁流となって有栖の脳内へと流れ込んでいく。


   ◇


 それは、宇佐美幸子という女性の、泥を這うような半生だった。


「あんたなんて産むんじゃなかった、さっさと出て行きなさい!」


 居場所を求めた先には、さらなる地獄が待っていた。  父親もわからぬ妊娠。男たちは彼女の若い肉体と金を目当てに寄っては消え、時に筆舌に尽くしがたい暴力を振るい、彼女の心と体をぼろ布のように引き裂いていった。


「いい身体してんじゃねえか。ほら、もっと稼いでこいよ!」 「んだよ、死ねよ、この役立たず!」 「お前なんて、生きてる価値ねーんだよ!」


 派遣切り、重なる督促状、止まったガス。  そんな罵声が降り注ぐ社会で、彼女の唯一の心の糧は、息子・光輝こうきだけだった。


 うだるような夏の日。  冷房も、扇風機さえない、蒸し風呂のような六畳一間。


「ママ……かき氷が食べたいなぁ……」


「……部屋が暑くてごめんね。かき氷だっていつでも食べれるような、いつか、涼しくて立派なお部屋に住ませてあげるからね」


「ううん。ママと一緒に食べるこれ、一番おいしいよ!」


 しかし。その彼女の人生に灯っていた、たった一つの光は、激しいブレーキ音によって唐突に奪われた。


 静寂を切り裂く悲鳴。  幸子が駆け寄ったとき、光輝の小さな体は、二度と動くことはなかった。


「ぁぁぁぁ……っ、こ、光輝、お! 起きて!?」


 すべてを失った幸子は、この鏡台の前で、鏡の中に映る、怨嗟の怪物と化した己を凝視した。


 天井から垂らした輪に首をかけ、足台を蹴り飛ばす。  締め付けられる喉から、血の混じった呪詛が漏れ出す。


「光輝………光輝………こ、こうき………こぅ………こ……………。……こわれろ………壊れろ……壊れろ壊れろ壊れろ! 壊れろ壊れろ壊れろォ!!」


 彼女は狂ったように叫び続けた。


「んぁぁぁあああっ! あいつも、こいつも、あそこの奴らも! 私から奪ったすべてを呪ってやる! 許さない、絶対に許さない! 死ね、みんな死ね! 誰も彼も、等しく絶望して燃え尽きろ! こんなひどい世界、全部壊れて消えてしまえぇぇぇぇぇ!!」


 消えゆく命の灯の中で、世界の全てを、彼女は、呪った。


 その断末魔の呪詛が鏡台に映る己の姿と共に時空を歪め、凄まじい怨念の塊となった彼女の魂は異世界へ転移し……。


 彼女は。「魔王」となった。


   ◇


 場面は一転し、異世界の魔王城・最上階。  凍り付く冷たさに包まれた、魔王玉座の間。最終決戦。


「これがワタシの、光の結実! 『ライトニング・ファイナル・リジェクション』!!」


 ソラの最後の大技が魔王を切り裂く。


「我が魂を乗せて……これぞ痛恨の一撃! 『大地返し』ッ!!」


 ヴォルグの剛腕が空間を粉砕する。


「天よ、怒号を響かせよ! 『雷光豪雨』ッ!!」


 ゼノスの雷の雨。  英雄たちの力を合わせても、魔王……彼女の憎悪の底には届かない。


 俺――聖女リノアは、瀕死の体を引きずり、最後の一歩を踏み出した。


(第十五話へ続く)


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