第12話【境界】眠らぬ夜に響く、見知らぬ魔導師の祈り。三日三晩、孤独に戦い続ける「防波堤」の背中
それは、遠い異世界での記憶。 極彩色の魔力が飛び交う荒野で、四つの影が疾走していた。
「みんな、行くよ! 遅れないでね!」
先陣を切る勇者ソラが、大地を蹴って跳躍する。 金色の髪がたなびき、愛剣『輝石』が太陽の光を反射して閃光となる。
敵は、山のように巨大な『剛殻魔獣』。その巨腕がソラを叩き潰そうと振り下ろされる。
「させるかぁぁぁッ!!」
ドゴォォォォン!!
割って入ったのは、紅蓮の狂戦士ヴォルグだ。 自身の身長を超える巨大戦斧で、魔獣の一撃を正面から受け止める。火花が散り、地面が陥没するが、その足は一歩も退かない。
「ゼノス殿! 今じゃ!」 「注文が多いわ、若造どもめ!」
中距離で滞空していた紫電の大魔導師ゼノスが、杖を突き出す。 展開されたのは三重の魔法陣。
『紫電束縛』――幾筋もの雷の鎖が魔獣の四肢を縛り上げ、その動きを完全に封殺した。
「リノア! 合わせろ!」 「はい、ゼノス様!」
最後尾から、蒼炎の大聖女リノア(俺)が駆ける。 俺は両手を広げ、前衛の三人に最大の強化魔法を投射した。
「聖なる加護よ、彼らの刃となりなさい――『ブレイブ・ブースト』!!」
蒼い光の粒子が三人を包み込む。 加速するソラ。咆哮するヴォルグ。最大出力を維持するゼノス。
四つの色が混ざり合い、一つの巨大な光の奔流となって魔獣を貫いた。
ズドォォォォォォォン……!!!
轟音と共に魔獣が霧散する。 完璧な勝利。舞踏のように美しい連携。
ハイタッチを交わすソラとヴォルグ。杖を肩に乗せてニヤつくゼノス。 そして、それを微笑んで見守るリノア。
それは、まぶしすぎて直視できないほどの、青春の輝きだった。
――けれど。 どんなに美しい夕暮れも、いつかは夜の闇に塗りつぶされる。
◇
…その夜。 焚き火の爆ぜる音が、静寂に響いていた。
遊び疲れた子供のように、ソラとヴォルグは泥のように眠っている。 リノアもまた、毛布にくるまり、寝息を立てていた……ふりをして、そっと薄目を開けた。
少し離れた岩場に、小さな背中があった。 ゼノスだ。
彼は杖を突き、油断なく周囲を警戒しながら、薄紫色の結界を張り続けていた。
「……ゼノス様? まだ起きていらっしゃるのですか? もう三日も寝ていません」
リノアが声をかけると、老魔導師は肩を震わせ、振り返らずに答えた。
「バカモン。ワシが寝たら、誰がこの結界を維持するんじゃ。魔王城は近い。このあたりの魔素は澱んでおる。気を抜けば、すぐに精神を食われるぞ」
リノアは心配そうに寄り添う。
「ですが……それではお体が持ちません。少しだけでも交代を……」 「ならん」
ゼノスはフンと鼻を鳴らし、健やかに眠るソラたちの寝顔を一瞥した。 その眼差しは、厳しくも、どこまでも優しかった。
「……よいのじゃ。若造どもは、何も知らずに健やかに眠っておればいい。そのための『防波堤』になるのが、年寄りの役目じゃよ」
迫りくる闇を、たった一人でせき止めるその背中は。 昼間の頼もしさとは違う、痛々しいほどの孤独を背負っていた。
◇
ピッ、ピッ、ピッ……。 無機質な電子音が、静寂を刻んでいる。
現代日本。深夜の総合病院。 個室のベッドサイドで、草薙 療はパイプ椅子に腰掛け、眠り続ける妹・陽菜の手を握っていた。
「……いじめられて、心を閉ざして……そのまま部屋の奥に引きこもっちまって。……俺はあの時、お前を外に連れ出してやることもできなかった」
植物状態の陽菜は、何も答えない。 ただ、その顔色は蝋人形のように白く、長い睫毛が影を落としているだけだ。
後悔が、胸を締め付ける。 学校でのいじめ。閉ざされた扉。 そしてある日突然訪れた、原因不明の昏睡。
医者たちは匙を投げた。「原因不明の意識障害」。あらゆる検査をしても、脳にも体にも異常は見つからなかったのだ。
だが、草薙にはわかっていた。 これは病気じゃない。まるで魂が肉体から乖離し、どこかへ迷い込んでしまった状態なのだと。
「ごめんな。あの時守れなかった分、今度こそ俺が治してやる。……だから、戻ってこい」
草薙は、祈るように陽菜の手に、丁寧に魔力(MP)を流した。 今日もいつものように……ん?
指先に、奇妙な感触が走った。
「……おかしい」
モニター上のバイタルは安定している。 だが、魔力を通して感じる魂の反応が、著しく遠い。
まるで、深海へ糸を垂らしているような心許なさ。 そして、微かに鼻を掠める匂い。
消毒液の匂いではない。 これは――焦げ付いた「硝煙と雷」の匂いだ。
「なんだ……? この部屋の空気、まるで戦場の跡みたいに張り詰めてやがる……」
窓の外を見上げると、上弦の赤い月が不気味に街を見下ろしていた。
◇
翌日。 整体院の空気は、どんよりと重く澱んでいた。
「うぅ……先生……助けてください……」
入り口のドアベルが鳴り、よろよろと入ってきたのは、常連客というよりは、もはや完全住人レベルの二階堂だった。
だが、その姿は生者のそれではない。 目の下には墨を塗ったような濃いクマ。肌はカサカサに乾き、髪はボサボサ。まるで低予算ゾンビ映画のエキストラだ。
「おい二階堂、なんだその顔は。こないだのライブで燃え尽きたか? それとも締め切り前のデスマーチか?」 「違います……『寝られない』んです……」
二階堂は施術台に崩れ落ちるように座り込んだ。
「ここ数日、眠ると必ず見るんです。……『真っ赤な空の夢』を。そこには出口がなくて、黒い何かが追いかけてきて……怖くて、目が覚めちゃうんです……」
「赤い空……?」
草薙の眉がピクリと動く。 昨夜、陽菜の病室で感じた「戦場の気配」。そして窓の外の「赤い月」。 点と点が、嫌な線で繋がり始めた。
「……ちょっと失礼するぞ」
草薙は二階堂の額に手をかざした。
バチッ!!
静電気のような火花が散り、指先が弾かれる。
「(……やっぱりだ。これは『妖魔の種子』なんて生易しいもんじゃない。もっと直接的な、異世界からの干渉だ)」
赤い月の影響で、現実と異世界を隔てる「境界」が薄くなっているのだ。 そこから漏れ出した瘴気が、感受性の強い二階堂の精神を侵食し、悪夢を見せている。
「先生……私、このままじゃ……原稿が……推し活が……」 「安心しろ。原因はわかった」
草薙は白衣を翻し、覚悟を決めた表情で告げた。
「二階堂、少し荒療治になるぞ。お前の夢の中に俺が入って、元凶を直接叩く」
「ゆ、夢の中に……!? えっ、それって……!」
二階堂がカッと顔を赤らめ、自身の胸元を両手で隠した。
「わ、私の深層心理とか……! む、むっつりな願望とか……! 恥ずかしい妄想とかも見られちゃうんじゃ……!?」 「そんなもん見てる余裕はねえよ! 有栖、ガン子! 俺の体が動かない間、護衛を頼む!」
草薙は施術台の横に丸椅子を引き寄せ、そこに座った。 仰向けの二階堂を覗き込むような体勢になる。
「じっとしてろ。意識を同調させる」
草薙が顔を近づけていく。 至近距離。
互いの鼻先が触れ合いそうな距離で、二階堂の荒い息遣いが草薙の頬にかかる。
「ひゃぅ……! せ、先生、近いです……! 熱い……!」
二階堂の目が潤み、心臓の鼓動が早鐘のように高鳴る。 無精髭の男臭さと、清潔な整体院の香りが混じり合い、彼女の脳内をピンク色に染め上げていく。
もしかして、キスされる? 治療という名目で? そんな期待と背徳感で、二階堂はキュッと目を瞑った。
「同調開始……精神感応・夢渡り(ドリーム・ダイブ)!!」
だが、次の瞬間。 色気のない詠唱と共にコツンと額同士がぶつかり、二階堂の意識は強制的にシャットダウンされた。
◇
目を開けると、そこは荒涼とした荒野だった。 空は赤黒く濁り、地面は干上がってひび割れている。 風には砂と錆の味が混じっていた。
「……やっぱりな。ここは二階堂の夢じゃない」
草薙は周囲を見渡した。 ここは、人々の無意識が繋がる集合的無意識の最深部――「狭間(境界)」だ。
そしてその風景は、草薙がかつて旅した「異世界の荒野」そのものだった。
「懐かしい景色だが……感傷に浸ってる場合じゃなさそうだ」
ズズズズズ……。 地平線の彼方から、黒い霧のようなものが押し寄せてくる。
「悪夢の軍勢」。 人々の不安や恐怖を食らって増殖する、不定形の怪物たちだ。 あれが現実世界へ溢れ出せば、二階堂だけでなく、街中の人々が精神崩壊を起こす。
だが。 草薙は目を見張った。
その黒い津波を、たった一人で食い止めている小さな背中があったのだ。
紫色のローブ。深いフードで顔を隠した魔道士。 手にした杖から、激しい「紫電」を放ち、群がる悪夢をなぎ払っている。
バリバリバリッ!!
雷撃が閃くたびに、悪夢たちが霧散していく。 だが、敵の数は無限だ。魔道士は一歩も引かず、必死に結界を張り続け、現実世界への侵入を防いでいる。
――その姿は。 かつての回想の中で見た、夜の荒野で一人仲間を守っていた、あの背中と同じだった。
「あの雷……! あの立ち姿……!」
草薙は叫んだ。
「おい! そこにいるのは……ゼノスなのか!?」
魔道士の肩が、ビクリと震えた。 だが、感傷に浸る隙はない。悪夢の波が、魔道士の結界を破り、その喉元へと迫る。
「くそっ、加勢するぞ!!」
草薙は残りのMPを一気に練り上げた。 そしてかつての戦いにおける絶対的必勝ポジション、大聖女としての後衛からの支援魔法を構えた。
「燃え尽きろォッ! 浄化の聖炎!!」
草薙の手から放たれた蒼い炎が、孤軍奮闘する魔道士の周囲を螺旋状に包み込んだ。 迫りくる悪夢の前衛が、聖なる炎に焼かれて霧散する。
一瞬の隙が生まれた。
「久々だなゼノス! まさかこんなところで会えるとはな!」
草薙は魔道士の背中を守るように、そのすぐ後ろに立った。 フードの奥の顔は見えない。だが、背中越しに伝わる小柄な身体の震えと、懐かしくも張り詰めた魔力の波長は、間違いなくゼノス本人だった。
『……ッ!?』
魔道士は激しく動揺し、息を呑んだ気配がした。 だが、声は出さない。
言葉はいらなかった。 魔道士が撃ち漏らした敵を、草薙の「聖炎」が的確に焼き払う。 魔道士は後顧の憂いなく、正面の敵を「紫電」で撃ち抜く。
完璧な役割分担。 かつて世界を救った最強パーティの連携が、この夢の境界線で、奇跡のように再現されていた。
「ははっ! さすが!腕は鈍ってねえな!」
草薙が笑った、その時だ。 周囲の敵を一掃し終えた瞬間、魔道士がクルリと杖を草薙に向けた。
「え?」
ドンッ!!
言葉ではなく、純粋な衝撃波が草薙を弾き飛ばした。 無防備だった草薙の体は、後方の「現実への出口」へと吹き飛ばされる。
「なっ……おい、何しやがる!?」
遠ざかる視界の中で、魔道士は杖を突き出し、強く手を払った。
(…帰れ。)
そして(二度と来るな)と。
その仕草は、かつて夜の荒野で「若造はすっこんどれ」と言った、不器用な魔術の師匠の「拒絶」そのものだった。
「待題! ゼノス! 話を聞けぇぇぇ!!」
視界が歪む。警告音が鳴り響く。
『強制排出! 精神パルス逆流!』
草薙の意識は、暗転する世界から強制的に弾き出された。
◇
「ハッ……!!」
整体院の施術台の横で、草薙はガバッと跳ね起きた。 全身が冷や汗でぐっしょりと濡れている。
「先生! 大丈夫ですか!?」 「草薙! どうした!? おぬし異常なまでにうなされておったぞ!」
ガン子と有栖が駆け寄ってくる。 そして施術台の上では――。
「すぅ……すぅ……尊……昇天……♥」
二階堂が、憑き物が落ちたような安らかな顔で、蕩けるような寝言を漏らして爆睡していた。
「……はぁ、はぁ……」
草薙は乱れた呼吸を整えながら、自分の手を見つめた。 まだ、あの紫電の痺れが残っている気がした。
「……間違いない。あれはゼノスだ」
確信があった。 あいつは生きていた。そして、あの「狭間」で、たった一人で「防波堤」となって、こちらの世界への侵食を食い止めていたのだ。
「……だが、なんで俺を拒絶した? なんで何も言わねえんだよ、クソジジイ……」
草薙は握り拳を作った。 再会の喜びよりも、拒絶されたことへの戸惑いが胸を占める。
草薙は、この時。 まだ気づいていなかった。 その防波堤が、あまりにも脆く、悲しい決意の上に成り立っていることに。
◇
同時刻。病院の個室。 静寂の中で、心電図の電子音が、わずかにリズムを早めていた。
ピッ、ピッ、ピッ……。
ベッドに横たわる陽菜の閉じた瞼から、一筋の涙が伝い落ち、枕を濡らす。
(……あいたかったよ、お兄ちゃん)
声にならない独白が、虚空に溶ける。
(でも、まだダメ。……あの人の『計画』を、ここで私が止めなきゃ……)
彼女の魂は、今も遠い戦場で、孤独な戦いを続けていた。
【本日の業務日報:魔法整体】
■対象:二階堂(および地域の不眠症患者)
■症状:悪夢による重度の睡眠障害(異世界からの侵食)
■施術:精神感応・夢渡りによる原因排除(防波堤への加勢)
■獲得MP:+3,000P
■使用MP:-2,500P
■前回繰越:56,9




