この結婚、死んでも嫌です
神父様が新郎に問いかける。
「汝はこの者を愛し、一生を共にすることを誓いますか?」
「はい、誓います」
力強く、張りのある声が教会の高い天井にこだまする。
その時、天窓から白いハトが飛び込んできた。鳩はぱたぱたと羽ばたき、窓枠に止まり、首をくっと傾げた。
私はその鳩に目を留めた。
真っ白いその鳩を見ている内に、突然、心が軽くなるのを感じた。
ああ、もういいのだ。
どうせ死ぬのなら、私の自由にしてもいい。
神父様が新婦に問いかける。
「汝はこの者を愛し、一生を共にすることを誓いますか?」
「私は誓いません。結婚しません」
小さな声で言った。声が震えている。
一瞬静まりかえった後、どよっと声が上がった。
神父様が少し前に体を傾け、小声でささやきかけた。
「どうか落ち着いて。もう一度聞くから言い直してください。大丈夫ですよ」
私はぎこちなく後ろを振り返った。斜め下を向いたまま早口で言う。
「私は誓いません。結婚しません」
父が、慌てて席を立ち、祭壇の近くまで出て来た。
「マリア、一体どうしたんだ。あんなに結婚を楽しみにしていたのに」
小声だけど、強い調子で父が言う。
私はカッとなって、一息に叫んだ。
「一体いつ私がそんな事を言いました? 胸に手を当てて、思い出してください。今まで、何回も何回も何回も!……何・回・も!! 嫌だとお伝えしました」
私の細い声は、緊張のせいで、いつもより高くなっている。我ながらヒステリックな感じ、と冷静に思う。
お母様も出て来た。父の一歩前に出て、腕をこちらに差し伸べて訴えかける。
「でも、嫌がる理由がまるでわからないわ。何が嫌だと言うのです。申し分のない結婚なのに」
「その理屈で、私の話を全くまともに聞いてくださらなかったわね。私、死んでも嫌なのです!」
「お姉さまったら、一体どうしたというの?」
両親の横に私の兄と可憐な妹が寄り添った。四人共、非常に驚き慌てている。
参列者たちも、驚きを隠せずにいるようだ。
なにせ、新郎は眉目秀麗、エリート近衛団に所属する侯爵家の嫡男。どこの貴族家でも、喉から手が出るお相手だ。
新郎自身も、驚きすぎたのか、目を見開いてぽかんとしている。
今まで、誰もまともに私の話を聞いてくれなかった。
それは、引っ込み思案で、自分の意見をはっきり言えなかった私自身のせい。
一生懸命、婉曲に伝えようと頑張ったのに、全く取り合ってもらえずに、今に至っている。
私は大きく息を吸った。震える手でブーケを握りしめてから口を開く。
「彼には隠している愛人と娘がいます」
「……なんてことを。一体どうして」
新郎のジェイソンは、心底驚いたように私に向かって言う。
私は彼をキッと睨み付け、一歩距離を取った。
父が新郎のジェイソンと参席者に向かって詫びを述べた。
「すみません。娘は多分、緊張で混乱しているのです。どうかお許しください」
ジェイソンは一瞬ニヤッとしたのを袖で隠して、生真面目な表情を取り繕った。
「こんなに不安定になっていたとは。マリッジブルーでしょうか。だが、私は彼女を深く愛しています。これからは私が彼女を支えていきます。ね、マリア。安心して僕に頼ってくれ」
そう言って気遣わしげに、私に腕を差しのべる。
参列者たちは、バツが悪そうに小声でささやき合っている。貴族の男性が愛人や隠し子を持つのは、ままあることだ。
ただ、それが婚前の新婦の耳に入るのは、さすがにいただけない。それ以前に方を付けるか、徹底して隠すかのどちらか。この件で、ジェイソンは未熟者と噂されるだろう。
女性たちは眉を顰めているし、男性たちはそわそわと落ち着かなげにしている。この状況が貰い事故になりそうな様子の夫婦も、何組かうかがえる。
「何も、今ここで言わなくても」
そう、小声で言う父に、私は震える声で返した。
「これまで、全て打ち明けずに済むよう、遠回しに言っても、全く取り合ってくれなかったじゃないですか」
一回言葉を切って、今までの私ではありえない程大きな声で、はっきりと話した。
「だから、私の言葉を聞くしかないこの場で、言わせていただきます」
それだけで両親も妹も、友人たちも驚いている。
「マリア、誤解だよ。誰からどんな話を聞いたか知らないが、それは悪意のある嘘だ。信じてくれ」
ジェイソンは誠実そうな表情で私を切なげに見つめる。これがこの男のいつもの手だ。
そして皆が丸め込まれ、私は不安定で頼りない令嬢として、皆から軽く扱われることになる。
婚約を結んでから一年半の間、続いてきたこと。
私が死に戻った二か月前から、それをどうにかしようとあがき続け、それでも変えられなかったことだ。
「いいえ、あなたの何を信じろと?」
「私の君への愛をだよ。私が君をこの上なく愛していることは、ここに居る皆さんだって、良く知っている」
とろけそうな眼差しで私を見つめ、その魅力的な微笑みを周囲に見せびらかす。
参列者たちは納得するように頷いて見せている。
「マリア、ジェイソン殿が許して下さると言うのだ。今の内に謝りなさい」
「そうよ、マリア。さあ早く」
また、いつもの流れだ。
結局、いつもこうなる。しかも今回のこれは、私が不安定な状況だと周知させるのに役立つ。ジェイソンの悪事を手助けしたようなものだ。
その時、鳩がバサッと羽音を立てて飛び立った。
私はその白い羽を見つめた。その小さな白い羽は、ぱたぱたと手招くように動いている。
私は腹を決めた。この先へ進む。……生きるために。
「皆さんが私の言葉を軽んじるなら、この場で言わせていただきます。ジェイソン様は私を自殺に見せかけて殺し、再婚する手筈まで整えています。どうせ殺されるなら、今ここで、全てを暴露します」
会場はシンとした。
教会で新婦から語られる言葉としては、ありえない内容だ。
「なんて、とんでもない事を」
ジェイソンが蒼白になっている。
「お相手の名前、言うのは控えますが、数年前から親交の深い、淡いブロンドの髪とブルーグレイの瞳のほっそりした令嬢ですわね。泣きボクロのある」
ジェイソンがたじろいだ。それと共に、ジェイソンの友人知人たちが、ぎょっとしたように身体を固くする。彼と噂があった令嬢の特徴に、ぴったりとハマるからだろう。
「おかしくなったとお思いなら、それで結構。嫌な結婚を強いられ、おかしくなってしまったのです。だから破談にいたしましょう」
「いくら何でも、言っていい事と悪い事があるぞ」
ジェイソンが凄んだ。
「娘は一歳ですわね。あなたと同じ銀色の髪でしたか。どなたかお調べになったら? すぐにわかるわ。何せ、乳母が預かって育てていますもの」
乳母である子爵夫人が、ぎょっとしたように身じろぎするのが見えた。
参列者たちの頭が、子爵夫人の方に向き直る様が、壇上から見ると凄くよくわかる。動物の集団行動みたいと、ちょっと面白く感じる。
「女性の方は、侯爵邸に私付きの侍女として入り込んでいると聞きました。一体、何の為に?」
具体的な話が飛び出し、参列者たちは本当に落ち着かない様子になり始めた。
愛人、隠し子は有っても、愛人を新婦の侍女として引っ張り込むとか、自分の乳母に子供を預けるとかは、一線を越えている。そして不穏すぎる。
マリアの言う殺人という言葉に引きずられ、危険な動機を想像してしまう。
「有り得ない。誤解だ。それにどうやって、そんなことを知ったんだ」
困った。それは死に戻ったからだなんて言えない。
しばらく冷汗をかいて黙っていたが、目の前にあった婚姻の署名用紙を見て閃いた。
そして、ゆっくりと微笑んだ。
「ある日、手紙が届き始めたのです。善意の第三者であり、お相手の女性の知り合い、という署名で」
「君は誰からかもわからない、そんな手紙を信じたと言うのか?」
「初めは信じなかったけど、以前、侯爵邸に伺った折に、そこに書かれたのとよく似た女性を見たんです。次の時、女は子供を抱いていて、乳母と共に子供の教育の話をしていました。知らなければ、次期侯爵夫人にしか見えませんでしたわ」
侯爵夫妻は表情を凍らせて真っ青になっている。多分彼女に心当たりがあるのだろう。ジェイソンも真っ青だ。
「彼女とそれほど結婚したいなら、私を殺して再婚などと、まどろこしい事をしないで、そのまま結婚したらいかが? あ、失礼。それが出来ないから、わざわざワンステップ踏んで、彼女との結婚のハードルを下げようとしたんでしたね?」
乳母は夫の子爵の腕を取り、その場を急いで逃げだした。
バタバタと走る音が妙に大きく聞こえる。
「乳母は彼女たちを逃がす気でしょう。行先は侯爵邸ね。彼女は新任の私付き侍女として、変装して屋敷にいるのよね。私の言葉を認めたのと一緒だわね」
私の言葉を半信半疑で聞いていただろう参列者たちは、乳母夫妻を見送り、引き攣った表情に変わっている。
事実無根なら、彼女達が逃げ出す必要などないのだ。
「こんなことをしでかして、君は一生結婚できなくなるぞ」
ジェイソンは好青年の仮面をかなぐり捨て、掴みかかりそうな勢いで私に迫った。
その顔を見て、私は微笑んだ。
「まあ、それがあなたの本当の顔ね。そっちの方が今までの薄気味の悪い笑顔より、ずっとましよ」
「お姉さま、そんな事情があるなら、私達に打ち明けてくれたらよかったのに」
妹の切なげな声に、マリアはキッと顔を向けた。
「だから、あれほど嫌だと言い続けたでしょう。自分たちの態度を思い出して見なさい。何が気の迷いよ。だったら代わってあげるから、誰か代わりにこの人と結婚して頂戴」
私は、私を説得し続け、彼の方に押しやろうとした妹や友人たちや、恋のライバルたちに、順繰りにブーケを突き付けた。
「彼と結婚できるなんて、天にも昇る幸せ、なんでしょ。今からこのブーケを放るわ。受け取った人が、その幸せを引き当てるってどうかしら?」
私は、「行くわよ」と声を掛けて、ブーケを思いっきり放った。
ブーケは弧を描き、綺麗に若い女性達のいる辺りに飛んだ。
その瞬間、その辺りから人がさっと逃げ、無人の椅子の上に、ブーケがバサッと落ちた。誰も受け止めようとしなかったのだ。
友人たちだけでなく、彼との結婚を妬んだアナベル嬢、いやがらせまでしてきたベル嬢やシリル嬢たちまでが。
そのブーケを遠巻きに見つめる人々の目には、禍々しい物を見るような色が浮かんでいる。
「あら、不思議ね。誰もその幸せ、欲しくないみたいね。……お分かり? 私だって、そんなもの欲しくないの」
「なんてことだ。貴族の令嬢としての人生は、これでお終いになる」
父の言葉に、私は微笑んで返答した。
「そうね。私もそう思ったから、今まで全ては話さず、穏便に逃げようとしてきたの。それが全く叶わなかったから、最後の手段に出ました。どうせ殺されるのなら、死ぬ気でやってみようと。それともお父様は、私が貴族の娘としてこの人と結婚し、一年経たずに気鬱で自殺したとされるほうが良いとお考え?」
父は黙り込み、代わりに母が絞り出すように言った。
「あなたの幸せだと思ったのよ」
私はふと顔をゆがめた。その善意と愛情……それと私に対する軽い侮りが、どれほど私を疲弊させたことか。
神父様が私の顔を覗き込んだ。
「マリア嬢。これは取り返しが付かない行いです。おわかりですか?」
「いいのです。死ぬ気になったら、何でもできるって気が付いてしまったのです、神父様。この祭壇の前で。白いハトが飛び込んできた時に。神の啓示かもしれません」
ジェイソンが何とか今の雰囲気を打破しようと、私に突っかかってきた。
「今までの話は事実無根だ。こんなひどい侮辱を受けるなんて、思いもしなかった。証拠の手紙を出してみろ」
「手紙は全て燃やしました。婚家に持って行けるものではないから。それに、毒薬はいつから飲ませる予定でしたっけ? 数ヶ月かけて弱らせて殺す毒でしたわね。まだ実行されていませんから、今、証明出来るのは、よく似た娘がいる事だけです」
「俺に子供なんていない。それにもし似た子がいたとして、俺の子だとは証明できないだろう」
「そうですね。それに、今の段階で発覚してよかったわ。私、本当は毒の混じったお砂糖を検査に送ろうと考えていましたの。毒の保管場所も知っていますので。でもそれがうまくいくかはわからない。侍女の彼女にずっと監視されているのだから。だから遺書も用意するつもりでした。そうしたら、あなたと毒を盛る実行犯の彼女は、絞首台に送られることになったかもしれません」
男の顔が衝撃に歪んだ。毒はお茶の時に使う砂糖に混ぜられる予定だったのだ。ここまで言い当てられたら、蒼白になって当たり前。まあ、あなたが教えてくれたのですが。
「……あら? 私ったら、いい事したんだわ」
唖然として口を開けたままこちらを見つめる神父様に、私は微笑んだ。
「神の思し召しです。三人の死と、一人の子供が孤児になることを防げましたわ」
この後、私は貴族社会から浮き上がるに違いない。
でも、後悔はしない事に決めた。
だけど――この凍ったような空間。
そこに集う参列者の皆様、と神父様には申し訳ない気分になった。
隣に立って呆然としている男は――とことんどうでもいい。
むしろ一発殴りたい。
その気持ちを抑えるために、私はさっさと祭壇から降りた。
了
ヒロイン退場。
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