第一章⑤
盗み聞きをしていたと知られるのはまずいので、一旦距離を置いて今来たばかりだという何食わぬ顔で旦那様に声を掛ける。
「旦那様。お疲れ様です。少し休憩いたしませんか?」
そう言って、あらかじめ用意していた飲み物の入ったピッチャーを見せる。
旦那様の好きなリンゴを絞って作った特製のジュースよ。
各地のリンゴを交配、品種改良を重ねて作った最高のリンゴは、今では北部の名産の一つになっていたわ。
そんな渾身のリンゴジュースを見た旦那様は表情をぱっと輝かせたの。
本当にお可愛らしいわ。
体が大きくなっても昔と変わらず、可愛い旦那様。
とても喉が渇いていたみたいね。
勢い余ってわたしに抱き着いてジュースを欲しがる姿が微笑ましいこと。ふふふ。
「ギネヴィア!! ありがとう。大好きだ」
「ええ。たくさん用意したから好きなだけ飲んでね」
「…………ん」
あら? 少し不服そうな? ああ、なるほど。
「ふふ。旦那様のお好きなクッキーもありますよ」
そう言ったわたしは、懐からクッキーを取り出していた。
ザクザクの触感を残したリンゴジャムをたっぷり使ったクッキーは公爵城内でも評判がいいお菓子で、もちろん旦那様のためにわたしが考案したお菓子よ。
旦那様の目はわたしの懐から出されたクッキーに釘付けだった。
リンゴジュースの入ったピッチャーを近くの騎士に預けたわたしは、頬を赤くして期待した眼差しの旦那様に手作りクッキーを一枚差し出す。
「はい。旦那様の大好物のリンゴクッキーですよ」
わたしがそう言うと、旦那様はパッカーンと口を開けて雛鳥のように待ちの姿勢になっていた。
大人になっても甘えん坊な旦那様。
きっと小さなころから傍に居たわたしを姉や母親のように慕ってくれているのだと思うと、何でもしてあげたくなってしまう。
「旦那様は本当にお可愛らしいわ」
「甘えたり、弱い姿を君にだけは見せてもいいって言ってくれただろう?」
「ええ。そうよ」
今まではそうだった。だけど、もう違うわね。
旦那様が恋い慕う方に、このお役目を譲らなければならない日はそう遠くはないわね。
でも、今だけは……わたしの旦那様でいてくれる今だけは……。
ほんの少しの寂しさを感じていたわたしは、ぼんやりしている間に旦那様に指を舐められてしまっていた。
驚きに目を丸くさせていると、旦那様が悪びれもせずに言うの。
「美味しい。もっと欲しいな?」
いつの間にか摘んでいたクッキーが無くなっていた。
「分かりました。はい。でも、あまり食べると夕食が入らなくなってしまうので食べすぎは駄目ですからね」
「ああ」
そう言いつつも、旦那様が満足するまでクッキーを口元に運んでしまうわたしがいたの。
ちょっと甘やかしすぎかしら?




