第三幕:カエルの姿勢の秘密
第三幕:カエルの姿勢の秘密
港の底を進むうちに、ホラの頭に懐かしい声が蘇った。
子どもの頃、縁側で祖父に聞かされた言葉だ。
――潮は蛙に従う。港を向けば満ち、背を向ければ引き、立ち上がれば門が開く。
当時はただの昔話だと思っていた。だが今は、この異様な光景の中で、それが警告だったのだと悟る。
蛙の姿勢こそが、この怪異を動かす鍵。
やがてホラは、一軒の建物にたどり着いた。
それは現実世界にあった廃井戸にそっくりの構造で、水底の港に歪んで再現されていた。
部屋の中央には、長いゼリー状のものが横たわっていて、透明に、ぷるぷると揺れている。
「……でっかい水まんじゅう?」
ホラは無意識に口にしてしまった。こんな場違いな場所に、巨大スイーツのような物体。
不気味さよりもまず違和感が勝って、思わず笑いがこみ上げた。
部屋の隅には、やたらピカピカに輝く金色の宝箱。罠があるのではと警戒しつつも、蓋はあっさりと開いた。
中には黒い球体がぎっしり詰まっている。
「……タピオカ?」
ホラは思わず顔をしかめた。だが、なぜかこの球を“あのゼリーに入れるべきだ”と直感する。
試しに一つ、窪みにはめてみる。ソレはカチリ、と小気味良い音を立てて収まった。
ぷるん、とゼリーが震え、形を変えた。
「……パズルかよ」
それ以降は止まらなかった。一つ、また一つ。
黒い球を嵌めるたびにゼリーは顔を作り、体を作り、やがて――巨大な蛙の姿となった。
大きな瞼が開き、冷たい瞳がホラを見据える。
「……達成っ。蛙ガチャ完成!」
緊張の極みにもかかわらず、口から出たのは場違いな言葉だった。
直後、空気が一変した。
蛙がぐい、と身体を伸ばし、直立する。
部屋全体が震え、水底の港と現実の港が重なり合い始めた。
ホラの足元が冷たくなる。影が、じわじわと水面に吸い込まれていく。
背中にぞっとする感触を覚えたその時――
ぶぉおおおお……
低く重い音が部屋全体に響き渡った。
ホラ貝の音。
振り返ると、朧げな人影が立っていた。灯台守の制服を纏った、祖父の姿だった。
「……ホラ、はじめ。お前はまだ行くな」
その声と同時に、影を引き裂く力が一瞬弱まった。
しかし周囲には、影を失った人々の群れが集まり始めていた。
白く透けた輪郭のまま、口を動かし、声にならない囁きを重ねる。
――来い。こちらに来れば、恐怖も記憶も消える。
――楽になれるぞ。全部忘れられる。
その声は甘美で、どこか救いめいていた。
ホラは心を揺さぶられながらも、祖父の声と共に、必死で影を繋ぎ止めようとした。
(続く)