第7話 転生大魔法使いは急に抱きしめられた
筆記試験と実力試験を終えた今日は、他に授業もなく、本当なら夕方以降はゆっくりと休めるはずだった。
他のクラスメイトたちは、明日から本格的に始まる授業に備えて予習をするのだと言いながら寮へ帰っていく。
ラヴィニアも本当ならゼドの情報を集めるために外出しようと考えていたため、さっそく外出届を出していたくらいである。
が、ラヴィニアは予定外なことに、エメリーヌ、アシュレイ、ディーノの三人と共に魔術練習場にいた。講堂や寮に近い場所にあるそこは、授業でも使用されるが、放課後は教師の許可があれば生徒たちが自由に魔術の練習ができるようになっている。
エメリーヌとアシュレイの喧嘩の仲裁を「任せろ」と請け負ったディーノが提案してきたのが、この練習場での決闘だった。
「喧嘩は殴り合うのが一番手っ取り早い解決法だ」というのがディーノの持論らしく、彼がそのための場を整えた形になる。
正直に言って、本当に大丈夫なのかと半信半疑だ。
魔術練習場は円形闘技場のような造りになっていて、周囲は階段状の観客席に囲まれている。なんでも春にある学園祭や寮対抗の大会などでは、ここで魔術バトルなどの催しもあるようで、そのための観客席らしい。
「えー、ではルールを説明する。互いに使うのは一つの魔術のみ。それを全力で相手にぶつけて競り勝ったほうが勝者だ。いいか、二人とも。これでいったん勝敗をつけたら、あとは普段の成績で競い合うこと。今後はねちっこく喧嘩をふっかけるんじゃないぞぉ!」
ディーノの前口上は二人とも耳に入ってなさそうだ。互いに互いへの敵愾心で睨み合っていて、ディーノの言葉には一切反応しない。
無視かよ……と小声で呟いたディーノの声が風に乗って聞こえてきて、ラヴィニアは同情の眼差しを送った。
ちなみにラヴィニアは、ディーノに危ないからと言われて観客席の一番前に座っている。
席と練習場の間には、両方向からの魔術を通さない結界が張られているとのことで、これは大陸魔術協会に属する七賢者の一人であり、クローディア学園の教師でもある『怠惰の魔術師』が張った結界らしい。
確かにかなりの強度がある結界だ。ラヴィニアにもそれはわかるけれど、この結界を編んだ魔術式というものは読み取れない。
(『魔術』がどんなものか見る、いい機会ね)
試験のときは自分のことに精一杯で、とにかく聞こえてくる呪文を丸ごと暗記しようと集中していたから魔術がどういうものか分析する時間はなかった。
けれど今なら――しかもディーノが提案した勝負方法なら、おそらく単純な魔術のぶつけ合いになるため、魔術がどんなものか知るのにはちょうどいい機会かもしれない。
「では双方、準備はいいか」
両者がこくりと頷いた。
「レディ……ゴー!」
ディーノが合図した瞬間、両者ともに詠唱を開始する。
ほぼ同時にフォンッと魔術式が展開された。エメリーヌの背後には青色に光る魔術式が。アシュレイの背後には赤色に光る魔術式が。
(あれがリーン文字……っていうのはわかるけどやっぱり読めない……!)
術式の理解を捨て、ラヴィニアは意識を二人の魔力に集中させた。
ラヴィニアが魔法を使うときとは異なり、詠唱に比例して体内で練り込まれていく感じがある。
魔術の発動は『魔術を編む』とも表現されるらしい。
確かにこれは魔力を単純に消費する魔法とは違い、あらかじめ緻密に計算した術式に従って魔力を編み込み、一つの技として完成させようとしている感覚がある。
その未知の感覚に、ラヴィニアは我知らず興奮を覚えた。
そうしてわずかにエメリーヌのほうが早く詠唱を完成させる。
「موجة!」
「صغير・حمم !」
大量の水と溶岩のような複数の炎の球がぶつかり合う。そのとき発生した蒸気音はラヴィニアの許にまで届いた。結界のおかげで熱気まで届くことはないが、視界に映る白い煙が激しい魔力のぶつかり合いを教えてくれるようである。
エメリーヌは氷属性の魔術が得意だと聞いていたのでてっきりそちらを繰り出すと思ったのに、一発勝負だからか量で勝負してきたらしい。
アシュレイは予想どおり火属性の魔術で臨んできたが、単純な炎柱ではなく攻撃力の高そうな炎球というのは少々やりすぎではないかと思う。
(ていうか、一期生であのレベルなの? あの二人が異常なのか、他のみんなもあんなレベルなのか……わたし、ここでやっていける気がしないんだけど……)
なんて落ち込んでいる場合ではないと気づいたのは、蒸気音に交じってパチッと水が弾けるような音がしたときだ。
ラヴィニアはハッとして周囲を見回した。
怠惰だかなんだか知らないけれど、とにかく大陸で強い魔術師の結界が練習場を囲うように張り巡らされている。
つまりここは、見た目には天井がなく開放的であるにもかかわらず、こと魔力に関しては密閉空間と同じ仕様になっているというわけだ。
(まずいわ、このままだと爆発が起きる!)
一瞥したエメリーヌとアシュレイは目の前の戦いに夢中で気づいていない。
審判役のディーノは呑気に二人の攻防を感心しながら眺めていて、やはりこちらも気づく様子はない。
二人の魔術の威力に隠れて、弾き音が強くなった。
(結界を壊すことになっちゃうけど……ごめんなさい!)
ラヴィニアは頭上の結界を空間ごと切り抜いた。
詠唱なんて必要ない。
精霊王にもらった杖も今世では必要ない。
時空魔法は、転生したラヴィニアの魂に刻まれている。
密閉空間が急に解放されたことにより、突風がエメリーヌたちを襲った。
そのまま吹き飛ばされそうになったエメリーヌを、観客席から飛び出したラヴィニアが受け止める。
二人一緒に飛ばされた方向にはコンクリートの壁があるけれど、問題はない。
なぜならこういうとき、いつも相棒のゼドが大きな体で助けてくれるからだ。
と、思ったけれど。
(そういえばいないんだったわー!)
このまま壁に衝突すれば確実に骨が折れるだろう。それも一本どころではないはずだ。
じゃあ時空魔法で別空間に移動してやり過ごすかと考えたけれど、この時代で『魔法』が使えることがバレるリスクはなんとなく察している。
ラヴィニアは今世では、ただゼドと再会できればいい。彼と再会して、一緒に穏やかな毎日を過ごせたらきっと幸せで、そういう生活を望んでいる。
前世のように『力のある者の義務だ』とかなんとか言われて戦いの道具になんてされたくないし、畏怖の目で見られたくもない。
目立たず平穏に過ごすためにも、できれば魔法を使ったことを気づかれないようにしなくてはならない。
(そのためなら、わたしの骨の二本や三本くらい)
エメリーヌさえ無事なら問題はないのだ。
風圧に飛ばされながら一瞬でそこまで判断し、ラヴィニアは衝撃に備えて強く目を瞑った。
――そのとき。
「ريح」
背筋をなぞるような甘いバリトンが耳に届いて、目を開ける。
声の主を確認する暇もなく、身体が柔らかな風に包まれてギリギリのところで衝突を免れた。
トンと肩に手を置かれて、何かに導かれるように振り仰ぐ。
自分よりずっと背の高い、青藍の瞳の少年と目が合った。
初めて見る少年だ。いや、青年だろうか。大人びた顔つきをしている。
知り合いではないはずなのに、なぜかその瞳に目を奪われて逸らせない。
すると、瞳の中にラヴィニアを閉じ込めた彼が、心底嬉しそうに目元を緩めた。
「ああ、やっと見つけた……! ようやくだ。ようやく……っ、会いたかった」