第4話 転生大魔法使いは伯爵令嬢を怒らせた
昨日はかつての相棒竜ゼドを探し回って力尽き、いつのまにか知らない公園で寝てしまって夜を明かしたラヴィニアは、自分のそんな状況を把握すると同時にゼドの怒りの声が脳内に蘇り、おかげで冷静さを取り戻した。
『なぜおまえはそう自分に無頓着なんだ。集中しすぎて周りが見えなくなる癖をいい加減にどうにかしろ』
叱責の中に滲む彼の優しさが、今のラヴィニアの心にも沁み込んだ。
身体は砂埃で酷いありさまで、顔は涙の跡と土汚れでもっと悲惨なことになっていて、このままじゃダメだと気合を入れ直す。
こんな状態では、ゼドと再会できたときにまた彼を怒らせてしまう。
せっかくの再会をそんなものに邪魔されるわけにはいかない。
だからラヴィニアは、服についた砂を払って、急いで宿に戻った。
前世の自分が得意魔法として持ち、今の自分にも引き継がれた時空魔法は、魔法の行使者が座標を把握している場所にならどこにだって移動できる。
おかげで現在地がわからなくても宿に戻れたのだが、これがあるせいでラヴィニアは迷子になることを恐れないという、ゼドにとっては迷惑極まりない悪癖が育ってしまった。
ちなみに、人体実験の施設にいた研究者たちにもこの力を使い、かつて監獄島と呼ばれていた場所へ移動させたのだが、はたして五百年が経った今、そこがどんな場所に変わっているのかはラヴィニアにもわからない。
自分の両頬を叩いて気合を注入したラヴィニアは、今日から入学する魔術学園を見上げた。
(ここもすごいわね。門からして立派。建物も尖塔がいっぱいあって大迫力だわ。奥なんて見えないくらい広いみたいだし)
この魔術都市唯一の学園は、学園島と呼ばれる広大な湖の中に浮かぶ島の中に存在している。
入り口は橋が一つしかなく、そこには常に門番が立哨しているようだった。
巨大な門から入ってすぐのところには、生徒たちが島を出なくても不自由のないように整えられた商業街があり、そのメインストリートをまっすぐ進むと学園に辿り着くようになっている。
(万が一生徒が魔力を暴走させても、対処できるようにしてるのね。考えられてるわ。それに、この魔力……)
ラヴィニアは何もないところに向かって手のひらをかざすようにした。魔力を視認するのは難しいが、感じることならできる。
魔法も魔術も結局は同じ『魔力』をもとにしているため、魔術について詳しく知らないラヴィニアでも、学園を囲む結界の存在は認識できた。
ちなみに、ラヴィニアが『魔術』を知らないのは、前世ではまだ研究が始まったばかりだったのと、ラヴィニアには『魔法』があったからだ。
そして今世では十歳の頃から施設にいたため、詳しく知る機会がなかっただけである。
そんなラヴィニアの頭の中に、伯爵の声が蘇る。
『魔術とは、魔法の代わりに人類が編み出した技術のことだ。魔術は魔力をもとにし、詠唱と術式から成るものでね。強い魔術師ほど詠唱を簡略化できるが、人類の誰も詠唱なくして魔術は使えない。かつて人類が詠唱なく魔法を使っていたことが、今では御伽噺だと言われるほどに詠唱なしの魔力行使はありえないのだよ。学園は身分に関係なく、そんな魔術を専門的に学べるところだ。あそこほど実力主義の世界はないだろう』
ところで、とついでのように付け足されたひと言も思い出してしまった。
『エメリーヌには、君が私の付けた護衛だと気づかれぬよう頼むよ』
途端に乙女のように恥ずかしがる伯爵にドン引きしながら、なぜなのか訊ねると。
『そんなの決まっているだろう。娘は今反抗期なんだ。本当は全寮制の、それも国外の学園になんて心配で心配で行かせたくないが、もし私が余計なことをしたとバレたらもう口も利いてもらえなくなってしまう。君は私に死ねと言うのか?』
と、真顔で答えられてしまった。
そのあとも『長期休暇には娘を連れて帰ってきてほしい』など要望がどんどん増えていったので、ラヴィニアは聞かなかったことにした。
子どもたちを預けられるちょうどいい保護先を見つけたと思ったのに、相手は食えない上に親馬鹿だったようで、彼に声を掛けたのを若干後悔する。
父親にそれほど愛されている娘のエメリーヌだが、入学前にこっそり確認した彼女は確かに整った顔立ちをしていた。将来はもっと美人になるだろう。
切れ長の目は伯爵譲りに違いない。けれど瞳の色は伯爵とは異なる碧眼で、それは母親譲りなのだろうと推測できる。
桃色の髪を縦に巻き、背筋をぴんと伸ばす姿からは己にも他人にも厳しそうな雰囲気を醸し出していた。
そんな彼女と同じクラスになったのは、伯爵の手回しか、はたまた偶然か。
必ず二人一部屋になるらしい寮が同部屋だったのは、絶対に伯爵の根回しだと思っている。
ラヴィニアはエメリーヌが同室だったことを、入学式が終わり、今日はもう各自寮の自室の片付けをするよう指示があって指定された部屋の扉を開けた瞬間に知った。
この学園の女子には二種類の制服が用意されているが、エメリーヌは貴族令嬢が選ぶことの多いワンピースにフード付きのショートマントを羽織るスタイルのようだ。
ラヴィニアは動きやすいという点だけで、膝丈スカートとシャツ、その上にフード付きのショートマントを羽織るほうの制服を選んでいたので、エメリーヌとは異なる。
制服はどちらを選んでも学年によってリボンやラインの色が統一されていて、今年の秋に入学したラヴィニアたち一期生は、赤い色を身に纏っていた。
「初めまして。わたしはエメリーヌよ。南のラトレイから来たの。あなたは?」
「初めまして。わたしはラヴィニア。えーと、東のインガルテ出身、かな。よろしく」
かなってなによ、とくすくす笑いながらエメリーヌも「よろしく」と言って力強い握手をしてくれる。
見た目はきつめの美人だが、案外接しやすいかもしれない。あの食えない伯爵の娘だと思うと警戒してしまうが、伯爵を抜きに考えれば仲良くなれる気もした。
――が、そんな淡い期待は、ものの一時間で砕け散る。
「ラヴィニア! これあなたのではないの!?」
「わたしのー!」
「ラヴィニア! タンスから服がはみ出てるわよ!」
「ごめんなさーい!」
「整理できない量を持ってこないで……って、制服しかないじゃない!? なんでこれだけなのにはみ出るの!?」
「……えへへ」
「ラヴィニア! 机の上の片付けもできないのあなたは!?」
「すぐやりますー!」
「ねえ……もしかしてあなた、壊滅的に整理整頓ができない子ね? もしかしなくても片付けが下手な子ね?」
「…………えへへ」
「笑って誤魔化さない!」
「すみません!」
なんだか前世の相棒を思い出す。ゼドもクローディアの散らかった家にはよく苦言を呈していた。
まあ彼の場合、部屋が汚いことによるクローディアの健康を心配しただけだったので、クローディアに影響がないとわかってからはあまり口うるさくなくなったが。
「ラヴィニアー!」
「はいー!」
「もう片付けはいいわ。なぜ片付けをすればするほど散らかるのか全く意味がわからないけれど、あなたがわざとやっているわけじゃないことはわかったわ」
「エメリーヌ……!」
ラヴィニアはこの瞬間、彼女が女神に見えた。
ラヴィニアの超絶不器用なところは、これまで多くの人を失望させ、キレさせた過去がある。
なのに理解を示そうとしてくれるエメリーヌは、あの食えない伯爵の娘とは思えないほどに神々しかった。
「変わりに、範囲を定めさせてもらうわ」
エメリーヌが詠唱を始めると、部屋をちょうど真ん中で左右に区切るように光の線が引かれる。
彼女の詠唱が終わると、その魔力で引かれた線はすぐに見えなくなった。
「『物』を通さない結界を張ったわ。これであなたがどれだけ散らかしても、こちら側には雪崩れ込んでこないでしょう」
「すごい! 魔術ってそんなこともできるのね」
「そうよ。わたしはすでにお父様に魔術を習っているから、初歩的なことなら簡単にできるわ」
「へぇ……。お父さんのこと、好きなのね?」
「べ、別にそうとは言ってないでしょう。まあ、尊敬はしているけれど」
ほんのりと頬を染めて唇をもぞもぞとさせるエメリーヌは、年相応の娘に見えた。
伯爵はエメリーヌが反抗期中だと言っていたけれど、本当に嫌っているわけではなく、ただ単純に思春期特有の気恥ずかしさから来るものだと知って、ラヴィニアも微笑ましくなる。
「ところで、エメリーヌ」
ラヴィニアは照れているエメリーヌから、気まずそうに顔を背けた。
「入学式のとき、学園内で勝手な魔術行使は禁止って言われたけど、これ、大丈夫だと思う……?」
これ、とはもちろん、先ほどエメリーヌが描いた結界のことだ。
エメリーヌも気づいたらしく、見る見るうちに顔色を青くさせていく。
これまではなんの規制もなく魔術を使っていた彼女だが、今日からは魔術を使うにも制限がある生活になったわけだ。今までの癖がつい出てしまったのだろうとはわかるけれど、はたして学園側が見逃してくれるかはわからない。
この数秒後、寮母が飛んできてしこたま怒られたのは言うまでもない。
*
「――あ、今誰か魔術を使ったね」
男子寮の庭の一画に、青色のラインのショートマントを着こなすグループが優雅にティータイムを楽しんでいた。
白い丸テーブルを囲むのは、『名誉騎士』の称号を胸元に掲げる学園の成績優秀者四人だ。
これは、初代学園長を務めたと言われている英雄クローディアの守護者に相応しいという意味を込めて特に成績が秀でている者に与えられる証で、これを獲得するのも難しいが、その座に居続けるのはもっと困難だと言われているものである。
ここに本物のクローディアがいれば「わたし学園長なんてやった覚えないけど!?」と突っ込むのだろうが、歴史が間違っていることはしばしばあるものだ。
最初に口を開いた金髪碧眼の男が、穏やかに続けた。
「今の魔力、一期生だろうね」
「はっ、入学早々やっちまったな」
そう相槌を打ったのは、茶髪緑眼のつり目の男だ。右に垂らしている三つ編みがチャームポイントである。
「ルイゾンと同じだね」
「なっ、俺は違うだろ! 俺はほら、誰かさんのせいで仕方なく……」
ルイゾンが視線を移した先には、黒髪に青藍の瞳をたたえた美しい顔立ちの少年がいる。
彼の左耳にはプレート型のピアスがついていて、直接的であろうと間接的であろうと、それに誤って触れた者はことごとく半殺しにされている。
ファーリスの中で唯一平民出身と公言しているが、その所作は貴族でも見惚れるほど気品に溢れていた。
人のせいにするルイゾンを、最後の一人、褐色の肌が特徴的な赤髪紅眼の男がじろりと睨む。
「なんだよ、文句があるなら口で言えよ。ロベルト」
もともと無口なロベルトは答えない。
代わりに、自分のせいにされた黒髪の男が口の端を上げて答えた。
「あのとき喧嘩を売ってきたのはルイゾン、おまえだ。俺はそれを買って、おまえを潰しただけのこと」
「うわ、ほんと嫌な奴。ハイノ、おまえが余計なこと言うからだぞ!」
「僕は事実しか言ってないんだけどねぇ」
ハイノと呼ばれた金髪の男が苦笑する。
彼は「ところで」と話題を変えて。
「セルジュ、君の探しているお姫様は、一期生にいそうかい?」
青藍の瞳をわずかに落として、セルジュはやや間を開けてから空を見上げた。
「さあ。どうだろうな」
そう言った彼の脳裏には、艶やかな黒髪をなびかせた女が、こちらを向いて微笑んでいた。