第2話 転生大魔法使いは汚い大人を知った
ここは大陸の南に位置するラトレイ王国。
東のインガルテ帝国にいたラヴィニアは、前世の記憶が戻ったと同時に時空魔法の使い方も思い出し、自分と同じ被検体だった子どもたち四人と共にラトレイ王国へ空間移動した。
子どもたちは誰もが目から光を失っていて、施設から逃れられたとはいえ喜べるほどの体力もない状態で、ラヴィニアは早急に心安まる住処が必要だと考えた。
「そこにドゥ-ル伯爵が襲われているところに遭遇して、これはチャンスだって思ったの」
「君は子どものくせにちゃっかりしているようだね」
ドゥール伯爵が眉間を揉む。
濃いブラウンの長い髪を後ろで一つに束ね、顎髭を綺麗に整えている彼は見るからに紳士である。
まだ三十代中頃だろうに、一度でも命の危機に瀕した心労からか五歳くらい老け込んだように見えた。
そんな彼の顔を、部屋の燭台に灯された火が照らしている。
ここはドゥール伯爵のマナーハウスで、助けたあとそのまま伯爵に招待されたラヴィニアは、応接室で彼と向かい合っていた。
(あの火、魔力で点いてるのね)
伯爵は屋敷に着くや否や、つい先ほど0時になり誕生日を迎えた愛娘の許へ向かっていたが、どうやらすでに寝ていたようで、しょんぼりと肩を落としながら応接室に戻ってきた。
ぐちぐちと悲しみを吐き出した伯爵曰く、彼の愛娘は、昨年までは日付が変わるとともに祝いの言葉を要求してきたらしい。
けれど今は反抗期中のようで、最近はまともに口も利いていないのだとか。
「では、命の恩人よ。もう一度確認するが、君は私とどんな交渉をしたいのかね?」
「子どもたちが安心して暮らせる住処の提供をお願いしたいの」
「……君は?」
「わたしはいいわ。子どもたちの安全が確認できたら、旅に出る予定だから」
「旅? 一人で?」
ラヴィニアはこくりと頷いた。
実は前世の記憶を取り戻したとき、ラヴィニアは大切な約束も思い出していたのだ。
「探している竜がいるの」
「竜だって!?」
「鱗が蒼くて、その鱗と同じ綺麗な蒼い炎を操る竜よ。知ってる?」
「待ってくれ。それはまさか、伝説の蒼竜のことかな?」
「たぶんそう! 知ってるの!?」
「いや……だが、なぜ蒼竜を? 彼は人間にとって災害だと言われる竜の中で唯一危害を加えない竜とはいえ、それはクローディア様がいたからだ。クローディア様が亡くなって五百年……今もそうとは限らないし、そもそもさすがの竜とて生きていない可能性もある」
「まあ、その可能性は確かにあるんだけど……って、ちょっと待って。今なんて?」
「だから、竜とてさすがに生きて――」
「その前!」
「……クローディア様が亡くなって五百年?」
「ごひゃくねん!?」
今が夜中だということも忘れて叫ぶ。
伯爵が大げさな咳払いで窘めてきた。慌てて口を閉ざす。
今度は控えめの声量で確認した。
「本当なの? 五百年って」
「君はクローディア様のことも知らないのに、なぜ蒼竜のことは知っているんだ」
伯爵が呆れたように息を吐く。
本当はクローディアのこともよくよく知っているのだが、曖昧に笑って誤魔化した。
「クローディア様は人類の危機を救った英雄だ。その栄光は後世である今の世にも語り継がれている。もちろん、他の大魔法使いたちのこともね」
「そ、そうなの」
もともとあまり目立ちたいほうではなかったクローディアは、魔物の大群を撃退したあとは再び山奥に引っ込んだ。そのせいで世情に疎かったのだが、それがこんな形であだになるとは。
(これは……余計にわたしがクローディアの転生者だって知られないように気をつけなきゃ)
魔法の復活を目論む闇組織なんてものがあるから、ラヴィニアはもともと自分の正体がクローディアであることを話すつもりはなかった。
それで前世とは違う名前を今世の自分に付けたのだが、どうやら正解だったらしい。
ラヴィニアという名は、前世で自分が偽名を使うときに使っていた名前だった。
「まあいいだろう。君の言う孤児を預かることはやぶさかではない。我が領地には孤児を預かる養護院があるからね」
「本当!?」
「娘に振られたとはいえ、君がいなければその娘とも一生会えなかったところだ。そもそも私は人との縁というものを大切にする質でね」
なんなら、と伯爵は意気揚々と続けて。
「彼らに教養も与えよう。将来立派な大人になり、仕事にもつきやすいように」
「見た目どおりの紳士ね、伯爵。ありがとう」
伯爵の大盤振る舞いに感激して拍手を送ると、そうだろう、と彼が満足げに頷いた。
「ただね、そこまでするには対外的な大義名分というものが必要になってくる」
「大義名分?」
「先ほどの事件に関しては公にできない理由があるから、代わりの理由付けが必要なのだ」
「そういうものなの?」
「そういうものだ。貴族社会は複雑なんだよ。そこでどうかね、ラヴィニアが私の依頼をこなし、その報酬として子どもたちを預かるというのは」
「依頼ってことは、つまり仕事ね?」
「ああ、とても簡単な仕事だ。私の娘の護衛だよ」
ラヴィニアは考えた。
本当は早くゼドを探しにいきたかったが、一回くらいの護衛ならまあそれほどタイムロスにもならないだろう。
「わたしでいいのね?」
「いいとも。私はこれでも王家の覚えもめでたい魔術師なんだがね、君に勝てるイメージが全く沸かないのだよ。不思議なことにね」
探るような目で見つめてくる伯爵だが、ラヴィニアはにっこりと笑うだけにとどめた。
「まあ血縁でもない子どもたちの救済を求めてきた君だ。悪い人間でもない」
「わかったわ。その条件で大丈夫よ」
「ではさっそく契約書を交わそう」
伯爵の言う『契約』というのは、魔術を用いた魔術契約のことだった。
魔力の込められた紙には、互いの目的と、もし契約を反故にした場合の罰が記載されている。
要は護衛の仕事さえやれば罰だってないんでしょ、と思ったラヴィニアは、流し読みして署名を書き込んだ。
伯爵も署名を終えると、紙が淡く光る。
「これで契約完了だ。――では四年間、娘をよろしく頼むよ」
「……え?」
成立した契約書を伯爵の手から奪い取った。
今度はそこに書かれた文字を一言一句見逃さないように目を皿にして読むと、確かにしっかりと契約期間と『四年』の理由が書かれていた。
――ラヴィニアは、ドゥール伯爵の娘エメリーヌ・ラ・ドゥールが魔術学園に在学中、その身を守る護衛の任に就くこと。
「伯爵! これ……これなに!?」
「君は子どもにしては大人びているように見えるが、あまり交渉には向いていないね。契約書はしっかり読み込まないと」
「うっ」
そのとき、脳内でかつての相棒ゼドに怒られた記憶が蘇った。
『おまえは外面をつくることはできるくせに、油断するとすぐこれだ。他の人間に利用されぬよう、一人で町には下りるな』
ラヴィニアには前世の記憶があるぶん年相応に見えないところはあるが、だからといって人生経験が豊富というわけではない。
悪意ある人間に騙されそうになったとき、助けてくれたのはいつもゼドだった。
「大人って汚いのね……」
「人聞きの悪いことを言わないでくれたまえ。私は嘘など一切吐いていない」
「そうだけどぉ」
「それに、これは君にとっても都合がいいはずだ」
伯爵曰く、魔術学園は大陸の中央にある魔術都市にあり、そこはかつてクローディアと蒼竜が生きていたラムズの跡地だという。
伯爵の言葉が真実であることは、クローディアの記憶を持つラヴィニアには疑いようがない。
(そうか、ラムズは今、魔術都市になってるのね)
五百年も経てば国も人も大きく変わる。かつてのラムズは滅亡し、新たな形で生まれ変わったようだった。
その魔術都市はどの国にも属さない中立の立場にあるらしく、許可された者しか入国できないようになっているらしい。
「つまり、私は娘を安心して見送ることができ、君は蒼竜のいる可能性が高い魔術都市に入国できる――互いに利益のある契約だろう?」
「……確かにそうね?」
「私が言うのもなんだが、君はもう少し人を疑ってもいいと思うぞ」
「えっ、また何か騙してるの?」
「だから一度も嘘は吐いていない。『また』なんて言わないでくれたまえ」
ものは言いようねと、伯爵に非難の目を向ける。
「そんなに娘が心配?」
「当然だろう! 亡くなった妻に似てとても美人でね。娘の美貌を狙った誘拐があるかもしれない。それに、悪い男が近寄らないかとヒヤヒヤもしている。ああ、そうだ。ひと月に一回、定期報告の手紙を送ってくれたまえ。そこに娘に近づく不埒な男がいたら名前を書くように」
澄ました顔をしているが、言っていることはただの親馬鹿だ。
ラヴィニアは思わず吹き出してしまった。前世の両親を思い出して。
伯爵は、前世の両親に似ている。
「わかったわ。あなたの大切な子、しっかりと守らせていただくわ」
そうしてラヴィニアは、ドゥール伯爵の愛娘エメリーヌを護衛するため、魔術学園への入学が決まったのだった。