第15話 転生大魔法使いは知らない間にマーキングされていた
自力で周りを認めさせてやると決めてから、ラヴィニアは休日以外、朝も放課後も魔術の勉強に明け暮れた。
ラヴィニアには魔法があるので、魔術師が憧れるというその能力を使えばもしかすると周囲の目を一発で変えることはできるかもしれない。
ただ、それでは何かが違うような気がするのだ。
魔術には魔術で勝負したい――端的に言って、ラヴィニアは負けず嫌いだった。
(ま、まあ? 魔法を見せると後々面倒だし、やっぱり魔術で負かすのが一番なのよ。うんうん)
ラヴィニアは負けず嫌いだが、なんとなくそんな自分を認めたくなくて、決して負けず嫌いの片鱗は見せない。
けれどその負けん気のおかげか、少しずつ魔術で扱うリーン文字を理解できるようになってきた。
この文字を理解しないと魔術を使えないので、これが全く修得できなかったらどうしようという不安はあったけれど、自分の可能性に賭けてよかったと安堵する。
今日も放課後には図書館に来て、リーン文字の勉強をしつつ、次の段階に進むべく簡単な魔術式を読み解いている。
(……ん? え? ここ、何がどうしてこうなった?)
週に二回はエメリーヌと一緒に勉強しているので、わからないことがあったら隣で課題をこなしている彼女に訊いているのだが、今日は部活でいない。
後に回して次の問題を解こうとしたのに、こちらもつまずいてしまった。
わからないことが連続すると心情的に大変気持ちが悪い。
どうして魔術はこんなに複雑なの、とここが図書館でなければ唸り声を上げていたことだろう。
そのとき、ふと視界の端にアシュレイが映る。
彼もよく図書館で一人勉強している姿を見る。
成績はエメリーヌに次いで優秀なのに、彼は努力を怠らない。そんな彼の姿をエメリーヌに話すと、彼女も「負けてられないわね」と部活から帰ってきたあとに遅くまで勉強しているのだから、二人はいいライバル関係だなとラヴィニアは密かに微笑ましく思っている。
初日はおんぶに抱っこで彼に頼ろうとして断られたけれど、ちょっと質問するだけなら許してくれないかなと、テキストを持ってそろりと近づいた。
「ア~シュ~レ~」
「っ誰だ気持ち悪い声を出すのは……ってまた君か!」
アシュレイが小声で応える。
「ごめんね勉強中に。ちょぉ~っと訊きたいことが」
「だから私は教えないと……」
「一個だけ! 本当に一個だけだから!」
半ば強引にアシュレイの前にテキストを広げると、条件反射なのかなんなのか、彼がテキストに目を走らせた。
それをチャンスと見て、ラヴィニアは早口で続ける。
「あのね、この魔術式なんだけど、これって何を指してるかわかる? 基本集を参考に解いてたんだけど、ここは『掛け合わせる』のかと思ったら、次も掛け合わせてて、これ発動させたら爆発するんじゃない?って術式になっちゃったの」
「……これは『リドリーの法則』だな」
「りどりーの……ごめん初耳の法則」
「当たり前だ。これは一期生の後半で習うものだぞ。君は自分に合った参考書すら選べないのか」
「……えへへ。でもすごいわ。まだ習ってない法則なのにアシュレイは読み解けるのね」
「褒めても誤魔化されないぞ」
はあ、とため息をついた彼が、おもむろに席を立った。
どうしたのだろうと不思議に思って目で追っていたら、彼が顎をくいっと動かして言外に「ついてこい」と合図してくる。
「君にはこのあたりが合っている。そうだな、まずはこの参考書をほぼ暗記できるくらい読み込んで、そのあとこっちの問題集を解くんだ」
「え……」
「なんだ、嫌なのか? だったら私は知らない――」
「違う違うっ。そうじゃなくて、前は即断ったのに、今日は教えてくれるんだと思って」
すると、アシュレイが気まずそうに視線を横へ逃がした。
「すぐ他人に頼る奴は嫌いだ。でも、テキストの書き込みを見た。自分で努力する奴は、まあ、嫌いじゃないからな」
「! アシュレイ! ありがとう、ありがとう! アシュレイって実は――」
「うるさい! 静かにしろ!」
飛び跳ねる勢いでお礼を言ったら、すごい速さで彼の手に口元を塞がれた。
本棚とアシュレイに挟まれる。意外と背が高いんだなと、また司書に怒られないかと焦燥を滲ませながら周囲を窺っている彼を眺めながら思う。
「――これまた随分と、楽しそうなことをしているな? ラヴィニア」
あ、とセルジュの登場になぜか急速に焦りが芽生え始める。
何もやましいことなどないのに、まるで恋人に浮気現場を見られた気分だ。
アシュレイと一緒になって小声で弁明する。
「こ、これはっ、ただうるさいわたしの口をアシュレイが塞いでくれただけでっ」
「そ、そうです! 別にやましいことなど何も……! そもそも私はもっと博識で落ち着きのあるレディが好みでしてっ」
「そうよね! 博識で落ち着きね! エメリーヌみたいな」
「ああそうそう……って違う! 何を言わせるんだ!」
「随分と、息も合っているようだな?」
「「…………」」
セルジュは小首を傾げただけなのに、恐ろしいほどの威圧感が肌を突き刺してくる。
これはもう何も喋らないほうがいいと瞬時に判断し、アシュレイと共によくわからない緊張感で固まった。
「まあいい。ラヴィニアが世話になったようだし、二度と彼女に触れないと約束するなら見逃そう」
アシュレイがほっと息を吐く。
その横で「なんか前世の父さんみたいなこと言ってるわ」とラヴィニアが内心で思ったのは秘密だ。
それに、とセルジュが続けて。
「おまえはハイノが目を掛けているからな。手を出すと面倒だ」
「え、ヘンツェ先輩がですか……?」
「ああ。今年の一期生の中で一番の注目株だと言っていた」
「そ、そうですか……ヘンツェ先輩が」
アシュレイの頬がほんのりと色づく。ハイノがセルジュとよく一緒にいる先輩だと思い当たったラヴィニアは、アシュレイの乙女みたいな反応に目を丸くした。
アシュレイが姿勢を正す。
「ヘンツェ先輩の期待にお応えできるよう、もっと精進します」
「それはハイノ本人に言ってくれ」
「はい!」
「それでラヴィニア、ちょっといいか」
意気揚々と自分の席に戻っていくアシュレイを見送ると、セルジュがラヴィニアに一歩近づいた。
彼のグリーンフローラルの香りが鼻腔をくすぐり、我知らず警戒心が溶けるように消えていく。
「……匂いがついたな」
わずかに顔を寄せたセルジュがそう呟くと、そのまま擦り寄ってこられて彼の黒髪が首元をくすぐった。
途端に懐かしい気分になる。
(これ、ゼドがよくやってた仕草に似てるわ――)
『また変な匂いをつけてきたな、クローディア』
『変な? スサナに会っただけよ?』
『あの変態か。どうりで不愉快な匂いがすると思った』
そう言ってゼドは、まるで己の匂いをクローディアに移すように頭を寄せて、尻尾でクローディアの身体を包んだ。
ゼドに包まれるのは本当に心地好くて、クローディアはよくそのまま眠ることが多かった。
覚えのある仕草に思わず笑みを漏らすと、いつものように頭を撫でる。
「ふふ。心配しなくても大丈夫よ、ゼ……ド」
しかし途中で意識が現実に戻り、記憶の中のゼドは消え、最近よく見るようになった端整で凜々しい顔のセルジュと目が合う。
額から大量の冷や汗が流れ落ちた。
懐かしい木々の香りとゼドがよくやっていた頭を擦り寄せる仕草に、ついセルジュとゼドを重ねてしまったけれど。
(やっちゃったわ……)
慣れとはなんと恐ろしいのだろう。考えるより先に身体が動いてしまって、やってはいけないことをやってしまった感が半端ない。
ラヴィニアはすぐさま両手を上げると、距離を取るように後退した。
「すみません間違えました。今のは忘れてください」
「それは無理な相談だ」
「調子に乗りましたごめんなさい。忘れてください」
「『ゼド』にはよくそうしていたのか?」
「え……まあ、はい」
「竜が己の匂いをつける意味を、知っているか?」
「意味ですか? 知りません」
意味なんてあったのか、と初めて知る事実に関心を持ちながらも、「あれ」と首を傾げる。
ゼドがよく頭を擦り寄せてきたことを、なぜ知っているのだろう。
「覚えておくといい。竜は番いにしか己の匂いを纏わせない。番いと定めた者に、他の男の匂いがつくことを極端に嫌がる」
「へぇ、そうなんですか」
(ん? じゃあゼドのあれってもしかして……いや、でもクローディアは人間だったし、それはないわね)
一人で納得していると、なぜか眉根を寄せて微妙な顔をしたセルジュが視界に入った。
大きなため息をついているのは、自分が何かしてしまったからだろうか。
「ラヴィニア、気をつけろ」
「?」
「西の人間とはしばらく関わるな。今日はそれを言いに来た」
「それってどういう……」
続きを訊ねようとしたが、本を探している他の生徒がやってきて、会話が中断する。
その生徒があまりにも興味深げにセルジュとラヴィニアを盗み見てくる気配を感じとり、先にセルジュのほうが諦めてこの場を立ち去った。
そうして消化不良のまま、ラヴィニアは一人取り残されてしまったのだった。