第13話 転生大魔法使いは無自覚に囲われている
授業が終わった放課後は、生徒たちは各々の思うように過ごす。
部活動に所属している生徒は部活動に。
さっさと寮に帰ってのんびりする生徒もいれば、校舎に留まって友人と語らう生徒もいる。
放課後に人気の場所は、教室棟に点在する三つの談話室だろう。学生同士の交流を促すために整えられたそこは、誰でも自由に出入りが可能だ。
そんな中ラヴィニアは、大陸で一番の魔術関連書の蔵書数を誇ると言われている図書館へやってきた。
図書館はそれ一つだけで独立している施設で、地下から最上の四階まで全てが本で埋め尽くされている。
窓からは中庭が見渡せて、ベンチでくつろぐ男子生徒たちが見えた。
エメリーヌは天文学部に入っているため、彼女から魔術を教えてもらえるのは彼女の部活動がない月曜日と木曜日の週二日だ。
そのためラヴィニアは今、一人で図書館の三階にいた。三階には魔術の基礎について書かれた本が多いと司書に教えてもらったからだ。
(あれ、アシュレイがいる)
三階では窓に沿うようにして机が配置されており、そこで自習ができる。
ラヴィニアも魔術の基礎が載っていそうな本をいくつか持ち、席にやってきたのだが、少し離れたところにクラスメイトのアシュレイがいた。
聞くところによると彼は入学試験で次席の成績だったらしく、まさか放課後もこうして図書館で勉強しているとは思っていなかったので意外に思う。
(次席が参考にする本……気になる)
いったん本を席に置くと、ラヴィニアは忍び足でアシュレイの背後に近づいた。
彼が参考書を見ながらノートに書き写していたのは、精霊語だった。
よほど授業で答えられなかったのが屈辱だったのだろう。
(あ……)
「そこの動詞は直説法じゃなくて接続法だから、訳は『いかに~であろうとも』になるわ」
「なに? ああ、だからか。なんかおかしいと……――」
刹那、急にアシュレイが振り返ってきた。
「なっ、白髪じゃないか! 勝手に人のノートを覗くなっ」
「それはごめんなさい」
ただ。
「わたし、ラヴィニアって名前――」
「ふん。ちょっと古代言語がわかるだけの落ちこぼれの名前など覚える気はない」
ぎろりと睨まれるが、ラヴィニアは内心で思った。古代言語がわかるって、前は存在を否定してきたのに今はちゃんと認識はしてくれているんだな、と。
それが嬉しくて、ラヴィニアは隣の席に腰を下ろす。
「おいっ、なに勝手に座ってるんだ。勉強の邪魔を――」
「んんっ、オッホン」
そのとき、カウンターに座っていた司書がわざとらしく咳払いをした。
声が大きかったのだと気づき、ラヴィニアは自分の口元を手で押さえる。アシュレイも気まずそうに眉間にしわを寄せた。
「君のせいで怒られただろうっ。あっちへ行ってくれ」
彼が小声で追い払ってくるが、ラヴィニアは構わず話しかける。
「ねえアシュレイ、わたしと教え合いっこしない?」
「はあ?」
「わたし、精霊語なら得意だから教えられるわ。代わりに魔術基礎学を教えてほしいんだけど、どう?」
「断る」
即答だった。交渉の余地も見せてくれない一刀両断だ。
「最初から人に頼るような軟弱者に誰が教えてもらうか。それに、私は誰かの手助けなど必要ない。……そんなものがなくても、私は私の力であいつを越えるんだ」
どこか追い詰められたような横顔に、ラヴィニアはしゅんと項垂れた。
確かにアシュレイの言葉も一理ある。嫌がらせをしてくる同級生を見返したいのに、最初から他力本願なのはいただけないかもしれない。
自分の努力で見返してこそ、相手にも効果抜群だろう。
「そうね。ありがとうアシュレイ、目が覚めたわ」
アシュレイの胡乱げな瞳がこちらを向く。
「わたしもまずは自分で頑張ってみる。アシュレイみたいに」
「……おい。よくわからないが、まさか私に仲間意識なんて持ってないだろうな? 君と一緒にされたくは――」
「じゃあお互い頑張りましょうね!」
「あ、おいっ。人の話を聞け……っ」
背後で彼が何か言っていたが、小声だったので聞き取れなかった。
それに、今のラヴィニアの意識はもう勉強へのやる気に向いていて、どのみちアシュレイの言葉は耳に入らなかっただろう。
先ほど本を置いた席に戻ると、さっそく制服の袖を捲った。
「随分楽しそうだったな」
そのとき耳元で響いたバリトンに、肩が思いきり跳ねる。
なるほど突然背後に人の気配を感じると心臓がひゅっと縮むのかと、ついさっきアシュレイに似たようなことをしてしまった己を反省しながらラヴィニアは後ろを振り返った。
「ナイトレイさんっ」
「だから『セルジュ』でいい」
「さすがに無理です」
「なぜ敬語になっている?」
「それも……同調圧力に負けました……」
セルジュが形のいい眉を片方だけ上げた。
不満そうな視線を向けられても負けたものは負けたのだ。
どうやら学園という場所では『先輩』『後輩』という上下関係が存在し、後輩は先輩を敬うものらしい。
特に特別な生徒であるファーリスたちのことは、上級生でさえ敬語を使う。
そのため彼らの友人でもなんでもないぽっと出のラヴィニアがタメ口を使うと、周囲からの非難の目が凄かった。
一つ二つなら気にしないけれど、あまりに多くてさすがのラヴィニアもそれを無視することはできなさそうだと諦めたのだ。
そう説明すると、セルジュがとても不機嫌そうに舌打ちした。
「なぜ他の者のせいでラヴィニアが我慢をする必要がある。これだから人間は面倒なんだ」
本気で怒っていそうな彼の言葉に、思わずふっと息を漏らす。
だって、ラヴィニアも全く同じことを思ったから。
現世で生きてきた年数よりも長くゼドとふたりで暮らしていたため、ラヴィニアは人間特有のこういう煩わしい不文律からは遠ざかっていた。
久しぶりにその不自由さを実感して、どうしたものかと困っていたところだったので、まさか共感してくれる人がいたことについ笑ってしまった。
「不思議……なんだかナイトレイさんとは、初めて会ったような気がしないです」
隣の椅子を引いて座ったセルジュが、普段はあまり上げない口角を上げる。
「なら、二人きりのときは名前で呼べ。敬語も要らない。それなら誰も文句はないだろう?」
文句も何も、聞いていなければ文句など言えようはずもない。
確かにそれなら面倒なこともないかと、ラヴィニアは頷いた。
「で、ラヴィニアは何をしているんだ? あそこの一期生と楽しそうに話していたようだが」
「魔術の勉強です。いろいろあって、見返したい相手ができたので」
「見返したい相手? 魔術など使えなくても、ラヴィニアには得意なものがあるだろう? それではだめなのか」
心臓がドキッと跳ねる。まるで『魔法』のことを見透かされているような気がして、背中に冷や汗が一滴流れ落ちた。
「だ、だめなんです。『魔術』でないと、意味がないですから」
「へぇ? なら、俺が教えようか?」
「それもだめです。自分の力で頑張るって決めたばかりなので」
「強情だな」
セルジュが喉の奥を鳴らして笑う。
その瞬間、同じように勉強していた他の生徒たちの視線が一斉に突き刺さったのを感じた。
セルジュと話すのはまるで親しい者と話すような心地好さを覚えるけれど、やはり人目が気になる。
「だが、見返したい相手か……」
「え?」
顎に手を当てて呟いたセルジュが、ふいにラヴィニアに視線を合わせてきた。
「おまえは蒼竜を探しているんだろう? なのに、それよりも『見返したい相手』とやらが重要か?」
「まさか! わたしにとって一番は蒼竜です」
そう答えると、なぜかセルジュが満足そうに目を細める。
「休日は捜索に時間をかけたいので、代わりにこうして放課後に勉強することにしたんです」
「その『見返す』というのは、具体的に何をして見返すんだ?」
「……言われてみれば」
とにかくセルジュと話していても文句を言われないくらいの成績を取ろうと思って意気込んでいたけれど、特に誰かに『こうしたら認めてやる』とは言われていない。
「学校の成績って、どうやって決まるんですか? やっぱり試験の結果でしょうか?」
「それもあるが、日頃の課題の出来次第なところもある。ああ、召喚学においては、召喚できた使い魔のレベルによって成績が決まったから、あれは楽だった」
「使い魔……?」
使い魔かぁ、と眉間を揉む。
前世では友だち兼使い魔としてゼドがそばにいてくれたけれど、周囲の認識に反してクローディア自身はあまりゼドを使い魔という括りには入れていなかった。
もはや家族のようでもあったほど、大切な存在だ。
もし今世の自分が召喚するなら、どんな使い魔が応じてくれるだろうかと不安が募る。なにせ満足に魔術を発動することさえできないのだから。
「ちょうどひと月後、一期生は召喚学の授業で使い魔召喚をやらされる。まずはそこを目指してみろ」
「ありがとうございます。そうします」
何事もゴールまでにも小さな目標があったほうがやりやすい。
周りの空気を読んだらしいセルジュが席を立つと、自分の身体でラヴィニアを人の目から隠しながら、やや強めに頭を撫でてきた。
「まあ、おまえが何を召喚しても、すぐに還すことにはなるがな」
最後、去り際に呟かれた彼の言葉は、残念ながらラヴィニアの耳には届かなかった。