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集う声、散る声

遠い月に想いを馳せる者たちは、厳しい荒野の中で何を掴もうとしているのか。

岩山の上で過ごす寒い夜、光裡の体温に救われる少年の胸は、とまどいと微かな安らぎとで揺れ動く。

しかし岩陰に響いた謎の声が、彼をさらに深い闇へと導いていく――そこに横たわる傷だらけの存在は、自身の行く末を重ねるような痛ましい姿だった。

月へ行きたい、帰りたいという切なる願いが、風にかすれて失われていく中で、少年は母を捜す意志を改めて奮い起こす。

誰もが辿りつけるわけではない「帰る場所」を巡り、夜の静寂が彼らの決意を照らし出す。

 岩山の上で一夜を明かすことになった。風車の下は危険なので、少し離れた岩陰に身を寄せて寒さをしのぐ。夜になると、月の光が雲の間を差し込み、風車の姿を幽玄に照らし出した。

 僕は岩に背を預け、ぼんやりとその光景を見つめる。光裡は少し離れた場所で眠り、ケルンは相変わらず起きているのか寝ているのか分からない。


 岩陰で夜を過ごす間、冷たい風が吹き込み、僕は少し身体を震わせる。すると、すでにうとうとしていたはずの光裡が目を開け、近づいてきた。

「寒いわね。よかったら、少し一緒に温まる?」

 そう言うと、彼女は自分の外套の一部を広げて、僕が入れるようにしてくれる。僕は戸惑いつつも、その中に身を寄せた。

 柔らかな温もりが伝わり、僕の心臓が速くなる。顔を上げると、月の光が光裡の瞳を淡く照らし、どこか艶やかに映している。

「……ごめん、ありがとう。あまりに風が冷たくて……」

「いいのよ。私も少し寒かったから」

 そう言いながら、光裡は落ちていた布切れを拾い上げて肩に掛ける。微妙に肌が触れ合うたびに、胸の内がくすぐったくなる。

 そんな僕たちを、ケルンはちょっとだけ興味深そうに眺めている。

「へえ、仲いいね」

 茶化すような口ぶりに、僕は思わず視線をそらす。光裡も小さく息を吐いて、再び目を閉じた。

 暗く寒い岩陰でも、彼女の体温を感じるだけで、不思議と安心できる。僕は胸の高鳴りを覚えながら、そのまま少しだけまどろむように目を閉じた。


 不意に、か細い声が聞こえた気がして振り向く。誰もいないはずなのに、まるで人の囁きが耳元をかすめるようだった。

「……母さん?」

 心臓が高鳴る。この荒野で、母が現れるはずはないと分かっていながら、それでも僕は辺りを見回す。月光が岩肌を淡く染めるだけで、人影は見当たらない。

 だが、その声は確かにした。今度ははっきりと、風の流れに混じるようにして耳に届く。


「帰る、場所……」


 それは母の声ではなかった。どこか子供のようにも聞こえる、か細い声音。

 思わず立ち上がると、ケルンがこちらを見ていた。まるで「どうした?」と問いかけるような目をしている。

「今、声が……」

 言いかけたとき、その声が再び響いた。


「ぼくも、かえりたい……」


 ぞっとするほど悲しみに満ちた響き。それは月に向けた祈りの反響なのか、それともこの地に残された誰かの思念なのか。僕は吸い寄せられるように、声のほうへ足を進める。

 夜の岩山を歩くうちに、やがて小さな裂け目に行き着く。そこは岩が崩れてできた隙間で、下へと続く暗い穴のようだった。

 声は、その奥から聞こえている。

「危ないよ、下には降りられないだろう」

 ケルンが止めるが、僕はどうしても確かめたかった。

 裂け目を覗くと、ほんのわずかに下へ降りられそうな足場がある。慎重に体を下ろし、暗がりの中を進む。すると、かすかな青白い光が揺れているのが見えた。

 そこには、小さな空洞のようなスペースがあり、壁には岩塩の結晶らしきものがきらきらと光を反射していた。そして、その中央に横たわる人影――いや、存在があった。

 それは人か獣か分からないほど傷だらけで、羽根のようなものを背負っている。白というより灰色に汚れ、折れ曲がっている。呼吸をしているのかさえ曖昧だ。

「……誰?」

 思わず問いかけると、その存在はかすかに目を開ける。光を帯びた瞳が一瞬だけこちらを見据え、そして途切れがちな声を漏らす。

「ぼくは……もう、うごけない……かえれない……」

 背の羽根は見たところただの装飾か、あるいは体の一部なのか分からない。だが、ところどころ糸で縫いつけられた跡があり、血の滲んだ痕もある。

 ――まるで母が僕に縫おうとしていた羽根と、同じようだ。

 僕は息を呑む。何も言えずに立ち尽くしていると、その存在は微かに口元を動かす。

「……つきに……いきたかった……でも、ちからが……たりなかった……」

 その声は途絶えがちで、今にも消えてしまいそうだった。

 僕はどうしていいか分からない。手を差し伸べても、助けられるのかどうかも不明だ。

「……どうして、月に行きたかったの?」

 思わず出た問いかけに、相手は苦しげに眉を寄せる。

「かえりたかったから……ぼくの、ままが……まってると、おもった……」

 まるで自分自身を映し出すかのような言葉。僕は胸が締めつけられる。

 その瞬間、何かが砕けるような音が響き、その存在の背中の羽根の一部が崩れ落ちた。ぱらぱらと粉雪のように散る羽根。

「……まま……」

 か細い声が最後にそう呟き、完全に動かなくなる。命の灯が消えたのだろうか。

 僕は言葉を失い、ただ立ち尽くす。

 ケルンがそっと肩に触れ、低く言う。

「間に合わなかったんだね。彼もまた、月を目指して追放の道を歩いたのかも。だけど、痛みに耐えきれず、ここで力尽きてしまった……」

 この世界には、僕のように母を探し、帰る場所を求めて旅する者が何人もいたのだろう。そして、その多くは力尽きて道半ばで倒れている。

 ――僕は同じ道を辿るのだろうか。

 その不安が身を苛む。けれど、同時に強い意志がわき上がってくる。

「僕は……母さんを見つけるまで、諦めない。こんなところで止まるわけにはいかないんだ」

 そう呟くと、ケルンは目を細めて静かに頷いた。

 散っていった灰色の羽根の破片が、風に乗ってふわりと揺れ、月の光を反射して儚く光っていた。

月を目指しながら倒れていった一人の存在は、いまだ見ぬ母を追う少年に、ある種の宿命を投げかけたかのようです。

この世界の荒野には、同じ想いを抱えながら力尽きた者が幾人もいたのでしょう。

それでも、少年は立ち止まれない。母のため、自分自身のため、そしてその祈りを継ぐために。

岩山の寒気に震えながら、それでも彼の心には熱い決意が燃え始めています。

儚く光る灰色の羽根が風に散る夜、彼の旅はどこへ向かうのか――次なる一歩が、月に届く希望を掴む糸口になるのかもしれません。

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