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乾いた川辺の秘密

干上がった川と崩れ落ちた礼拝堂――かつては人であふれていたはずの場所が、今は冷たい風と荒れ果てた影だけを残している。

母が求めた“翼”の秘密を追う少年と、その行く先で出会う光裡とケルン。

廃墟の中で刻まれていたのは、月を仰ぎ、失われし何かを讃える祈りの痕跡。

血と涙がにじむほどの愛情を抱えたまま、母は何を捧げ、どこへ消えてしまったのか――。

目の前に広がる乾ききった大地と、胸を満たす問いかけを携えて、彼らの旅は嵐の予兆とともに深みへと進んでいく。

 石造りの廃墟を後にして、僕たちはさらに奥へと足を進めた。日差しが強く、地面からの照り返しが熱い。

 遠くに、水の流れの跡のようなものが見えた。近づいてみると、それは干上がった川だった。堤防のような痕跡があり、かつてはきっと大河が流れていたのだろう。今は岩と砂ばかりがむき出しで、ところどころに水たまりの痕が残っている。

「ここには昔、人がたくさん住んでたのかな……」

 僕がつぶやくと、光裡は小さく頷く。

「ええ、そうね。水が枯れてしまったから、誰もいなくなったのかもしれないわ」

 廃墟の町のような残骸が、川沿いに点々と見える。倒れた家屋の木材や、砕けた石壁が積み上がり、そこかしこに影を落としていた。

 しばらく歩くと、目立つ建物があった。屋根が半分壊れているが、壁だけはしっかりした作りで、何かの施設だったのだろうか。扉も外れている。

 ケルンが先に入り、僕と光裡が続く。中は薄暗く、かすかな湿り気の匂いがする。壁には奇妙な文字らしき彫刻があり、それが幾何学模様のように連なっている。

「ここは……礼拝堂かもしれない」

 光裡が壁を見ながら呟く。……


 建物の奥へ進む途中で、床が崩れかけた部分に僕の足がはまり、バランスを崩してしまう。思わず「うわっ」と声を上げた瞬間、光裡が手を伸ばして引き上げてくれた。

「だ、大丈夫? 少し危なかったわよ」

 彼女に抱えられるような格好になり、僕は慌てて起き上がる。しかし、光裡の胸もとに顔がぶつかってしまい、ふわりと柔らかい感触が伝わってきた。

「あ、ご、ごめん……!」

 僕が真っ赤になって離れると、光裡も少しだけ頬を染めて目をそらす。

「気にしないで。こういう危ない場所は慎重に歩かないとね」

 しかし、倒れかけていた僕のせいで、光裡のマントの胸元が少し乱れ、鎖骨あたりまでちらりと見えている。気まずい静寂が走り、少しだけ鼓動が早くなる。

 そんな僕たちの様子を、ケルンは不思議そうに眺めている。

「落ちなかっただけ、よかったじゃないか。あはは」

 ケルンの笑いが少し茶化しているようにも聞こえて、僕は恥ずかしくて俯いてしまった。

 わずかだが、そんな緊張を和らげる空気が流れ、僕たちは再び礼拝堂の奥へと向かう。


 ――やがて奥の祭壇へと辿り着く。そこには白い石でできた像が横たわっている。……

「これ、女神像……?」

 僕は恐る恐る近づく。像は長い衣をまとい、胸のあたりには鳥の羽根が刻まれている。顔の部分は損壊していて見えないが、肩から背中にかけて翼のような彫刻が施されているようだ。

「神話では、月を司る女神が白い羽根を持っていたとされることがあるわ。もしかしたら、この地にも似た伝承があったのかも」

 光裡が指で彫刻のラインをなぞる。その様子はどこか神秘的だ。

 ケルンがぴょんと舞台の上に跳び乗り、像の周囲をぐるりと歩く。すると、像の裏側に小さな銘板のようなものがはめ込まれているのを見つけた。

 僕たちがそれを覗き込むと、かすれた文字が読める部分があった。


“我らは祈る 失われし母の翼を

その血と涙を讃えん さすれば月は開かれる”


 母の翼。僕は息を呑む。

「翼を捧げることが、月への道を開く鍵……なのかな」

 つぶやくと、光裡は押し黙ったまま、銘板に触れる。その胸中にどんな想いがあるのか、表情からは読み取れない。

 だが、ケルンは相変わらず飄々とした声で言う。

「母の翼を失う……そういう伝承があるのかもしれないね。君の母さんは、まさか自分の“翼”を捧げたわけじゃないだろうけど、何か身体の一部を差し出したのかも?」

 その言葉に、夢で見た母の血がにじむ羽根が蘇る。もしあれが、母自身の翼――比喩的なものだとしても――を縫い込んでいたのだとしたら。

 頭の中が混乱する。だが、不思議と嫌悪よりも、母の深い愛情や痛みを想像して胸が締めつけられる。僕のために、母は何を捨てたのだろう。

「ここにはもう誰もいないけれど、祈りの名残が感じられるわね……」

 光裡が息を吐く。天井から一筋の光が降り注ぎ、女神像の表面を白く照らしている。

 同時に、遠くから低い風の音が聞こえた。僕たちは顔を見合わせ、礼拝堂を出る。すると、先ほどまで穏やかだった空が、急に暗雲に覆われはじめている。

「……雨が降るのかしら」

 光裡が険しい表情を浮かべる。雨なら歓迎すべきだろうが、この世界の天候は激しく荒れることもあるらしい。雷鳴が鳴り渡るような嵐に変貌する危険もある。

 案の定、ゴロゴロと遠くで雷の音がした。川底のあたりに風が吹きすさび、砂煙が舞い上がる。

「急いで避難しよう。ここにいて屋根が落ちるかもしれないから、ほかの場所を探す方がいい」

 光裡がそう判断し、僕らは礼拝堂を後にする。外へ出ると、ひときわ強い風が吹きつけ、砂を巻き上げた。視界が悪い。

 仕方なく、隣接している建物の瓦礫に隠れてやり過ごすことにした。屋根の破片や壁材を寄せ集め、臨時の雨宿りのような空間を作る。

 光裡が手早く布を広げて、入り口をふさぐ。ケルンは相変わらずあまり手伝う様子もないが、その大きな耳のような角のような部分で周囲の音を探っているらしい。

 やがて、ポツリポツリと大粒の雨が落ちてくる。荒涼とした空を裂くように、雷光が走った。

 僕たちは狭い隙間に身を寄せ合い、雨と風と雷鳴をじっとやり過ごす。自然の猛威の中で、僕の心は奇妙な静けさに包まれていた。

「母さんは、こんな荒れた世界の中で、何を思ってたんだろう」

 雷鳴にかき消されそうな声で呟く。誰も答えない。けれど、その沈黙がかえって僕の胸に問いを投げかける。

 母は確かに祈っていた。僕のためなのか、自分のためなのか、あるいはこの世界のためかもしれない。

 乾いた川、廃墟の礼拝堂、女神の翼。そして、月への道――。

 すべてが断片的につながり、何か大きな物語を描いている気がする。僕はそれを解き明かすために、この旅を続ける必要があるのだろう。

 雨の音が次第に大きくなる。雷光が激しく走るたびに、光裡の瞳が一瞬だけ月のように冷たく光るのを見た気がした。

礼拝堂で女神の像と向き合い、嵐の中に隠れるように身を寄せ合う少年たち。

そこには単なる探検や幻想とは違う、もっと切実な“祈り”と“犠牲”の気配が漂っていました。

雷鳴に揺れる光裡の瞳が、まるで月の真意を映しているかのように冷たく光る。その姿に、少年は母が辿った道を重ね、胸を締めつけられる思いをするのです。

しかし、問いを解くためには、さらに先へ踏み出さなければならない――。

雨が上がれば、また新たな風景が彼らを迎えることでしょう。次なる一歩が、母の痛みと祈りの真相を少しずつ照らし出していくのかもしれません。

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