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羽を縫う母の祈り

月の光が照らす荒れた大地で、少年は母を探し続ける。彼の心には、母が最後に残した言葉と、亡き母が織りなす祈りの痛みが深く刻まれている。

風車の下、少しずつ明らかになる母の真実と、月を目指すために必要だった犠牲とは一体何だったのか? そして、その果てに待つのは解放か、それとも破滅か。

光裡とケルン、そして少年が紡ぐ冒険の始まりが、今ここに描かれようとしている。

 眠りの中で、母の姿を見た。暗い小部屋の片隅で、針と糸を持ち、何かの羽根を丁寧に縫い合わせている。

「もう少し、もう少し……」

 母はそう呟く。月光なのか灯火なのか分からない光が、母の横顔を浮かび上がらせる。その頬は血の気がなく、白い肌に血管が浮き上がるほど青白かった。

 縫われているのは、真っ白な鳥の羽根。そして、その羽根はやがて僕の背に取り付けられるようになっていた。

 ――ズキリ。

 痛みが走る。だが、母は微笑んでいる。愛しそうに、必死に糸を引く。羽根と背中が一体になるたびに、僕は叫びたい衝動に駆られるが、不思議なことに声は出ない。

 ガタリ、と何かが動く音。ふと振り返ると、黒い影がそこにいた。ケルンだろうか。それとも、僕の背後から翼を引き千切ろうとする亡霊のようでもある。

「母さん……」

 呼びかけようとする声が、どうしてか風の音に掻き消される。

 眼前の母は、それでも縫い続ける。痛ましいほどに。血が垂れている。針が母の指を刺し、鮮血が糸に混じり、羽根を赤く染める。けれど、母は動じない。どこか狂気じみた優しさをもって、僕を抱きしめる。

「――大丈夫。あなただけは、行けるわ」

 その言葉に応えることはできない。羽根と血、そして母の祈りがぐるぐると視界を染め、世界が大きく傾いた――。


 目を覚ますと、僕は風車のそばに敷いた寝袋の上で震えていた。夜は明け始め、薄い朝焼けが空を照らしている。まだ身体に夢の残滓がこびりついているような、不気味な感覚。

 少し離れたところで、光裡が目を閉じているのが見えた。その肩越しには、ケルンの黒い姿がうっすらと映えている。彼女たちはまだ眠りの底にいるのか、それとも起きていながら黙っているのか。

 僕は母の姿を探す。けれど、もちろんそこにはいない。いなくなって、どれくらい経つのだろう。

 あの夢に見た羽根――かすかに背中に痛みが残るような気がした。思わずシャツをまくって確認するが、そこには何の痕跡もない。ただ、胸の奥がじんじんと疼くようだ。

 記憶の中の母は、もっと柔らかい微笑みをたたえていたはずだ。けれど、いつからか母は悲しげな瞳で僕を見つめ、そしてある日突然、夜明け前の空に向かって手を伸ばし、そのまま消えた。

「……母さんは、月に行ったの?」

 自問してみるが、答えは出ない。ケルンが“母は月を見ていたよ”と言ったのを思い出す。その真意は分からない。ただ、その光景に何か大きな意味があるのは確かだ。

 立ち上がり、風車を見上げる。朝焼けの空に溶け込むように、風車の羽根が赤く染まっている。暗闇に包まれていたときとは別の表情だ。

 すると背後から、光裡の声が聞こえた。

「月は、昨夜のうちにどこかへ潜ったみたいね」

 彼女は薄目を開けて、僕に話しかける。瞼にはまだ疲労の色が混じっていた。

「君、何か悪い夢でも見た?」

 どうして分かるのか。僕は言葉に詰まるが、光裡は少し笑った。

「そういう顔をしているから。眠りの中で母に呼ばれたのかもしれないわね」

 なんとも言えずにいると、ケルンがぽんと僕の肩を叩く。

「母に逢いたいと思うかい? もしそうなら、ひとつ秘密を教えてあげる」

「秘密……?」

 ケルンは風車の裏手を指さす。そこには古びた石碑のようなものが隠れるように建っている。時間と風に浸食され、文字はほとんど消えかけているが、かろうじて“月”の文字だけが読み取れた。

「これはたぶん、月に祈りを捧げるための場所だったんじゃないかな。祈りが強いほど、月へ通じる道が開くかもしれない。君の母はここで祈りを捧げていたのかもしれないね」

 ぞわり、と背筋が震える。あの夢の中で、母が僕の背に羽根を縫いつけようとしていた。それは月へ飛び立つためのものだったのか。

 光裡もその石碑に手を触れ、目を細める。

「古い伝承では、月は魂の故郷ともされているの。それを信じる人たちにとって、月へ行くことは死や再生を意味したりする。あるいは真の帰還、解放……いろいろな解釈があるわ」

 僕にはまだ難しい。けれど、母がそこを目指していたのなら、何かを犠牲にしてでも行かなくてはならなかったのかもしれない。

「行きたいかい? 母がいるかもしれない場所へ」

 ケルンの問いに、僕はうなずくかどうか、迷う。

 もしそこへ行けば、母がいるのかもしれない。けれど、恐ろしさもある。僕の背中には羽根などない。空を飛ぶ術を持たないまま、ただ祈るだけで月へ行けるとも思えない。

「……行きたい。でも、どうすればいいのか分からない」

 正直に言葉を口にする。すると光裡が僕の手をそっと握った。

「だったら、一緒に探しましょう。私も“帰る場所”を見つけたい。たとえそれが痛みを伴うものであっても、きっと意味があるはず」

 その瞳は相変わらず鋭い光を宿しているが、どこか温かさも感じる。

「よし、決まりだね」

 ケルンが口笛を吹くように小さく笑う。

「すぐに飛べなくても、祈ることはできる。風車や月、いろいろなモチーフが君たちを導くんじゃないかな。さあ、旅立つとしようか」

 風車が朝日を受けて赤く染まる。光裡とケルン、そして僕。三人(?)の小さな旅が、こうして始まろうとしていた。

 僕の背中にはまだ夢の痛みが残るような気がする。針と糸の感触。母の震える指先。そして、赤く染まる白い羽根――。

 その痛みは、ひとつの鍵となるのか。

 風車の回転がゆるやかに速度を増すように、僕の心も期待と不安を抱えて高鳴っていた。

物語が進むにつれて、少年の心に宿った痛みが徐々に明かされていきます。母の祈り、羽根の秘密、そして月を目指すという目的が絡み合い、彼の行くべき道が見えてきました。

光裡とケルンが投げかける問いや導きが、少年の心にどんな変化をもたらすのか。月に向かって進むことで彼が得るもの、失うものは何なのか。

まだ答えは遠く、謎が謎を呼びながら物語は続いていきます。

次回も、少年と仲間たちの旅にお付き合いください。

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