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灰色のマントをまとった少女

荒涼たる大地と朽ちかけた風車が物語るのは、行き場を失いながらも帰る場所を求める人々の思い。

少女・光裡の肩に刻まれた風の痕跡と、奇妙な存在・ケルンが問いかける宿命の在り処。

そして、母を捜しつづける少年の心に宿るのは、微かな願いか、それとも拭えない不安か――。

月を見上げる背中と、風車が軋む音が、今宵再び交差する。

乾いた夜の中、火の粉に照らし出されるのは、人の痛みと祈りの形なのかもしれない。

 光裡は、砂漠のように荒涼とした大地を幾度も越えてきたのだと噂されている。実際、彼女のマントには無数のほころびと、風に削られた跡があった。

 「ただいま」

 その声には確かに、帰属を求める響きがあった。僕は何も言えず、ただその姿を目で追う。光裡が風車の下に佇むと、黒い衣をまとったケルンが彼女に近づく。

「戻ってきたんだね。どうだった?」

「……同じ景色。でも少し違う風。帰る場所はここでいいの?」

 光裡はケルンに向かって呟く。ケルンは笑いもせず、「さあね」と言いたげに首をかしげるだけだった。

 この世界には明確な村も町も、はっきりとした“国”さえ見当たらない。ただ荒野と、所々に風車や朽ちた建物があるばかり。けれど、どこかに人々が暮らしているはずで、僕や母もそんな場所から追われるようにして、ここに流れ着いた――そう母は言っていた。

 「君、また伸びたわね」

 風車を見上げていた光裡が、ふと振り返って僕に声をかける。彼女は僕を“少年”と呼ぶこともあるが、時々こうして何気ない変化を指摘してくる。

「僕、そんなに変わったかな……」

「少しずつ。けれど、その少しが大事なんだと思う」

 彼女の瞳は、母さんが時折見せる憂いの色に似ていた。けれど光裡のほうが、より冷徹で、厳しい光を宿している気がする。

 「母さんが、言ってたんだ。光裡は特別な存在だって」

 ぽつりと呟くと、光裡は困ったように笑みをこぼす。

「お母様とは、まだ言葉を交わしたのは数回だけ。それでも、すごく懐かしい気がしたわ。――あの人は“月”を見ていたの?」

「そう、いつも月を見てた。まるで何かを探すみたいに……」

 僕がそう答えると、光裡は少しだけ寂しそうな表情になった。

「なら、私もいつか見上げるでしょうね。月といえば、帰るべき場所を照らすとも聞くもの」

 その意味するところが何なのか、はっきりとは分からない。ただ、帰る場所――光裡にとっての“ふるさと”は、ここではないのかもしれないと思う。


 ――夜、風車の下で小さな焚き火を囲む。僕と光裡、そしてケルン。

「宿命から追放された者こそ、この世界では生き残れるって言い伝えがあるんだ」

 ケルンがぼそりと呟く。僕はその言葉にぎょっとする。

「追放……?」

「人々はみな、何かしらの宿命を与えられているのかもしれないけど、その宿命を外れた者は行き場を失う。けれど、宿命の枠に縛られなくなるともいえる。君たちはどう思う?」

 僕はすぐに答えられない。宿命――僕はそんなもの、ほとんど考えたことがない。ただ、ここで母と暮らし、時おり光裡が帰ってきて、ケルンが奇妙な問いを投げかけてくるだけの世界。

 光裡が、少し乾いた声で言う。

「人は痛みと共に生きている。けれど、その痛みが私を進ませるなら、私は受け入れるわ。宿命でも追放でも、どちらでも構わない」

 その言葉に、火の粉がちらちらと舞い上がる。闇夜の中、僕はふと母の背中を思い出した。小さな羽根を縫いつけた布――あれは僕を守るためのものだったのか、それとも母自身が纏うためのものだったのか。

 「母さんは、何かを犠牲にしている気がしてならないんだ」

 呟いた瞬間、光裡とケルンの視線が重なり合うのを感じた。


 ふと、火の粉が風に煽られて光裡のマントに飛んだ。慌てて僕とケルンが払い落とすと、マントの裾が少し焦げてしまった。

「……あら、やられちゃったわね」

 光裡は苦笑しながらマントを脱ぎ、焚き火の光の中で羽織を大きく広げる。すると、下に着ていた薄手の装束があらわになり、肩口から鎖骨にかけてのラインが少しだけ見えている。

 夜の冷気が肌に刺さるのか、光裡は腕をさすりながら微かに身震いした。意外に女性らしい柔らかいラインが目に入り、僕は直視していいのか迷ってしまう。

「ちょ、ちょっと寒そうだよ……大丈夫?」

「平気よ。これくらい……」

 そう言いながらも、光裡は火に手をかざして暖を取っている。焚き火の赤い光が彼女のうなじを照らし、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 それを見たケルンがひょいと布の切れ端を差し出し、簡易的に補修してくれる。

「まあ、焦げただけで済んでよかったじゃないか」

 光裡は少しだけ微笑んで、「ありがとう」と礼を言う。思わぬアクシデントで露わになった彼女の素肌はすぐに見えなくなったけれど、夜の静寂に紛れて、僕の胸は少し高鳴っていた。


 ――それでも、話題はすぐに母さんのことへ戻る。

「犠牲……たとえば?」

「分からない。でも、何か大切なものを捨ててまで、僕を守ろうとしてくれたような気がする。母さんは今……どこにいるんだろう」

 闇を切り裂くようにして、風車が軋む。月が雲に隠れたその一瞬、光裡の瞳がかすかに揺れ動いた。

「月へと伸びる道があるとすれば、それはきっと誰かの祈りが形になったものかもしれないわ。貴方のお母様は、その祈りを捧げ続けていたのでしょう?」

「……ああ」

 それだけ言うと、急に疲れが押し寄せる。焚き火の暖かさが気持ちよく、意識が遠のきそうになる。ケルンの低い声が、耳元で囁く。

「君は、どこに帰りたいと思っている? 光裡は何度もここを出て、そしてまた戻ってきている。それは帰る場所を探しているからかな?」

 応えようとしたけれど、唇はうまく動かない。ただ僕は、その問いに向き合えない自分自身の弱さを、痛烈に感じていた。

 やがて風車が、ざあっと風に煽られる。夜の空気が急に冷たくなり、光裡の長い髪が揺れ動いた。意識が朧になる中、母の面影を追うように、僕は闇の隙間を見つめ続けた。

 ――母さん、僕はいつになったら、あなたが見ている場所へ辿り着けるのだろう?

光裡が羽織を脱いだ一瞬に透ける孤独と、ケルンが投げる問いの鋭さ。

荒野に揺れる焚き火と、記憶のどこかで軋む風車の残響――その隙間に、少年の母への想いが滲んでいました。

何を犠牲にしてでも守りたいもの、いつしか遠のいていくもの。

すべては月の光を浴び、風の音に紛れて少しずつ形を変えていきます。

次の夜明けがどんな色を帯びるのか、彼らの物語はなお続くのです。

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