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星々の歌声が導く場所

長かった旅路の果てに、少年はかすかな記憶を頼りに最後の風車が立つ丘へと辿り着く。

それはかつて母が祈りを捧げた場所、そして少年が幼い日々を思い返す象徴でもあった。

月が昇るにつれて浮かび上がる母との記憶は、翼を縫いつける痛みから始まり、彼に何を託していたのかを問いかける。

光裡とケルンが寄り添うなか、風車に差し込む月明かりと幼い歌声が、母と息子の絆を、そして新たな一歩を照らし出していく。

少年が手にしたのは失われた帰る場所ではなく、母の愛が育んだ「どこへでも行ける」未来の可能性だったのかもしれない。

 昼間の激しい日差しが過ぎ去り、再び夜が訪れる。僕たちは荒野を突き抜け、かつて小高い丘だった場所に差しかかっていた。そこには最後の“風車”が立っている。母さんといつも見上げた、あの風車によく似た姿。

 だけど、その風車は回っていなかった。羽根は折れ、台座も壊れている。まるで長い眠りについているようだ。

「ここ……」

 思い返すと、僕が幼い頃に母さんと歩いた記憶がかすかにある。世界から追放されたように逃げ回っていたとき、やがて辿り着いた場所がこの丘だったのかもしれない。

 光裡が小さく息をのむ。

「月が、もうすぐ昇るわ」

 空には薄い雲が広がり、その向こうから銀色の光が漏れ始めている。風車は微動だにしないが、どこかその光を待ち受けているような雰囲気を醸し出す。

 ケルンが風車の基部を指差す。そこには古い木の扉があり、鍵がかかった形跡はない。

「もしかして、中に何かあるかな?」

 僕たちは扉をそっと開ける。すると内部は想像以上に広く、軋む階段が上へ続いている。壁には薄い月明かりが差し込み、埃が舞う。

 一歩ずつ階段を上っていく。木材は腐食しており、踏み抜きそうになる部分もあるので慎重に足を運ぶ。

 最上階に辿り着くと、そこには小さなスペースがあり、壊れかけた窓枠から夜空が見える。月はほぼ完全に姿を現し、丘の上を白々と照らしていた。

「きれい……」

 光裡が思わず漏らす。かすれた光だが、今夜の月はどこか神秘的だ。まるで母さんがそこに手を伸ばしているのが見えるような気がする。

 僕は窓枠に手をかけ、外を見下ろす。丘の下には荒野が広がり、遠くの地平線は夜の闇に溶け込んでいる。

「ここで母さんは、祈りを捧げていたんだろうか……」

 そう考えると、胸が熱くなる。月に届くと信じて。僕のために翼を縫い、痛みを引き受けながらも、ここで手を伸ばしたのだろうか。

 不意に、光裡が僕の背に触れる。

「大丈夫? 泣いているの?」

 涙がこぼれているのに気づくのに少し時間がかかった。僕は涙を拭いながら、口を開く。

「分からない。でも、母さんが本当にここで祈っていた気がして……痛いくらい、母さんの気持ちが伝わってくるんだ。あの少女が言っていたように、痛みなくして何も得られないのかもしれない。でも、僕はその痛みを引き受けたい。母さんが僕に託した祈りを……」

 声が震える。光裡がそっと僕を抱きしめ、「よく頑張ったわね」と囁いてくれる。ケルンは黙って窓の外の月を見上げている。

 すると、風車が軋むような音が遠くから聞こえた。ここにある風車は完全に壊れているのに、確かにあの音が響いてくる。

 ――ギシリ、ギシリ。

 その音は、夜空に向かう階段のきしみのようでもあり、母さんの心臓の鼓動のようにも聞こえる。月明かりが強くなり、僕の視界が眩む。

 気がつくと、風車の内部は白い光で満ちていた。壁の汚れや埃が消え去り、まるで新しい空間に一変している。

 目を凝らすと、そこに一つの人影が立っていた。

「……母さん……?」

 思わず呼びかける。人影は振り返ることなく、月に向かって手を伸ばしている。長い髪が揺れ、その背にうっすらと羽根の輪郭が見えた。

「あなたが望むなら、一緒に行きなさい。月へ……」

 影が囁く。その声は確かに母のものだ。涙がまた溢れる。

「母さん……! 僕は、僕は会いたかった!」

 手を伸ばそうとした瞬間、影は月光に溶けるように消えていく。うわごとのように「ごめんね……」という声が耳に残る。

 僕は崩れ落ちるように膝をつく。母さんに触れられなかった悔しさと、確かに母の声を聞けた安堵が入り混じり、言葉にならない嗚咽を漏らす。

 光裡がそっと肩を支えてくれる。ケルンは小さくつぶやく。

「君の母は、すべてを捧げて月へ行ったのかもしれない。それは犠牲じゃなく、君への愛だった。だからこそ、君は今ここにいる。それが答えになるのかもね」

 月の光が一段と強く差し込み、風車の羽根が一瞬だけ輝くように見えた。だが、その羽根はしだいに淡く溶けるように姿を消していく。

 やがて光が弱まると、そこにはただ壊れた風車と、夜の静寂が戻っていた。夢か幻か、それとも母の残した奇跡か――。

 遠くで、幼い子の歌声のような響きが聞こえた気がする。それはまるで子守唄のように優しく、月夜を揺らす。

「……母さん?」

 誰の声でもない、でも確かに懐かしさを伴う音色だった。光裡もケルンも、その声に気づき、静かに耳を澄ませている。

 歌声はしだいに天空へと昇っていく。まるで一筋の星屑となり、月からこぼれ落ちる光を受けてきらきらと輝く。

 その瞬間、風車の姿がふっと消えた。まるで砂の城が崩れるように、風もなく、ただそこには何も残らない。

 ――風車が、消えた……。

 あまりに突然の出来事に、僕たちは言葉を失う。ただ、夜空には瞬く星々が増え、月はなおも神秘的な光を放ち続けている。

 僕は泣きはらした目で星空を仰ぐ。幼い子の歌声は、星々のささやきとなって夜空を彩っているように感じられた。

「母さん……僕、分かったよ。帰る場所は、もうここにはない。だけど、僕はあなたが築いてくれたものを胸に、どこへでも行ける気がするんだ」

 そう呟くと、不思議と心が軽くなる。喪失感はある。でも、母の愛が僕の中に生きている限り、孤独ではないと思える。

 光裡が静かに手を伸ばし、僕の手を握る。ケルンも微笑んでいるように見えた。

「行こう。月へ行く道がこの先にあるかは分からない。でも、私たちが歩む先がいつか月に繋がるかもしれない」

 そう言って、光裡は微笑む。僕は彼女の言葉に頷き、ケルンも意気揚々と跳ねる。

 たとえ痛みを伴うとしても、僕はもう逃げない。母の祈りを胸に、夜空に散る星の歌声を背負って、僕たちは次の一歩を踏み出す。

 星屑のように輝く幼い歌声が、胸の奥で確かな力となってはじけた。いつかその声が導いてくれるだろう。真の帰還の場所へと――。

突然消えた風車、まるで一瞬だけ甦った母の姿――それは少年の涙と祈りに応えるようでもあり、愛しい幻のようでもありました。

失ったものの大きさに胸を痛めながらも、少年は母の愛を胸に、もう一度歩き出す決意を固めます。

この世界のどこまで行けるのか、どんな痛みがあっても今は怖くない。光裡とケルンの存在が、その決意をさらに力強いものにしてくれるからです。

星々の瞬く夜の下、まだ見ぬ月の道へ向かって、一人ではない旅が再び始まります。

いつか真の帰還の場所を見つけられたとき、その星屑のような歌声は、きっと少年のもとへ優しく降りそそぐことでしょう。

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