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風車が紡ぐ夜

荒れ果てた大地にそびえ立つ風車と、夜を切り裂く月の光。

孤独を抱えた少年が見つめるその光景は、静寂のなかにどこか不穏な気配を漂わせている。

謎めいた少女・光裡、そして謎の存在・ケルン――。

それぞれが抱える過去と“母”の記憶が、風の音に溶け込むように少しずつ浮かび上がる物語の始まり。

風車の軋む音が、彼らの運命をゆっくりと紡ぎはじめる。

 風が吹く。黒夜を引き裂くように、風車の羽根が回っている。

 カタリ、カタリ、と不規則に軋む音を伴い、まるでそこだけが時の止まった劇場であるかのように、景色を凍りつかせている。その風車は、黄ばんだ月光を背にして堂々と立っていた。幼いころから見慣れているはずなのに、今夜はどこかまったく別物に思える。

 ――ここで待っていれば、あの**光裡(ひかり)**はまた帰ってくるのだろうか。

 僕は荒れ地の中央に独り座り、膝を抱え込む。まだ背丈ほどもない草が、夜の冷気を孕んだまま静止している。

 思い返すと、あの子――“光裡”と呼ばれる少女と初めて出会ったのは、僕が十歳になるかならないかの頃だった。砂色の外套をまとい、汗ばんだ肌には幾筋もの傷痕があった。その姿はまるで、どこか遠い土地から流され、帰る場所を失った魂のようで、けれど眼差しは鋭く、孤独と決意を宿していた。

 彼女は言葉少なに「また帰る」とだけ告げると、何度もこの風車の場所へ戻ってきた。それがいつしか僕の小さな日常となった。それでも、僕は彼女の素性をよく知らない。何者なのか、どんな理由でこの地を彷徨うのか。

 ――だけど、母さんはあの子に一目で気づいたみたいだった。

 母が「おかえりなさい」と呟いたとき、光裡は一瞬、戸惑った表情を見せながらも、すぐに目を伏せて微笑んだ。幼い僕には理解できなかった。母さんの言葉は、やがて僕の耳に奇妙な残響を与え続ける。

 ギシリ、ギシリ。

 風車が軋むたびに、いつかは止まってしまうのではないかと不安になる。だけど、その不安はどこか懐かしい郷愁へと変わる。回る羽根の影が、広がる夜の闇を切り刻んでいく。その影の合間から、小さな光が灯った。

「待ってるんだね」

 低い声に振り返ると、そこには奇妙な姿の“ケルン”が佇んでいた。黒い布に包まれた頭に大きな丸い耳――いや、耳か角か分からない突起が二つ。赤銅色の瞳が、月の光を反射している。

「……君、誰?」

 僕が問うと、ケルンは笑うでもなく、首を傾げるでもなく、不気味な沈黙のままこちらをじっと見つめた。

「なぜ待つの? 何を信じているの?」

 問いかけを返されたのは、僕の方だった。何も答えられない僕を見て、ケルンはひょいと跳ねるように宙を舞う。

「ここには、たくさんの“問い”が眠っているみたい。君はそれらを拾う使命があるのかな。それとも捨てていくつもり?」

 意味が分からない。だけど、そのわけのわからなさが、どこかで胸を騒がせる。ケルンは、僕の心を覗き込むように顔を近づけ、穴の開いた布の奥で小さく目を細めた。

「――母は、月を見ていたよ」

 ぽつりと告げられた言葉に、心が乱れる。確かに、母さんはいつも月を見上げていた。まるでそこにある何かを思い出すように。あるいは失くした何かを取り戻そうとするように。

 僕は母を思い出す。暗い部屋の奥に置かれた小さな祭壇と、そこに置かれた白い羽根。母はいつも、その羽根を撫でながら、祈りを捧げるように呟いていた。

「…母さんはどこへ行ったの?」

 気がつくと、ケルンに問い返していた。けれど、帰ってくるのは静寂ばかり。風車の音が、今夜はやけに遠く感じる。夜の闇は深く、月はやや傾き始めている。

「“問い”を続けるのも、やめるのも、君の自由だよ。光裡が帰るまで、君はどうする?」

 ケルンの言葉は、風のざわめきに混じりながら僕の耳にこだまする。僕は固唾をのんで、風車を見つめた。カタリ、カタリと回る羽根は、まるで母が描く円環の祈りを想起させる。

 そのとき、はるか向こうに小さな人影が浮かんだ。風車の板の隙間をすり抜けるようにして、灰色のマントを翻す姿。あれは――。

 僕の胸が、高鳴る。光裡が帰ってきたのだ。

 けれど、その帰還はいつもと少しだけ違う気がした。まるで、彼女の背後に揺らめく影が、月明かりを拒むかのように揺れ、こちらに向かって笑っているかのようだった。

 風車が軋む。僕はそれを見届けながら、母との記憶の糸がまるで風にほどけるように、ひそやかに崩れ落ちていくのを感じていた。

月を見上げる母、そして光裡の帰還をひたすら待ち続ける少年。

静寂と郷愁の交錯するなかで、彼が耳にしたのは“問い”の呼び声でした。

この世界には何が眠っているのか、風車と月は何を見せようとしているのか――。

次回へ続く物語の行方を、どうぞ見届けていただければ幸いです。

ゆっくりと回る風車のように、少年と読者の想いが交わりながら、さらに深い夜の奥へ進んでいくことでしょう。

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