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復讐は貴女のすべて  作者: A.M.
第一章 雪の森林
3/3

1-1.出会い___帝国の昼

 ローデシアは憂鬱だった。先の戦で勝利した帝国では、国中がお祝いムードで賑やかにしていた。ここ、息の詰まる宮殿内も今日ばかりは気の抜けた雰囲気だ。


「ローデシア」


 庭園の茂みに隠れるようにして座っていたところ、ふいに声を掛けられた。護衛騎士のエルデだった。


「僕、探しました。昼食のお時間です」


「うん」


 重たい頭を膝に乗せて、生返事する。


 エルデは鈍い反応をするローデシアの様子を観察して、落ち込んだ。ローデシアの手にはシルバーのペンダントが握られていた。


 凱旋前に宮殿に届いたそれは、多くあるうちのひとつにすぎなかった。ひとつにすぎなかったが、ローデシアにとっては唯一の形見だった。


 迷って、エルデは恐る恐る言った。


「卿の__公爵様の__ご家族が王都にお越しになっていると聞きました。今夜の祝勝会にいらっしゃるという噂です」


 ローデシアは手のひらに力を込めた。


「これは渡せないわ。わたしがアースナルに贈ったのよ」


 シルバーのペンダントには、Arsenalと彫られていた。


 我が国では遺体を回収できないとき、代わりにペンダントを持ち帰ることで彼の死を知らせるのだ。ただし、いかにもといった文言で殉死を称える他ペンダントとは違い、ローデシアが贈ったのは彼女の言葉を刻んだ、心のこもったペンダントだった。さらにこのペンダントには、美しい模様を彫ってあり、小指の爪ほどのブルーダイヤが埋めてあった。


 逃げたいという気持ちがあるなら、逃げなければならないときがあるなら、このブルーダイヤを売ってしまえばお金に困らずどこへでも行ける。そう伝えて手ずからあの首にかけたのだ。


 あくまでもアースナルのためであって、アースナルの遺族を肥やすためじゃない。


「ローデシアが卿に贈ったものだったのですね。一時、すごく高価そうだと話題になっていましたが、どこかで聞きつけたのかもしれませんね」


 エルデは慌ててそう返した。しかしローデシアはむっとしたまま文句を言った。


「あの人たち、アースナルが公爵なのをいいことに、他人に横暴なのよ。わたしたちは公爵の血縁だぞって。公爵の座を狙って、アースナルを殺そうとしていた癖にね」


 散々にアースナルを悩ませた彼らを思い出すと、胃がむかむかしてくる。


「あの人たちに、この心まで踏みにじることはさせないわ」


 ペンダントを贈ったときの、アースナルの表情。声。吐き出した本音、アースナルの心。わたしの気持ち、わたしの心。


 絶対に穢すことは許さない。


「卿の遺体を見た人はいないそうです。敵、味方、入り乱れて戦って、帝国が勝利したあと、卿の姿が見えないことに気付いたそう。ペンダントも、卿のテントに置いてあったと聞きました」


 口下手なりに元気づけようとしてくれるので、ローデシアはその不器用さに微笑んだ。女性が騒ぐ、エルデの眩しい容姿は、ローデシアにとっては見せかけのものにすぎなかった。


「それなら、アースナルは生きてるかもね…」



 心休めに呟いて、そっと目を閉じた。遠くのほうから皇女を探す声が聞こえた。


「祝勝会、行きたくない」


 吐き捨てるように言ってやると、エルデは眉を下げた。気遣うように、ローデシアに日傘を傾けた。


「ローデシア」


 エルデが途端に不安そうにするので、ローデシアはなんとなく笑いかけた。


「冗談です。こんなこと、陛下に聞かれたら折檻どころじゃないわ」


 ローデシアがさっと立ち上がるのと、メイドがローデシアを見つけるのは同時だった。


 ローデシアを見つけて安堵の表情を浮かべたメイドは、低く頭を下げて礼をした。


「どうしたの?」


「皇帝陛下がいらっしゃいました。温室でお待ちです」


 一国の主がわざわざ足を運んだというのに、ローデシアはともかくメイドもエルデも普通の顔をしていた。


 皇帝陛下の急な訪問は、慣れたものだった。


「エルデ、あなたに預けておくわ。引き出しにしまっておいてくれる?」


 割れ物を扱うような手つきでペンダントを受け取ったエルデは、恭しく頭を下げた。


「かしこまりました」


「では、陛下のもとへ行きましょうか」


 ローデシアは気落ちしていることを悟られないように慎重に、メイドの後ろをついていった。


 歩いている間、皇帝陛下がローデシアに与えた皇女宮は、まるで光っているような白さだった。南向きに建っていることもあって、今日のような晴天の下では、壁に混ぜた宝石の屑がきらめいた。


 以前はなんとも思わなかったが、アースナルのいない今ではより明るく輝いているようで鬱陶しく思えた。


 美しい皇女宮。


 美しい庭園。


「到着しました、皇女様」


 美しい温室。


 そっと中へ入っていけば、上の方を仰ぎ見ながら椅子に座っている青年がいた。繊細そうなティーカップに指を絡ませ、上品な様子だった。


 隙を見せず、ガラスのテーブルにはケーキやマカロンが用意されていた。ひとつとして、ローデシアの趣味に外れるものは存在しなかった。


「お疲れのようですね」


 ローデシアが声を掛けると、青年は視線だけ寄越して微笑した。


 キャラメル色のまっすぐな髪。焦茶色の目。特に美しいとか猛々しいとかは思わず、優しそうな雰囲気を持ったこの青年こそ、帝国の君主だった。


 レオポルド_____ローデシアの従甥にあたる。


「おいで、ローデシアの好きなお菓子を用意したんだ」


「ありがとうございます」


 レオポルドは紳士らしく椅子をひいた。ローデシアが座ると、レオポルドは彼女の向かいに座り直した。


「なんだか元気ないね。公爵が亡くなったことを気にしているの?」


「いえ、最近の夢見が悪くて、顔に出ていたのだと思います。もちろん公爵様だけでなく、殉死した者たちを思い出すと心が痛いのですが、帝国のために尽くしてくれたのですから誇らしく思っておりますよ」


 まるで用意したセリフのように述べると、レオポルドは満足そうにくすくす笑った。よかった、正しく返せたようだわ。


 ローデシアが公爵について言うとき、決まってレオポルドは苛烈に嫉妬した。普段はよく笑う分、ローデシアにはレオポルドの冷笑が恐ろしかった。


 静かに紅茶を飲んでいる間、レオポルドは微笑を絶やさずローデシアを見つめていた。表向きには父と娘、兄と妹のような関係を築いていたが、レオポルドの熱は、親子愛、兄妹愛で説明できるようなものではなかった。


 ローデシアは視線を感じながら、一口を含んだ。いつからかレオポルドとの茶会がローデシアの日課となっていた。


 先王と先后が不慮の事故で亡くなり、激化した皇位争いを経て新しい皇帝として立ったのは、辺境伯の息子____先王の兄の2番目の息子レオポルド。

 辺境伯の爵位を継ぐ長男のスペアとして育ったため、帝国中のだれもが、レオポルドがまさか長男を押しのけて玉座に座るとは思わなかった。

 レオポルドは22歳と若かったが、十分に君主の素質があり、十分に血は青い。


 そうして新皇帝に立ったとき、ローデシアは11歳だった。敬愛する父帝と母姫に置いていかれた娘は、治世の邪魔者として天涯孤独であった。しかしどういうわけか、レオポルドはローデシアを虐げるどころか、ローデシアを廃すべきという貴族たちから庇護した。


「今日は良い天気だね」


「すっかり春ですね」


 にこにこしているレオポルドに、ローデシアは笑顔を向けた。傍からみれば、仲の良い兄妹だろう、レオポルドとローデシアを取り巻く噂とは違って。だが、周りがどう噂しようと、ふたりの歪さはひとりとして知ることはない。


 レオポルドといるとき、ローデシアはいつも、いつちぎれるか分からない命綱にぶら下がっている気分だった。


「今度、庭園で屋外パーティーするのも良さそうだね」


「素敵ですね。夏が来る前に、陛下が植えてくださった花の咲き乱れる姿を、みなさんにも知ってほしいわ」


「いいね。そういえば明日は戦勝会だけど、もちろんローデシアは参加するよね?」


「もちろん!陛下が主催されるのですから、緊張しないように一緒に入ってさしあげますよ」


「ローデシアのエスコート役はブロンテ令息だろう?」


 なぜエスコート相手を知っているのかはさて置いて、浮かべた笑顔と裏腹に、ローデシアはぎゅっとカップの取っ手を握った。この手の話題は苦手だった。


「ブロンテ公爵夫人が快癒されたので、クリス様は夫人をエスコートなさると思います」


「だが、婚約者をさしおいて夫人を優先するのは……それに、僕がエスコートしてもいいの?」


 頭のおかしい男め、わたしが婚約者にエスコートされていたら怒るくせに!何を考えているのか読み取れない表情に怯まず、ローデシアは愛らしく唇を尖らせた。


「何を仰っているんですか。陛下が良いんです。わたしでは不満ですか?」


「陛下、か」


 ______とん。


 テーブルの下、レオポルドのつま先が、ローデシアの足をつついた。緊張に濡れた手は、あやうくカップを滑り落とすところだった。


「ごめんなさい。まだ呼び慣れていないんです、レオポルドお兄様」


 ローデシアはにこにこしながら冷や汗をかいていた。声、震えてなかったよね?


「……………」


「レオポルドお兄様、どうかしましたか?」


「いや、愛しい妹をエスコートできることほど嬉しいことはないと思って」


 悪びれもしない穏やかな表情。ローデシアには、レオポルドが何を考えているのかまったく分からなかったが、気分の良し悪しだけは例外だった。レオポルドがわざと気付かせるようにしているかどうか知らないけれど。


「調子の良いことを仰るのですね!」


「本当のことだよ」


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