第57話:決着
「い、いたっ……」
蓮が手首を握る手に力を込めたのか、更紗が小さく苦痛の声を上げる。
割って入ることもできず明日花は、おろおろと蓮を見守ることしかできない。
「更紗!」
その声に、ハッとしたように蓮が振り返った。
タクシーから降りてきた老紳士が更紗に駆け寄る。
続いて下りてきた秘書らしき男性が、呆然と立ち尽くす更紗を押すようにしてタクシーに押し込んだ。
「迷惑をかけてすまない逢坂くん。更紗がとんでもないことを――」
「いいからさっさと連れ帰ってください。今度、僕への連絡は弁護士を通してもらいます」
蓮は黒岩の顔を見もせず、財布から名刺を取り出した。
「……あんなことが二度とないようお守り代わりに持っていたんですが、日の目を見ることになるとは残念です」
「更紗が無礼を働いたようで、本当にすまない」
黒岩が深々と頭を下げる。
「そちらのお嬢さんにももしや――」
更紗の方へと顔を向ける。
「彼女に対する謝罪は僕がします。一刻も早く連れて帰ってください」
蓮の苛立ちが伝わったのか、一礼すると黒岩はタクシーに乗り込んだ。
タクシーが去っていくと、蓮が深々と頭を下げた。
「巻き込んでしまって、本当にすみません!! 僕が情けないばっかりに明日花さんにひどいことを――」
「あ、いえ、私は大丈夫です」
ようやくショックから立ち直った明日花は慌てて言った。
「首の怪我は――」
「すり傷です」
触ってみたが、少しヒリヒリする程度で血が出た様子もない。
「とりあえず帰ってもらえてよかったですね……」
そう言った瞬間、明日花は大きな腕の中にいた。
「ひえっ……」
温かい胸に頬が押しつけられる。
抱きすくめられたのだと一瞬遅れて気づいた。
「震えてる……。本当にすいません……」
カチカチと歯の根が合わない。自分が震えていたことにようやく気づいた。
(私、今、男の人に抱きしめられている……)
さっきはあまりにショックで感覚がなかったが、今ははっきりと蓮の体温や固い体の感触が伝わってくる。
心臓が飛び跳ねて痛いほどだ。
だが、決して嫌ではなかった。
(温かい……毛布に包まれているようだ……)
「もう二度と怖い目に遭わせないですから。約束します」
「はい……」
明日花はおそるおそる蓮の背中に腕を回してみた。
(なんだか、本当の恋人同士みたい……)
蓮の体は思ったいたより厚みがあり、彼が鍛えていることがわかった。
「いつも助けてもらっていたから、私もって思ったんですけど、煽るだけになってしまいました……」
「嬉しかったですよ、守ろうとしてくれたんだってくれて。すごく怖かっただろうに、立ち向かってくれて」
蓮がくしゃっと顔を歪め、泣き笑いのような顔になった。
「俺、こんなに嬉しかったの生まれて初めてかも」
「……っ」
この笑顔を見られただけでも、頑張った甲斐がある。
――勇気を振り絞った人間にしか見られない景色がある。
一番隊が妖魔たちにからくも勝利し、歓喜に沸くクラスメイトたちを見た刃也が言った言葉が蘇る。
(ほんと、そうだね……)
(家に閉じこもっていたら、絶対に経験できなかったことだ……)
「情けないのは俺の方です。ほんとかっこ悪いところを見せてしまって……」
蓮が嘆息する。
「ええっ、全然そんなことないですよ!」
明日花は驚いた。
「まるで鬼女だったじゃないですか! あんなのにつきまとわれるって、ほんとホラーですよ……」
執拗につけまわし、理屈が通じない。
人ではないものに相対するような恐怖を感じた。
「最後はびしっと言ってくれたじゃないですか」
「ああ、あれは……」
「すっごい迫力でしたよ!」
いつもは温厚で穏やかな蓮だけに、その変貌ぶりには目を見張るものがあった。
「あれは――明日花さんを傷つけたのが許せなくて思わず……」
なぜか蓮は顔を赤らめている。
(耀くんを傷つけた敵に対し、魔剣の力を解除した刃也くんみたいだったな……)
(大事な人を傷つけられたとき、クールな刃也くんから熱い刃也くんに変わるんだよねー)
(咆哮する刃也くん、めちゃかっこよかったなー)
(あー、家帰ったら18巻読み直そ!)
自分が耀のように大事に思われているのでは、という考えには至らず、明日花は呑気に思いを馳せていた。
「あ、そうだ。ペンダント!! 駅員さんに頼んできます!」
改札口に向かって走り出す明日花を、蓮が慌てて追いかけた。
「あ、俺もいきます!」
この日、新たな恋が生まれたことに、明日花はまだ気づいていない。




