第49話:好きなものがあるということ
明日花は思い切って口を開いた。
「蓮さん……婚約者がいたの。黒岩更紗さんって人……」
「は?」
「その人に近づかないでって言われて……」
「え? 婚約者に会ったの? いつ?」
「昨日の仕事帰り……ビルから出たら声を掛けられてカフェに……」
言葉にすると違和感があった。
「それ、待ち伏せじゃないの! あんたを見張ってたってこと?」
芙美の言葉に明日花はハッとした。
「そうだよね、タイミングが良すぎるし……。そもそもなんで私が蓮さんの隣人って知ってたんだろう……」
気づいてぞわっと鳥肌が立つ。
昨日は突然のことで頭が回らなかった。
「その人、本当に婚約者? 蓮くんはフリーじゃなかったっけ?」
「……蓮さんからは何も聞いてなくて」
「配偶者や恋人の存在を隠して女遊びをする人もいるけど、蓮くんってそんなことしないんじゃないかな」
「……」
「それで泣いたの?」
「ううん、そのあと――岳人が来て」
「ああ、あのコ」
芙美が心底うんざりした表情になり、明日花は笑いそうになった。
「モラハラ男代表みたいな男になっちゃったねー。昔から自信家で傲慢だったけど、そのまま大人になって残念。ごちゃごちゃ結婚しろだの言ってたけど、さっさとお帰りいただいたわ」
「蓮さんといる時に岳人に絡まれたけど、でも悪いのは私なんだ。嘘をついてたの。甥っ子がいるって。それがバレて、自棄になって……」
口にすると色々見えてきた。
「そっか……ごちゃ混ぜになってたけど、私、八つ当たりしちゃったんだ……」
明日花は手で顔を覆った。
「ああああ恥ずかしい! 蓮さんに八つ当たりするなんて!」
「呪縛ってなかなか消えないよね。東京に来てから、あんたの趣味を馬鹿にする人に出会った?」
「ううん……そんなに人と関わってないし。芙美ちゃんと千珠とか、理解ある人。あとは趣味の場くらいだから」
「そう。ズカズカと人の領域に踏み込んでくる人とは付き合う必要はないのよ。他人と程よい距離感を保つのが大事」
芙美が微笑む。
「価値観も変わるよ。地元では決まった型にはまっていないと批判されるけど、東京では人と違う方が興味を持たれるし」
芙美がちらっと胸元のペンダントに目をやる。
「あんたはオタク趣味を隠したがるけど……。好きなことがある、って本来すごい武器なんだよ。趣味がなくて悩んでいる人の方が多いよ」
「そうなの?」
「休日も特にやりたいこともなくて、だらだら過ごして焦るって悩みをよく聞くよ。好きなものがある人は、ずっと忙しくしてるでしょ。あんたみたいに」
「う、うん……」
何もやりたいことがない、という状況になったことはない。常に時間が足りず、もっと本も読みたいし、アニメもチェックしたいし、イベントや買い物に行きたい。
「ある意味恵まれているの。好き、って無理になるもんじゃないでしょ。自然に好きになるから、意図的にはできない。好きなものがあるってすごいことなんだよ。それが物でも作品でも人でも。何かに夢中になれるのは才能」
「でも、漫画とかアニメにハマるって子どもっぽいって……」
「批判する奴はなんでも理由をこじつけるよ。大人っぽい趣味って何? スポーツや車に夢中な人もいれば、食べ物に夢中な人もいる。ゲームが好きだったり、映画や音楽にハマまっているのも、子どもじみていると言えばそうでしょ。でも好きなものを楽しんで何が悪いのよ」
「そうだよね……」
「人が楽しくしていると邪魔したくなる心の狭い奴らなんか無視しときゃいいのよ。そいつらは何の責任もとらない野次馬なんだから。何かに夢中な人って面白いんだよ。その分野にめちゃめちゃ詳しいし。それに生き生きしてる!」
「蓮さんもそう言ってた……」
「でしょ!」
着替え終わった二人は更衣室を出て受付に向かった。
「とにかくさ、蓮くんから直接話を聞いたら? その更紗って女性、なんか変だし」
「う……」
昨日の今日で顔を合わせづらい。
そのとき、コンコンとガラス戸がノックされた。
「はーい、あれ、淳さん」
芙美がドアを開け、淳を招き入れる。
「ごめんね、開店前の忙しいときに」
淳が両手を合わせて、明日花を見た。
「明日花ちゃん、今日蓮と会った?」
「いえ……」
「今朝クリニックに来なくて連絡も取れなくて……」
「ええっ!!」




