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第2話:大失態は突然に

 突然の出来事に脳の情報処理が追いつかない明日花あすかに、すっと紙袋が差し出された。


「あの、これよかったら使ってください。引っ越したばかりでご迷惑をおかけするかもしれませんが、これからよろしくお願いします」

「えっ、あっ、はい、どうも……」


 どうやら引っ越しの挨拶の持参品らしい。

 明日花がおずおずと手を伸ばして紙袋を受け取ろうとした瞬間、悲劇は起こった。

 ただでさえバランスが悪かったトートバッグが、最悪のタイミングで肩からずり落ちたのだ。


「あ――」


 レブリカ剣の箱がバッグから勢いよく飛び出し、回転しながら床に落ちるのを、明日花はスローモーションのように見つめた。

 カターーーーン。

 切ない音を立てて剣の箱が床に落ちると同時に、明日花の口から絶叫がほとばしった。


「あああああああ!!」


(こんなタイミングでおまえっ……!!)


 魚籠びくから飛び出す魚のごとき挙動の箱に、明日花は目の前が真っ暗になった。


「大丈夫ですよ! 僕が拾いますから!」


 れんが慌てたように屈んでくれる。


「えっ、いえ、あのっ!!」


 すぐさま自らの手で箱を回収したいところだったが、両手に袋を持っているせいで、明日花は身動きが取れなかった。


(やめて、見ないでーーーーーー!!)


 明日花はムンクの『叫び』顔負けの声なき悲鳴を上げたが、蓮はまったく気づかず親切にも落ちた箱を拾ってくれる。

 でかでかと七枝刀と刃也じんや自身が描かれ、『刃也の愛刀』と目立つフォントで書かれた箱を。


「……」


 箱を手にした蓮が一瞬、動きを止めたのがわかった。

 明日花はごくり、と唾を飲み込んだ。

 だが、次の瞬間何事もなかったかのように、蓮は笑顔を向けてきた。


「どうぞ。壊れていないといいのですが」


 蓮はまるで王が勇者に捧げるかのような恭しく麗しい所作で、レブリカの剣の箱を渡してきた。


(……絶対にオタクってバレた!)


 恥ずかしさに顔に一気に血が上る。

 だが、明日花は必死で平静を保ち、『苦しゅうない』と王のような鷹揚な笑みを浮かべて見せた。

 それ以外の対応が思いつかなかった。


「ありがとうございます」


 箱を受け取った明日花は貼り付けた笑みが剥がれないうちに素早く背を向けると、鍵を開けて部屋の中に滑り込んだ。


「あーーーーーー」


 限界を迎えた明日花は、玄関先でノックアウトされたボクサーのように崩れ落ちた。


「ううっ……」


 そのまま廊下に倒れ込んだ明日花の姿は、かろうじて城まで帰還したものの甲斐無く息絶えた戦士のようだった。


(やらかした……)

(第一印象が村を襲った後の山賊みたいに大量に荷物を持って、レブリカ剣の箱を落とす女……って)

(よりにもよって、刃也くん似の人にっ……)


 このまま廊下と一体化していたい。何もかもなかったことにしたい。


「……」


 今日は本当に長い戦いだった。

 だが、最後にこんな強敵が待ち構えているとは思わなかった。


(私って本当にアクシデントとかアドリブに弱い……)


 地元でのつらい出来事が胸に去来し、鋭い痛みが胸に走る。


 いわゆる見た目も良く、華やかで目立つイケメンたちの嘲笑が脳裏に乱舞する。


「……っ」


 立ち上がる気力がわかない。


 ――うずくまってどうする?  事態が好転するのか? 悪化するだけだ。


 刃也の凍てついた声が脳裏に響き、明日花はよろよろと起き上がった。

 推しのセリフが、いつも自分に力をくれていた。


 そして、叔母の芙美ふみの言葉が続く。


(環境を変えて、楽しいことだけ考えな!)

(これまで頑張って働いてきたんだから、上京してぱーーーーっと推し活に使っちゃいなよ!)

(後のことは元気になってから一緒に考えよう!)


 そう言って芙美は上京を後押ししてくれた。


(そうだよ、私、オタ活を楽しむって決めて上京してきたんだから!)

(誰に何を恥じることがあるってのよ!)


「ふう……」


 荷物を抱え直してリビングに向かおうとした明日花は、渡された紙袋を手にした。


「なんだろ、これ……」


 蓮が渡してくれた小さな紙袋は、ロゴによるとロンドンのブランド店のものらしい。

 中にはお洒落な銀色のリボンがかかった小箱が入っており、開けるとふわっと爽やかな柑橘かんきつ系の香りがした。


「うわ……アロマの石鹸……?」


 半透明のいい香りがする石鹸は、見るからに高級品だ。


(こんな洒落た引っ越しの挨拶をする隣人に私は……私は……)

(そう言えば、私、お礼を言ったっけ……)


「あっ……」


 そもそも、お礼どころか名乗りもしなかったのではないか、と明日花は気づいてしまった。

 じろじろ見た挙げ句、物だけもらって、箱を拾ってもらって、無言で部屋に入った――無礼すぎる。


(ああああああああ)


 明日花は頭を抱え、のけぞった。


(恥の多い人生を送ってきました、って言ってたの誰だっけ太宰(だざい)(おさむ)だっけ)

(共感しかないよ!!)


 再びうずくまりたくなるのを堪え、明日花はリビングに荷物を運んだ。

 いつもなら戦利品の開封し、嬉々としてファイリングや飾り付けをするのだが、今日ばかりはソファに倒れ込んだ。

 しのイラストが描かれたクッションに顔をうずめる。


(刃也くんみたいに強くなりたい……)


 ――失敗したくらいでなんだ。未熟で愚かなのだから当然だろ。

 ――いちいち落ち込むな、鬱陶しい。

 ――おまえがやれることは、『次』をしくじらないよう立ち上がることだけだ。


(主人公たち、一年生三人組が大失敗したときに、上級生で隊長である刃也くんがかけた言葉……)


 一見、キツい言葉をなげかける刃也だが、その実仲間思いで面倒見がいい。

 初登場時こそ、刃也の言動が冷淡に思え反発を感じたが、意外な一面を知るにつけ、どんどん惹かれていった。


(そうだよね、私はダメな人間で大失敗をして地元から逃げてきた)

(しかも、イケメンにトラウマがあるんだから、うまくコミュニケーションが取れなくて当たり前じゃない)

(お隣さんには……もし次に会ったらお詫びして改めてご挨拶をすればいい)

(明日も仕事なんだから、さっさと部屋を片付けて、ご飯を食べてお風呂をいれて……やることはたくさんある)


 明日花はのろのろとソファから起き上がった。


「次をしくじらないこと……」


 声に出して自分に言い聞かせる。


(ずいぶんみっともない所を見せたし、気持ち悪いと思われたかもしれないけど)

(マンションの隣人ったって地元と違って特に交流もないし、このマンションは100部屋くらいある規模だし、まず顔を合わせることはない)

(偶然エントランスとかエレベーターとかで顔を合わせることがあるにしても、一ヶ月後くらいでしょ)

(その頃にはもう私の印象も薄れているはず)

(次はちゃんと挨拶できるよう、心の準備をしておけば大丈夫)


 しかし、蓮との再会は明日花の予想に反し、思いのほか早く来ることになる。

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