第14話:隣人がボディガートに!?
エステ店の二人が視界から消えると、緊張を解けたのか蓮の肩から力が抜けた。
「助かりました……」
あまりに安堵のこもった言葉に、芙美が思わずふきだす。
「大変ね、魅力的な人はお誘いが多くて」
「はは……。医師って肩書きはある種の女性には魅力的に映るようですね」
思いのほか辛辣な口ぶりだった。
(刃也くんっぽいセリフ!)
明日花は勝手に胸の高鳴りを感じていた。
ピリピリとした空気を感じたのか、芙美がさらりと微笑んだ。
「昨日は姪を助けてもらってありがとうございました。改めてお礼に伺いました」
「そんな! わざわざ……」
「お礼といってはなんですか、ウチのヘッドマッサージ、永年無料なのでいつでも声をかけてください」
「いえいえ、そんなことをしていただくわけには……」
「保護者からのささやかなお礼です。働いているとどうしても頭がガチガチになってしまいますからね。マッサージでほぐすとよく眠れますよ」
芙美に肘でつつかれ、明日花はハッとした。
当事者だというのにぼうっとしてしまった。
「本当に助かりました。ありがとうございました」
深く頭を下げてお礼を言うと、驚くほど心がスッキリした。
(なんだか……ちゃんと区切りがついた感じ)
きちんとお礼の場をもうけてくれた芙美に感謝だ。
「いえ、ショックだったでしょう。僕も不審者がいないか改めて警戒しておきます」
「お気遣いありがとうございます。蓮くんがお隣でよかった」
「不安ですよね。自分の住んでいる部屋で恐ろしい目にあって。部屋も職場も隣同士ですし、よかったら、行き帰りお送りしましょうか?」
「は?」
思いがけない蓮からの申し出に、明日花だけでなく芙美まで声を上げた。
「そんなことをしていただくわけには!!」
(何を言い出すんだ、このイケメンは!)
(いい人すぎる!!)
「蓮くんに、そこまで甘えるわけには……」
さすがの芙美も遠慮するかと思ったのだが――。
「でも、ありがたい申し出よね?」
チラチラと思わせぶりな視線を送ってきたので、明日花はのけぞりそうになった。
「いやいや、甘えすぎでしょ!! たかが隣人ってだけで、そこまでしてもらうわけには!!」
だが、蓮は本気のようだ。
「仕事の時間帯も一緒ですし、構いませんよ。よかったら落ち着くまでどうですか?」
「いえっ、あの、お忙しいんですよね。引っ越したばかりでって……」
明日花はエステ店の二人に言っていたことを思い出す。
「ああ、さっきのやつですか。断るための口実なので気にしないでください。引っ越しの手続きやらは一段落ついてますので」
さらりと彼女たちを躱した事実を述べる蓮から、こういった状況が日常茶飯事だったことが伝わってくる。
(こんな人にどんなお礼をすればいいというのか……)
(私なんて引っ越しの作業が落ち着くまで一ヶ月以上かかったのに)
隣人――物理的な距離は近いようでいて、その実ものすごく遠い存在だと改めて思い知る。
明日花は一千光年くらいの距離を感じているのに、蓮がひょいっと距離を縮めてくるので驚くばかりだ。
「さっそく今日、お送りしますよ。19時に上がりですよね?」
「ふへっ?」
社交辞令ではないらしい。その証拠に蓮はじっと返事を待っている。
「いえっ、あの」
「今日はあんた、コラボカフェ――」
とんでもない発言をしそうな芙美に慌てて目をむく。
(オタ活秘密!!)
必死の目線が効いたのか、芙美が慌てることもなく言い換える。
「……そうそう、今日は予定があるのよね。友達とご飯食べに行くんだっけ?」
「そう!! そうなんです!! 仕事が終わったら直行するので!」
今日は楽しみにしていたコラボカフェに友達の千珠と行くのだ。
「いいですね。楽しんできてください」
「どうも……」
明日花はハッとした。
またバッティングしたら最悪だ。
「あの、蓮さんは今日は仕事帰りにどちらかへ?」
妙に早口になってしまいながら、明日花は尋ねた。
「? いえ、特に用事はないのでまっすぐ帰りますが」
「新宿とか行かないですよね?」
「……? はい」
(やった!!)
(さすがに今日はバッティングしない!)
(気兼ねなく、思い切り楽しめる!!)
明日花は心の中でガッツポーズを作った。
「では、明日の朝8時10分に迎えにいきますね」
「えっ、あの……」
「8時20分の電車で間に合いますよね。では失礼します」
明日花に発言する暇を与えず、蓮はさっと歩いていってしまう。
(ええっ……明日の朝、一緒に出勤するってこと?)
「ふふ」
芙美の笑い声に明日花は我に返った。
「ずいぶん気に入られたのね」
「ハア?」
ポンと、肩に手を置かれる。
「いいじゃない、蓮くんは負担じゃないって言ってるし、しばらくボディガート付きのほうが私も安心だし」
「うう……」
距離を取ろうと思ったのに、思いがけず明日も会うことになってしまった。