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第10話:オタクの朝

<起きろ。いつまで寝てるんだ。このグズが>


 侮蔑ぶべつのこもった冷徹ボイスで、明日花あすかの朝は始まる。


「はいっ……刃也じんやくん、起きます……」


 明日花はよろよろとベッドから起き上がった。

 低血圧で朝が弱い明日花だが、推しキャラである刃也の叱咤しったがあれば何とか起きられる。


<まだ起きないのか。やる気がないなら、とっとと立ち去れ>


「ほんっといい声だ……」


 名残なごり惜しい気持ちで目覚まし時計をオフにする。

 一番くじでゲットした刃也のボイスつき目覚まし時計。

 一回770円のくじをコンビニで試しに5回引いて、見事引き当てたのだ。

 毎朝、快適に起きるためなら、3750円は安いものだ。


「ああ……」


 上京して三ヶ月。

 明日花の住む2LDKのマンションは既にグッズでいっぱいだった。


 壁にはタペストリーにポスター。本棚にはもちろん原作コミック。クリアケースに飾られているのはアクリルスタンド。コルクボードにはキーホルダーやブロマイド。もちろんほこりがつかないようにOPP袋やカバーケースなどで工夫している。


「最っ高……」


 毎朝、どこを見ても刃也がいる光景を満喫する。

 シリアルに牛乳をかけるだけの簡単な朝ご飯も、視界に刃也がいるだけで楽しい。


(ああ、でも昨日、グッズが増えるはずだったのに……)


 昨夜のドラッグストアでの出来事が蘇る。

 まさかのれんとのバッティング。

 よりにもよって真後ろに並ばれてはどうしようもない。

 店員さんにクリアファイルください、とどうしても言えなかった。


(痛恨……っ!!)

(9000円分も買ったのに……)

(昼休みに再度挑戦しよう。オフィス街である日本橋のドラッグストアならばオタクの競争率は低いはず)


(ああ、でも職場も同じ場所……またバッティィングする可能性がある……)

(開き直って堂々とオタ活できればいいのに……)


 地元と違い、東京では大人の女性でも堂々と『痛バ』――推しの缶バッジなどをずらりとつけた『痛いバッグ』――やぬいぐるみを持ち歩いている。


(24歳で少年漫画に激ハマりしてるとか、地元じゃ絶対に馬鹿にされる……)


 中学生の頃から、漫画を読んだり感想を言い合っているだけでからかわれることが増えた。

 詮索せんさく好きでマイノリティに冷ややかな田舎暮らしは、オタクには厳しい。


(ほんと、地元を出て上京してきてよかった!)


 だが――。

 歯を磨こうと洗面台に行くと、ふっと柑橘かんきつ系の爽やかな香りがした。


(蓮さんにもらった石鹸、いい香りだな……)


 使うのがもったいなくて、小皿に置いて飾っている。


(お隣さんがなー)


 生活圏内に推しそっくりのイケメンがいる。それは間違いなく幸せである。

 だが、オタ活には明らかに支障を来していた。


(くう……痛しかゆし……)


 蓮は親切で礼儀正しい。

 だが、イケメンでリア充。

 できれば遠くから眺めていたいるだけの存在であってほしいのだが。


(なんであんなにエンカウントするんだろう……)


 職場まで一緒なうえに、ランチや仕事帰りの買い物のタイミングまで丸被りなのは参った。


(生活圏内が一緒とはいえ、あんなに頻繁に遭遇することってある?)


 明日花が自分に自信のあるタイプであれば、素直に『運命かも!』と喜べたかもしれない。

 だが、フィクションの住人のような完璧なイケメンなのだ。

 しかも自分のしに激似の。

 なまじ好みの相手だけに、嫌われたくない。


(推しにそっくりの男性に嫌われるとか、きっとすごいダメージだよ……)


 中学生のときに、明日花はとあるサッカー漫画にハマっていた。

 その頃は脇が甘く、教室でも漫画について友達と話していた。

 すると、サッカー部で幼馴染みの岳人がくとにことあるごとにからかわれるようになった。


 ――キモ! おまえ、現実みろよ。漫画のキャラに夢中とか頭おかしいんじゃね。


 毎日暴言を浴びせられた明日花は、とうとうサッカー漫画を楽しめなくなった。

 今もトラウマで、その作品のタイトルを見聞きするだけで当時のつらい気持ちが蘇ってくる。


(あんな思いは二度としたくない……)

(『オカルト学園はぐれ組』はずっと楽しみたい……)


 明日花は歯を磨き終わると、顔を洗った。

 鏡には目つきの鋭い、クセ毛の女がこちらを見ている。

 不安そうな表情を浮かべている自分の顔にため息がでる。


(あんなつらい思いをしたくないんでしょ?)

(なんで、ちゃんと蓮さんを遠ざけられないんだろう……)


 ドラッグストアでも、失意のどん底だというのに結局荷物を持ってもらった。

 蓮に声をかけられるたび、恐怖と喜びという相反する思いがわき上がる。

 蓮をもっと見ていたいという思いと、傷つけられたくないから逃げたいという思い。


(どっちが正しいんだろうな……)

(――明日花には自分の気持ちがわからぬ。明日花は恋愛経験ゼロの初心者である)

(ああっ、思わず『走れメロス』構文を持ち出してしまった……)


 ぐだぐだ考えながら髪を整えているとインターホンが鳴った。

 明日花は急いでリビングの壁に設置されているインターホンのカメラを見た。

 マンションの玄関で大きな段ボールをもった配達員の姿が映っている。


「シロネコ配送ですー」

「はい! 今開けます」


 オートロックを解除し、明日花は印鑑を持って玄関に向かった。

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