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第1話:引っ越してきたイケメン

 日が沈む頃、明日花あすかはよろめきながら自宅マンションに辿り着いた。

 早朝からのハードスケジュールのため、身体のあちこちから悲鳴が上がっている。


(限界……っ)


 購入したグッズを詰め込んでパンパンに膨れ上がったリュックは、漬物石が如き重さだ。

 右肩にかけたトートバッグも、左手に持った紙バッグにも、ぎっしりとしグッズが詰まって肩や手に食い込んでいる。

 疲労と苦痛に堪えながらも淡々と歩みを進める明日花の姿は、さながら戦場帰りの歩兵のようだった。

 いや、ある意味本当に、明日花は『戦場帰り』だった。

 様々なイベントに参加してゲットしたグッズは努力と栄誉のたまものであり、『戦利品』とも呼ばれる。


 若木わかぎ明日花、24歳。

 どこにだしても恥ずかしくない、人気少年漫画『オカルト学園はぐれ組』のオタクである。

 アニメ化するレベルの人気コンテンツにハマったオタクにとって、休日はほぼ何らかのイベントで予定が埋まる。

 ありとあらゆるメーカーがグッズを出し、コラボし、イベントを行うからだ。


 イベントと聞くと一見楽しそうに思えるかもしれない。

 だが、限定グッズを追い求めるタイプのオタクにとっては、熾烈しれつな争いが繰り広げられる『戦場』だ。

 事前準備を(おこた)った者は、何も手にすることができない。

 明日花もハマりたてのときは、情報収集に失敗し何度も悔し涙を流したものだ。

 事前予約終了、整理券終了、グッズ完売――数々の悪夢が蘇る。


 今日の明日花は完璧だった。

 6時に起床し、渋谷にある某アパレルコラボの該当店舗に直行。2時間並んで整理券をもらい、グッズを購入。

 その後、池袋でスタンプラリーイベントに参戦。

 最後に予約していたグッズをアニメショップで引き取ったときにはもう、17時になっていた。

 帰宅ラッシュで電車で座ることもできず、大荷物をかついでマンションの入り口をくぐった時には18時になろうとしていた。


(うう……重い……)


 本来なら疲れより手に入れた喜びが勝るのだが、今日の明日花は違った。

 希望のグッズはほぼすべて手に入れたが、お目当てだった記念ポストカードが入手できなかったのだ。

 それも自分のミスのせいで。


「ぐぬう……」


 つらい思い出を反芻(はんすう)してしまい、思わず声が漏れ出てしまう。


「スタンプラリーめ……」


 池袋でスタンプラリーイベントが催され、複数の対象テナントを回ってスタンプを全てシートに押せたら景品がもらえるはずだったのだが――。

 方向音痴にとってスタンプラリーは鬼門。


(池袋、マジ迷路……いや、都内のターミナル駅はどこも迷宮……)


 地方都市から上京して3ヶ月で土地勘がないうえ、致命的に方向音痴の明日花には難易度が高すぎるミッションだった。

 迷いに迷い、ようやく景品交換場所に着いた時は既に遅かった。


「お品切れです。すいません」


 無情な言葉に明日花は膝から崩れ落ちそうになった。

 かくして限定の記念ポストカードは現地に行ったにもかかわらず手に入らずじまい。


「はあああ……限定ポスカが手に入ったら今日のミッションは完璧だったのに……」


 未練たらたらでマンションのエレベーターに乗り込むと、コツンと頭に固いものが当たった。


「痛……」


 肩がけのトートバッグからはみ出す細長い段ボール箱――中身はレプリカの剣だ。

 予約して手に入れた数量限定品で、しキャラである刃也じんやの武器の魔剣『七枝刀ななつさやのたち』である。

 その名の通り、剣身に左右段違いに七つの枝刀を持つ派手な見た目の剣だ。


 刃也(いわ)く、『魔剣が俺を平凡な天才から、非凡な天才へと変えた』。

 もともと名の知れた剣術道場の息子である刃也だったが、魔剣との出会いが妖魔退治においては父をも凌ぐ実力者となった。


(刃也くんは魔剣や妖剣と言われる危険な剣を使いこなせるんだよね……)


 かなめ刃也、17歳。

 週刊少年ハイタッチの看板人気漫画『オカルト学園はぐれ組』のメインキャラの一人だ。

 通称『オカはぐ』は架空の日本を舞台にした能力バトル学園ものだ。

 刃也は学園に入学した主人公たち一年生の先輩で、ライバルであり仲間でもある。

 すらりとした長身のクールキャラで、銀色の髪、鋭い切れ長の瞳の美形。

 軍服っぽい学園の制服がよく似合っていて見飽きない。


 主人公たちが使う武器をモチーフとしたグッズはたまに出るが、今回は初めて実寸大のレプリカが出るということで界隈かいわいは盛り上がった。


(二度とないかもしれないこの機会、絶対に逃せない!)

(2万円は痛かった……けど、原寸大のレプリカだし、一人暮らしの防犯用になるかもしれないし!)

(大丈夫、まだ貯金あるし働いてるし)


 誰に責められたわけでもないのに、つい心の中で言い訳をしてしまう。

 エレベーターがようやく7階につき、明日花はほうっと息を吐いた。

 ようやくこの長旅を終え、このずっしりと重い荷物から解放される――と緩んだ頬が、一瞬にして強張った。


(え……?)


 自分の部屋の前に見知らぬ男性が立っていた。

 すらりとした長身の若い男性で、明日花より少し年上に見える。


 明日花はエレベーターホールで立ち尽くした。

 警戒心いっぱいで男性を観察していた明日花だったが、思わぬ事態に気づいた。


「じ……刃也じんやくん……?」


 ラフなVネックのシャツとジーンズというさりげない着こなしも様になっている、スタイルの良さ――。

 しキャラである刃也そっくりの立ち姿だった。

 刃也は身長183センチ、75㎏。細身で引き締まったモデル体型。

 目に焼き付いている刃也の立ち姿に男性がぴたりと重なった。


(何……? これ、現実だよね……?)


 磁力に引かれるように、明日花はよろよろと男性に近づいていった。

 明日花に気づいた男性と目があった瞬間、ひぅと喉の奥で声が出た。

 面長の整った顔立ち、涼しい切れ長の目元、サラサラの茶色がかった髪――。


(うっそ、刃也くんの実写版ってくらいの精度……)

(これで髪の毛が銀髪だったら完璧……)


 両目をカッと見開いたまま無言で近づいてきた明日花に男性は一瞬たじろいだが、すぐに笑顔を見せた。


「あの、もしかして701号室の方ですか?」


 男性の声が明日花の耳を素通りしていく。


(刃也くんが優しく微笑むとこんな感じになるんだ!!)


 刃也はそのい立ちと性格から、まず笑うことなどないクールキャラだ。


 かすかに口角を上げて薄く笑むシーンは、現在18巻まででている原作の中でもたった2カ所しかない。雑誌掲載時には刃也ファンは沸き立ったものだ。


「あの……荷物落ちそうですよ?」


 肩からずり落ちかけたトートバッグに男性が手を伸ばしてきた瞬間、明日花はようやく我に返った。


「あわわわっ!! だ、大丈夫です、すいません!!」


 明日花は慌ててトートバッグの肩紐をつかんでひきあげた。

 飛び出た剣の箱がまた頭に当たったが、明日花はそれどころではなかった。


(あああああ、うっかり自分の世界に耽溺してしまった!)


 大荷物を持った女が目をかっぴらいて凝視してくるなんて、恐怖以外のなんでもないだろう。


(これ以上不審者と思われないよう普通に接しないと)


「……」


 男性は何か言いたげに明日花をじっと見つめている。


「……? あ……」


 明日花はかろうじて、彼が発した言葉を思い出した。


「はいっ、私、701号室のものです!」

「そうですか、よかった」


 返事をすると、男性は明らかに安堵の表情を浮かべた。

 明日花は恥ずかしさに顔から火が出る思いだった。


「僕は隣の702号室に引っ越してきました、逢坂おうさかれんと言います。一言ご挨拶をと思って――」

「へ……? 隣……?」


 隣の702号室は明日花の部屋と同じ2LDKで、明日花が引っ越してきたときには既に空室だった。

 そこにこのイケメンが引っ越してきた、ということだ。


(隣に……刃也そっくりのイケメンが……?)

(えっ、毎日見られるの?)

(いや、ちょっと待って)

(イケメンだよ、この人!!)

(つまり――私にとって最も警戒すべき相手!!)

(でも刃也くんそっくりなんだよ!?)


 明日花の心は千々《ちぢ》に乱れた。

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