オフダ La paperamuleto
わたしが流行り病にかかった時、祖母がどこからか御札を持ってきた。
茶碗にお湯を注ぎ、札を浸してわたしに差し出す。呑む真似だけするつもりが、勝手に札が口に入り細長くなって腹へと下りた。病はまもなく治ったが、腹のなかで札が動く感覚がおさまらない。
祖母と認識していたが実は父とも母とも血のつながりのない人で、家でも町内でも居場所のない人だった。父母があまり話しかけないので、わたしもあまり親しまなかった。どれだけ孤独に苦しめられながら微笑んでくれたのか、その価値に気づいたのはわたしがずっと年を重ねてからである。
あの御札だろうと思われる長い物が、今でも腹のなかをときおり動く。気味のよい感触ではないが、御札のおかげなのか、あの流行り病以来わたしは病気らしい病気を患ったことがない。
祖母は喘息や腎臓の不調に悩まされた果てに、心不全で死んでしまった。なぜ自分で御札を呑まなかったのだろう。両親もすでに亡いが、わたしの頭や腹を撫でながら、この子は治る、必ず治ると低い声でつぶやいていた祖母のことばかり思い出す。
祖母は、自分の守り神をわたしに呑ませたのかもしれない。
Fino
修正記録/私に微笑んで→私に、を削除。(2023-11-25)