ぼくが或る種の連中を愚図な莫迦扱いする、その主観的根拠
世の中には、いざとなっても動けない者が、予想以上にいっぱい居ると、私は思っています。
いざとなっても愚図愚図していて、火に巻かれて死んだりしてしまうんです。
人が倒れていても救おうともせず、家の前で倒れられたりして、困ったわね、なんて言ってたりします。
人の為に動く、という選択肢は、そういう方々には思い浮かばないのでしょうか?
『宇宙戦艦ヤマト』を観てなかったんでしょうか?
〽誰かぁ~がそれを~、やらね~ばならぬ~ 正義のぉ勇者が~オレた~ちな~らば~♪
いざという時に動く勇気くらい、にっぽん人であるのなら、持ちましょうよ。
でないとご先祖様が草葉の蔭で泣きますよ。
ところで草葉の蔭でっていうと、なんとなくコロポックルを想像するんですけど……
以前(前世紀)まだぼくが若くて、或るオールナイトシネマを観に映画館に行った時の事。
途中でフィルムが止まってしまった。
ある人物の顔がアップのまま、動かない……。
少しずつざわつきだす館内。
(まあ、そのうち動き出すかな……)
そう思って待っていたが、一向に事態に変化はなく。
やがてスクリーンに、一点集中で過熱したフィルムに気泡が出来て、少しずつ膨らむ様子が映し出される。
さすがにこれはヤバい。
もうダメだろ。
(映画館の人に知らせに行こうか!? ……いや誰かが行くかな?)
大きくなるざわめきの中、じりじりしながらも、少し待ってみた。
(オールナイトでもちゃんと殆どの連中は起きてるのな……)
だが、遂には、もやもやと蒸気の影が揺らめくのまで映り出した。
これはヤバい。蒸気に過熱引火したら火災待ったなしである。
ざわめきは止まらない。
にも関わらず、誰一人として映写技師に知らせようともしなかった。
やむなく、もう本当にしょうがないから、焦れたぼくはこれ以上堪えきれずに即座に立ちあがって、廊下に出て、走った。
映画館の誰かに教えようと。
ロビーに出たら、映写技師二人が映写室外でゴルフの真似しながら談笑していて、
「あの、止まっちゃってます!」
と教えたら、血相変えて慌てて映写室に駆けこんでいった。
この時に、ぼく以外には、誰一人として──それこそ、ただの一人として──全く自分から動こうとはしなかった。
映画館の重たいドアを開けて──深夜だから殊の外重く感じた──廊下に出ていくときに、振り返ってぼくの他にも誰か、行動を起こしている者が居てくれないのかどうかを、ちゃんと確認したんだからね……印象深い出来事で、貴方任せの無責任な他人への失望も大きかったから、未だによく覚えている。
あの時、もしも誰一人として行動せず、そのまま皆が放置すれば、必ずやフィルムが燃え上がり、火災になって、翌日の都下の新聞の社会欄に載ってしまったであろう。
ぼく一人しか、それを防ごうと行動した者が居なかった。
ざっと百数十人は居たにも関わらず。
あまりにも、ね……。
あまりにも、これは情けない。
そうは思わないか?
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また割と近年の話だが、或る時、あるお宅の前で、お婆さんが俯せに倒れていた。
そのお宅の小母さんと思しき(実際、そうだった)方と、あともう一人こちらはぼく同様に通りすがりらしかったが、その二人は、お婆さんを前にして、何も救いの手を差し伸べようともせず、手を拱いていた。
だから、ぼくが指示して、携帯で連絡させて、救急車を呼んだ。
そして自分の着替え用に持っていた白い清潔な肌着で、お婆さんの姿勢は変えず(無理に動かすと危険かもしれないので)、アスファルトについてる額についた小さな砂粒をそっと拭い去り、片手でお婆さんの顔を支えつつ、その砂粒を肌着から払落し、またお婆さんの顔に当てて、救急車が来るまで保護した。
まあ、誰でもする事だろう。
その小母さんとあと一人、倒れたお婆さんを前に、話し合うだけで、救おうともせず、一体何を考えていたのだろうか?
ぼくの白い肌着は、お婆さんの血が付いた。
お婆さん、転んだのだろうけど、その時に顔に傷がついてしまっていたのだな、可哀そうに……。
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最後は端的な話。
ぼくが合格した試験には、控えめに言って人並み以上に頭の良い者でも、受かる者は少なかった。
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以上の話は、決してぼくが人並み以上だ、だから上から見下ろして、
「観給え、他人はまるでゴミのよう」
だ、などと言いたいわけでは無い。
ぼくは、自分が才もなく所謂「地頭」の良くない、どちらかと言えば、痴愚に近い者であることを、よく弁えている心算だ。
ぼくは、常に自分の周りに居る、ぼくなど足元にも寄れない人達の長所を見せつけられて、卑屈に育った。
若い頃に、毎日毎日(少し大げさな言い方をすれば)死にそうなほど努力して、やっと少しは人並みに近づけたかな? という感じだった。
そんなぼくですら出来る事。
このぼくですら出来るのに、それが、全然、出来ていない。
そんなのが世の中にはゴロゴロ、本当にゴロゴロ居るんだ。
驚かされるよ。
だから、なんとなく「そういう匂い」のする者を感じ取ると、
「そんなことを言ってたっても、どうせお前さんも、いざとなったら、彼奴らのように、全然動けないんだろ?」
「お前なんか、どうせ口先だけなんだろ?」
「無責任な奴だな」
と思ってしまうんだ。
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(追記)
猶、救急隊員は、事件だのなんらかの病気の感染の可能性だのを疑う職業柄、
「こちらで処分しましょうか?」
と訊いて来たけど、別に肌着に多少血液がついたくらいでは全然大したことはないと考えるぼくは断った。
全然事件性なんて感じなかったし、あったとしても当人から血液採取なんて幾らでもできるだろうし。
もしも万が一何かの感染可能性なんてあったとしても、別に俺だって血を触る趣味なんざ無えし、接触する前に洗濯しちまうよ。
変なとこで心配し過ぎなんだよ。
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今推敲していたら、『ぼく』から『俺』へと、無意識に切り替わっていたのに気づいた。
これは書きながら当時の気持ちを思い出して、頭に血が少し昇ったからだと思う。
そういう風に、血圧上昇と、あとは恐らく迷走神経の興奮が鎮まるのに応じて、『ぼく』から『俺』へと切り替わるのだ。
これはぼくの今書いているシリーズ『浮浪児の流れ行く先』の主人公『ぼく』においても、同様の事が言える。
そうして、世の荒波に揉まれたり、厳しい日々を過ごしたり、きつい出来事に遭ううちに、血圧上昇が頻繁になり、少年は男になり、『ぼく』から『俺』へと恒常的に変化していくんだろう。
お目汚し失礼いたしました。
まあ、こんなのはチラシの裏の落書きと同じレベルの戯言と思ってください。
嘗て巣田祐里子さんが「紙切れ一枚でもプライドは保たれるってなもんや」とか漫画で描いていたのですが、それと同じ、精神が下痢症状を呈しているのです。
私の駄文シリーズ『チラシの裏の落書き』に収めておきます。