9. 歓迎会と寝床
人の噂の足は速いものだが、その舞台が田舎となればスピードも上がる。
領民が約100人しかいないアルゴートならば、さらにひとしお。
ケベルトにリザがアルゴートに住まいを構えたいと言っている旨を伝えてからたったの半日しか経っていないのに、カイトの家には領民が入れ違いに訪れていた。
もちろん、目的はリザだ。
「おじゃまします。何か物入りじゃありませんか? オイラの家にあるもので良ければ、何なりと持って行ってくだせぇ!」
「うん。君でそれを言いに来たのは23人目だよ。そして、ダメだ。元からギリギリの状態で生きているでしょうが、みんなは。これ以上何かを失ったら生活が立ち行かなくなる」
リザの人気は凄まじかった。
そもそも、アルゴートには若い娘がいない。
女性も少ない。
領民の8割が男であり、その男女比を土台にして、若くておまけに可愛らしく気立ても良いリザに心を躍らせる者たちが多いのも致し方ない。
実際、カイトから見てもリザは魅力的に見えた。
スタイルの整った体に、小さな顔に大きな瞳。
どこか気品を感じる佇まいなのに、活発で相手を気遣い、よく話を聞き、よく喋る。
「カイト様ぁ! リザ嬢ちゃんの歓迎会の用意が整いましたぜ! がっはっは! 備蓄の食料に秘蔵の酒も用意して、今宵は盛り上がろうぜ!!」
「ヘルムートさん。1つだけ良い?」
大きな酒樽を肩に乗せた屈強な若い衆のまとめ役に、カイトは尋ねた。
「俺がここに来た時って、やってないよね? 歓迎会」
「そうだったかな? いやぁ、昔のことなんで忘れちまって!!」
カイトは「まだ1週間経ってないよね!?」と言いたいところをグッと堪えて、「備蓄の食料を使い切らないようにね」と、領主らしく釘を刺した。
「あははー。みんないい人たちだねー! わたし、上手くやっていける気がして来た!」
「うん。みんないい人なんだよ。だから、リザ。パーティーは適当なところで切り上げるように言ってくれる? 絶対あの人たち、保存食を残らず使う気だ」
「えー!? カイトが言えば聞いてくれるんじゃないの? 領主様なんだし!」
「……領主よりも人気のある者が、既に2人もいるんだよね」
1人はリザ。
そして、もう1人が帰って来た。
「……ただいま。……カイト、今日のご飯を獲って来た。……でも、今日は村のみんなにあげる。……リザの歓迎に使って欲しい。……私はリザの先輩だから」
シエラが今日も巨大な魔獣を仕留めて狩りから戻る。
獲物の大きさも過去最大で、それをヘルムートの前に無造作に置いた。
「おおお! ありがてぇ!! こんだけデカいモンスターなら、領民全員で食っても食い切れねぇぞ! おい、お前ら! しけた干し肉の準備はヤメだ! こっちのシエラ様が狩ってきてくださった魔獣を捌くぞ! 手伝え! あと、シエラ様を崇め奉れ!!」
ヘルムートを先頭に、10人ほどの食料担当班がシエラに頭を下げる。
「ありがたや! ありがたや!!」
「大天使様のご加護、半端ねぇ!! これからもこの地を護ってくだせぇ!!」
「眩しくて直視できないぜ! 大天使様、罪人の我らにまでこんなに優しく!! なんと慈悲深い!!」
膝をついてシエラを拝む彼らを切り抜いて絵画にしたら、大天使が貧しい民に施しを与えている神々しい大作になりそうだった。
いつの間にかシエラを崇拝する者が村に一定数存在しており、アルゴートに新たな宗教が誕生するのも時間の問題かと思われた。
その後、日暮れ前から行われたリザの歓迎パーティーは夜遅くまで続いた。
カイトも飲めない酒を飲まされ、途中からの記憶がない。
領主様としての威厳はまだまだのようである。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌朝。
数日前から計画していた村の廃屋の処理にカイトたちは着手していた。
「カイトすごいねー! あんなに酔い潰れてたのに、顔色も良いし! お酒強いんだ?」
「いや、全然だよ。最初の一杯から先の記憶がまったくない」
ならばどうしてカイトの体調が、二日酔いと言うバッドステータスに染まっていないのか。
当然《目覚まし》のスキルによるものである。
二日酔いにも効果のある《目覚まし》。
あれだけ外れスキルだと周りから指をさされ、自分でも嫌な顔をしていたのに、結構お世話になっているカイト。
人間、慣れてしまえば意外と何とでも上手く付き合えるようだ。
「……『ライトニングレイ』。……えいっ」
アルゴートにはまだ利用価値のある空き家と、手の施しようのない害を生み出す廃屋がある。
ここは元より毒素の強い地盤の上にある土地なので、手入れのされていない空き家はその瘴気や寄って来る毒虫たちによって蝕まれてしまう。
1度そうなれば、焼き捨ててしまうのが手っ取り早い。
大天使シエラ様の出番だった。
彼女の降らせる雷の雨は、毒だろうと何だろうと平等に灰に変える。
これで村にあった14棟の廃屋の処理が終わった。
「じゃあ、後の始末はヘルムートさん。皆さんにお任せしても良いですか?」
「おう! 任せといてくれ!! ここまで綺麗に焼け焦げちまえば、後はオレらでも事足りるぜ!!」
頼りになる若い衆のリーダーに残りを任せると、カイトとリザは空き家の掃除に移る。
こちらは清潔な環境を保っていればまだ住む事ができる家であり、今後やって来るかもしれない入植者のためにも、良い状態の空き家はいくらあっても足りない。
「おおー! この家はなんだかちょっと雰囲気違うねー! 見て、カイト! 天井に照明が付いてる!!」
「ええと、この家の元の住民は。なるほど。鍛冶を主な仕事にしていた人みたいだ」
よく見ればテーブルや椅子も精巧な装飾が施されている。
綺麗にすればこの村で1番の住居になるだろう。
「この家をリザに使ってもらいたいと思うんだけど」
「えっ!? わたしに!? いいよ、悪いよ! こんなお家!」
「……ふふ。……リザは後輩だから、カイトの家には住めない。……これは先輩と後輩の関係に照らし合わせてみても当然。……元気でね」
「いや、シエラとリザの2人で住んでもらおうかと思って」
「……え? ……カイト、私に飽きた? ……もう一緒に寝てくれないの?」
「ヤメてもらえるかな。その絶妙に誤解しか生まれない言い方」
カイトは紳士らしく彼女たちに説明した。
「年頃の男女が一緒の家で過ごす事は色々とよろしくない」と。
貴族出身らしい、実に筋の通った理屈だった。
「……ヤダ。……私はカイトと一緒に住む」
いくら頑丈な筋が通っていても、大天使には理屈など通じない。
さらに、リザも続く。
「わたしも、独り暮らしは寂しいからちょっと嫌かなーとか、思っちゃったりしてー。だって、せっかく家族が出来たんだもん!」
「いや、気持ちは嬉しいけど。俺もリザの事は新しい家族だと思っているけども。うちからたった100メートルしか離れていないじゃないか。用があればすぐに俺が来るから」
不満顔のシエラとリザ。
彼女たちはこそこそと内緒話を始めた。
「……リザ。私に名案がある」
「おおー! さすが大天使! シエラちゃんの考えをぜひ聞きたいよ!!」
「……ここは、1度カイトに従うふりをする。……カイトは意外と頑固。ここで押し問答をするのは時間の浪費」
「ふむふむ。確かに、カイトってちょっとマジメ過ぎるところがあるよねー」
「……理解が早くて助かる。……つまり、作戦決行は」
「お掃除の後に生まれる隙、だね!」
乙女たちの内緒話には気付いていたカイトだが、紳士たる者、婦女子の密談に聞き耳を立てるような真似はしない。
彼は窓を美しく磨き上げる事に集中していた。
数時間かけて、清潔な家が1つ新たにこの村で産声を上げる。
「よし! これで今日から2人はこっちの家に住めるよ! じゃあ、俺は家に戻って書類仕事をするから! また明日!!」
挨拶をして、カイトは空き家から出た。
ケベルトの家に寄って、書類に記載されていない領地の情報の確認をしてから、彼も帰路に就く。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「……おかえり。カイト。……意外と遅かったから心配した」
「おかえりなさーい! 今、ご飯作ってるからね!」
「なんで2人が俺の家にいるの!?」
カイトの叫びはもっともだった。
では、昼間に行った掃除は何のためだったのか。
「……住み慣れた家で生活したいと考えるのは至極自然なこと」
「わたしもー! 初めてアルゴートに来て見たのがこの家の天井だったからさ! 愛着が湧いちゃって!」
「分かった。じゃあ、俺があっちの空き家に住む」
シエラとリザが、彼の両腕をがっちりと掴んで離さない。
さすがは大天使と冒険者。なかなかの力である。
「なんで止めるの!? だから言ったじゃないか! 同じ家に年頃の男女が住むのは!!」
「……私たちはカイトのいる家について行く。……これは決定事項」
「えへへー。わたしもカイトと一緒の方が落ち着くから、先輩と一緒について行くんだー!」
カイト・フェルバッハは1つ賢くなった。
結託した乙女たちの前では、正論など何の役にも立たない。
こうして、3人暮らしの継続が決まった。
カイトは「領主の権限ってこんなに弱いものなのか……」としばらくの間、人知れず落ち込んだと言う。