41. 力の天使ナナカ
フェルバッハ家では、どうにか体調を持ち直したアルフォンスが仕事をしていた。
軽い気持ちで帝国の中枢に関わってしまったばっかりに、無為な役目を押し付けられる羽目になった彼は、精神的にもかなり追い詰められていた。
「父上! 父上!! 良き知らせを持って参りました!!」
「……クレオか。……貴様の良い知らせが本当に吉報だったのはいつまで時を遡れば良いのか。して、どうした? またホーランド様の晩餐会にでも呼ばれたか?」
アルフォンスは愚か者だが、バカではない。
一度ならば「次こそは」と思い、二度目は「またか」と呆れるが、三度目になると先に疑ってかかる。
そして、これは果たして何度目か。
「どうせしょうもない面倒事だろう」とアルフォンスは愚息の喜ぶ顔を見てため息をついた。
だが、世の中と言うものは実に絶妙なバランスを保っているもので、悪い事ばかりが永遠に続くように思われた日々に、突如として光が差し込むこともある。
東方の国では、待てば海路の日和ありと言うらしい。
「天使と出会いました!!」
「クレオ。思えば貴様にも、少し強く当たり過ぎたかもしれん。少し休め」
「いえ、父上! 僕の領地のフォルメアンにですね! なんと天使が住んでいたのです!! 僕のスキル《富の泉》で湖を1つほど整備したのですが、そこがどうやら天使の気に入っていた場所だったらしく!! 領主に礼を言いたいと僕のところにやって来ました!!」
「本当か!? いや、待て。天使と言うのはその辺りをホイホイ歩いているものなのか!?」
アルフォンスの懸念も当然のものだった。
だが、実際にフォルメアンには天使が住んでいたのだ。
アルゴートに集う天使たちのように封印されていた訳ではなく、どうやら年齢が若いらしい。
天使の「若い」が果たして何歳を指しているのかは分からなかったが、アルフォンスも「これはまたとない好機」と考え、翌日にはフォルメアンへと出立した。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「1週間後にまた来ると申しておりましたので、明日にはここへやって来るはずです!」
「そうか! ……しかし、条件がな。領地を寄越せと言っておるのだな?」
「はい! できるだけ大きい領地を自分のものにしたいと! 何でも、自分で統べる土地を探している最中だそうで!」
「天使と言うものは、自らそのような要求をしてくるものなのか……。まるで古い話に聞く悪魔との取引のように感じられるが……」
アルフォンスはアルゴートに住まうと言う天使たちを思う。
彼自身はシエラとしか面識はないが、彼女がそのような条件を提示した上でカイトに使役されるようになったとはいささか考えにくかった。
だが、現実問題として、翌日。
本当に天使が訪ねて来たのだ。
こうなるともう、信じるしかない。
「約束通り来てやったんだけど! そっちの髭のおっさんがクレオの父親?」
「はい! そうです、ナナカ様!!」
天使の名前はナナカ。
彼女は自分を「極めて優秀な天使」であると自己紹介した。
「な、なるほど。ナナカ殿は大天使よりも優れているのか?」
「はあ? 大天使? 髭はもう少し笑える冗談を言いなさいよ。大天使なんて存在がいたのは、今から何百年も前の話! そんなの、今の時代に生きてる訳ないでしょ!」
「そ、そうなのか?」
「そうなのよ!」
アルフォンスは考える。
「であれば、カイトが使役しているシエラと言う名の天使は何だったのか」と。
いくつかの想定が彼の脳裏に浮かびあがる。
まずは、カイトがシエラに良いように騙されているパターン。
だが、帝国の侵攻を難なく退けている事実を考えると、すぐに頷くのも難しい。
次に考えたのは、「大天使」と言うのはシエラが勝手に名乗っている自称であるのではないか説である。
そうなると、目の前のナナカが大天使を知らない理由にも筋が通る。
最後に「ナナカが大天使の存在も知らない、力も弱く、浅い知識しか持たない天使である」と言う最悪のパターンも少しばかりよぎったが、アルフォンスはそれを無視した。
ナナカには羽が生えており、宙に浮いている。
この時点で人間ではない、上位存在である事は明らかであり、ならば詮索をするだけ無意味であるとアルフォンスは結論付けた。
「では、ナナカ殿。ひとつ頼まれてはくれぬか?」
「はーん? さては、わたしの力を試したいって腹積もりね? 分かる、分かる! 人間にとって天使って未知の存在だもんね!」
「おお! 話が早くて助かる!」
「で? わたしに何をして欲しいの?」
アルフォンス・フェルバッハは一代で帝国領内に名を馳せた名領主である。
ならば、交渉の妙を弁えている。
「このフォルメアンには、盗賊がアジトを構えておるのだ。それがなかなかに強く、狡猾で、私もクレオも手を焼いておる。そこで、ナナカ殿にはその盗賊を成敗して頂きたい」
「あー。はいはい。要は人間狩りをしろってことね?」
「う、うむ。なにやら物騒な言葉に置き換わっておるが、まあその通りだ」
「いいわ! 楽しそうだし!! じゃ、その盗賊を狩り尽くしたらわたしの要求も呑んでくれるってことでいいのね?」
ナナカの要求とは、繰り返すが「大きな領地を寄越せ」と言うものである。
領主にとって領地は命の次に大事な財産であり、八百屋で野菜を買うように簡単に切り売りして良いものではない。
だが、ナナカにその価値があるのならば、悪い取引でもないとアルフォンスは考える。
「良かろう。ナナカ殿の力が確かであると認めれば、こちらとしてもナナカ殿の要求に最大限応えよう」
「りょーかい! じゃ、明日の同じ時間に、そうねぇ……。街の噴水の前に来てみなさい! そこに纏めて置いとくから!!」
最後にナナカはこう締めくくる。
「この《力の天使》であるナナカ様にひれ伏す権利をあげる! 光栄に思いなさいよ!!」
余談だが、力の天使の系譜の最上位に君臨するのは破壊の天使。
つまり、アルゴートに住んでいるネイアなのだが、当然のことながらアルフォンスとクレオはもちろん、ナナカもその事実については知らないでいる。
ナナカは執務室にあった果物を乱暴に掴むと、それを食べながら優雅に飛び去ったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
アルフォンスとクレオが指定された場所へ行くと、そこには背筋が冷える凄惨な光景が待ち構えていた。
「遅かったわね。はい、これ。一応殺してないと思うけど。まー、死んでてもいいでしょ? どうせ人間だし!」
「これは……何と言う……。クレオ。今回ばかりは手放しで貴様を褒めなければならんようだ。よくぞナナカ殿を私と引き合わせてくれた! 彼女の力は本物だ! この力さえあれば、アルゴートに怯える心配もない! 帝国の中枢に媚びへつらうのも終わりだ!!」
「ようやく僕たちのあるべき場所へと戻る日が来ましたね! 父上!!」
アルフォンスとクレオは手を取り合って喜んだ。
天使の力を手中に収めた今、怖いものなど何もないと。
「数が結構いたから、途中から何人なのか分からなくなったわー。100までは頑張って数えてたんだけどさー。人間ってみんな同じ顔してるから、区別できないしー」
クレオが積み上がった盗賊の山を数えてみると、142人ほどが虫の息でどうにか人としての形を保っていた。
それは、ナナカの実力の確かな証明でもあり、フェルバッハ家に差し込んだ光明の証でもあった。




