40. 因果応報
マチルダ・ルーテンタークがアルゴートにやって来て3週間。
彼女の実力は素晴らしく、彼女の才能は大いに歓迎されていた。
「はい。オーガの方たちにはこちらの栄養剤を。体調不良の時にも飲めますし、予防として常用してもらっても構いませんよ。滋養強壮に重点をおいています。オーガの皆さんは体が丈夫ですから、内側のケアに気を付けてくださいね」
「これはマチルダ殿。お心遣い、大変痛み入る。我らオーガ族は薬に頼ると言う発想すらなかったもので。よもや、栄養剤ひとつでここまで体調が万全の状態を維持できるとは。いやはや、薬師と言うのはすごい職業ですな」
オーガ守備隊の隊長リキドは、週の初めに必ずマチルダの店を訪ねる。
そこで部下たちに飲ませる栄養剤を入手するのだ。
「いえいえ。大したことではありません。私はたまたま《調合》というスキルを付与されたので。父も薬師でしたし、本当にすごい偶然が重なっただけなんです。環境に恵まれただけですから、あまり褒められると困ってしまいます」
リキドは「それは謙遜が過ぎますぞ」と首を横に振る。
「マチルダ殿の薬で、領主様も回復されたと聞き及んでおります。なれば、あなたはアルゴートの救世主であらせられる。もっと堂々としてくだされ。でなければ、我らが里に残っている同胞にこの素晴らしい薬を自慢できなくなる」
リキドはお世辞を言えるほど器用な男ではない。
それが分かっているので、マチルダも表情をほころばせる。
「あらあら。そこまで言ってくださるのなら、少しだけ威張ってしまおうかしら。なんて、ふふっ。本当にこの土地は良いところですね」
「はっはっは。アルゴートに来られた者は、まずその感想を口にしますな! かく言う我らオーガ族も、まったく同じ感想を口にしたものです。多種族が共存できる土地。これは得難きものですな!」
マチルダは「ええ! 本当に!」と応じる。
リキドは両手いっぱいの栄養剤を担いで、守護隊の詰め所に戻って行った。
入れ替わりにエルフのフレデリカがやって来る。
聞けば、彼女の仲間が厨房で火傷を負ったとのこと。
マチルダはすぐに傷薬を調合した。
「こちらの薬でまず患部の消毒を行います。それが済んだら、こちらの黄色い瓶に入ってる傷薬をたっぷり塗り込んで下さい。大丈夫です。傷痕は残りませんよ!」
「ああ、良かった! 料理人に火傷はつきものとは言え、若い子の腕に火傷の痕が残るのは可哀想だと思っていたのです! マチルダ様、感謝いたしますわ!!」
駆け足で帰って行くフレデリカを見送って、マチルダは物思いに耽る。
彼女は1度もカイザッハの街から出た事がなく、アルゴートへの移住に対して少なからず不安を抱いていた。
だが、蓋を開けてみれば何の事はない。
領民はマチルダを頼ってくれる。
彼女はそれが嬉しい。
薬師として、本当の生きがいを見つけた気分だった。
無条件で自分を信じてくれるのは何故だろうかと、彼女は不思議だった。
が、すぐに納得した。
「こんにちはー! マチルダさん、遊びに来ましたぁー!! それから! この体の弱い領主様の検査もお願いしまーす!!」
リザがカイトを連れて、マチルダの店にやって来た。
マチルダは既に知っている。
この領主が信任してくれたから、自分がすんなりとアルゴートに受け入れられた事を。
「カイトさん、予後は良好のようですね。ちゃんとお薬飲んでますか?」
「はははっ。どうにか頑張っています。飲まないとリザが怒るんですよ」
「当たり前だよぉ! カイトが倒れて、わたしもみんなも、すっごーく心配したんだからね!! 一緒に住んでいる者としては、もう2度とカイトを病気にさせないの!!」
「この調子でして。俺が用意するまでもなく、食事の時間になると薬の瓶が一緒に出て来るんですよ。参りました」
「あらあら。リザちゃんは本当にカイトさんの事が好きなのね」
「ふぇ!? や、別に、好きとかそーゆうのじゃ! いや、嫌いじゃないですけど! もちろん!! でも、好きとか! あれ? 嫌いじゃないってことは、好きってことで!?」
顔を赤くしてぶつぶつと呪文を唱え始めたリザ。
カイトはそんな彼女を笑顔で眺めてから、マチルダに質問する。
「何かお困りの事はありませんか? 不足しているものはないですか? マチルダさんには無理を言って移住してきて頂いているので、気になってしまいまして」
「ふふっ。過不足なく、毎日楽しく過ごしています! いえ、むしろ満たされているかもしれません! 新参者の私をこんなに頼ってくれて! 働きがいがあります!」
マチルダの住んでいたカイザッハが父であるアルフォンス・フェルバッハの領地である事をカイトも既に知っていた。
もちろん、その父が領主としての責任を果たしていない事も。
カイトはカイザッハに自分の手が届かない事を歯痒く思っていた。
誰であろうと、笑顔で毎日を過ごす権利を有している。
目の前にいるマチルダのように。
◆◇◆◇◆◇◆◇
フェルバッハ家では、アルフォンスが胃痛を堪えながら政務わこなしていた。
カイザッハからの書状が毎日のように届く。
それも山のように。
「アルフォンス様。またカイザッハからです」
「またか!? ええい、どうしろと言うのだ! 勝手に組合を作ったのはヤツらの方であろう!! ならば、もう好きにせよと返事をしたはずだ!!」
領主とは思えない言動であった。
不思議なもので。追放したカイトの元へ優秀な人材が集う度に、アルフォンスが持っているものが欠けていくように思われて、剛腕の領主として名を馳せた男は胸を押さえる。
「父上! ホーランド様から舞踏会の招待状を預かって参りました!!」
「黙れぇぇ!! 貴様はいつもいつも!! ホーランドは確かに上級貴族だ! 邪険にはできん!! だが、クレオ!! 貴様も口と耳が付いているのならば、聞いたことに対して自発的に対応できんのか!?」
「そ、そう申されましても。僕の一存で物事を決めてしまっては、万が一の時の責任が取れません」
「責任を取るのが領主の務めであろうが!! 貴様は自分の領地もろくに管理できず、貴族とのパイプを手当たり次第に繋ぐものだから、仕事ばかりが増えていく!! 貴様の得た稀有なスキルの《富の泉》はいつになったら覚醒するのだ!? 湧いて出て来るのは下水の汚泥ばかりではないかぁぁ!!」
激務が祟り、疲労が重なり、アルフォンス・フェルバッハは心身ともに限界が近づいていた。
それもこれも身から出た錆なのだが、錆に蝕まれてなお、彼はその原因と向き合おうとしない。
「それでは、ホーランド様の舞踏会には僕が名代として出向きましょうか?」
「バカが!! 踊る暇があれば、私を手伝わんか! カイザッハ一帯がもはなや手の付けられん状態になっておる!! 組合などを作りおって、愚民どもが! そうだ、クレオ! 貴様が名代としてカイザッハに赴き、組合を解散させて来い!!」
「む、無茶ですよ! 僕にはそのような大役……! 兄上ならばいざ知らず……あっ! いえ!!」
クレオは自分が何を言おうとしたのか、すぐに理解が出来なかった。
あれほど蹴落として悦に浸っていた兄の存在を、今まさに求めているのは自分である事を。
カイトはクレオが気付かないところで、矢面に立っていたのだ。
優れた才能はなくとも、弟だと言うだけの理由で。
今さらそんな簡単な事に気付いて、クレオは虚しさに苛まれていた。
その日の晩。
アルフォンスは胃痛が原因で熱を出した。
彼を診てくれる医者も薬師もいない。
それらを失った原因にも気付けない。
フェルバッハ家に立ち込める暗雲は、いよいよ雷雨を降らせようとしている。




